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2020年7月17日 (金)

純文学は文化事業であって商業性は失われた

 たまたま、尾高修也講師の古井由吉追悼で、思い至ったが、純文学作家のなかに大学の先生をしている人が多い。つまり職業作家としてなりにくいということだ。ネットでNOTE?とかいうのがあって、そこでも課金情報を発信できるそうだ。だが、それで採算がとれるか疑問である。要するに、ネット情報によって、趣味のひとや自己顕示欲の強いい人や、社会派の人は思想の啓蒙のために、ブログなどで発信する。これは、無料のただ働きである。これが、いままでにない物書きビジネスに大きな影響を与えた。自分は、70歳で実質的に事務所を畳んだ。これは、事務所料をオーナーの会社のマーケティング戦略をたてたことの見返りに無料にしてくれてたから可能だった。仕事を今は家事手伝い的な縛りがあって年金だけの生活で、コロナ不況を逃げ切って、こんなのんきなことをしている。その当時は、東京の中小企業の業界団体が沢山あって、3つ4つの機関誌の掛け持ち発行をして生活ができた。機関誌といっても千部以上発行するところでないと、きちんとした報酬がもらえない。さらに、面白い編集をしないと、文句クレームががくる。そんおかわり、うまくつくれば、口コミで他の経済団体かから依頼がきた。大きかったのが、社団法人を一般社団法人にするという政策変更であろう。これで、機関誌を発行するような余裕資金をプールするシステムがなくなったようだ。軒並み、仕事がなくなっていた時に、自分が隠居の世代になったのであった。

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