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2020年7月 3日 (金)

文芸同人誌「海」101号(いなべ市)

 本誌の発行日をみると、5月20日である。遠藤編集長のあとがきにも、コロナ禍の話が出ている。最近は、東京の感染状況や対策が、まるで全国に波及するようにメディアで騒いでいる。しかし、別の地域では異なるのではないか。なにか、都知事選挙などの政治利用の感じがして、面白くない。
 本号の大きいテーマでは、「追悼・青木健(1944~2019)がある。略歴では、自分より2歳若い。1984年に新潮新人賞を受賞し、その後、小島信夫文学賞選考委員もし、2014年には文芸誌「季刊文科」の編集委員をしていたという。近代文学の専門家が亡くなるのは寂しい限りである。自分のような年寄りの馬の骨が、のめのめとこんな感想を書いても、何の役にもたたないが、コロナで合評会ができないというから、一読者の感想として、しばらく作業続けよう。
【「晒されて、今」宇佐美宏子】
 叔母が96歳で亡くなって、語り手が、彼女の人生をたどって記す。題材は重く、戦時中に看護婦であったのが、いつの間にか従軍慰安婦として、純潔を奪われた生活を送る。そのために、自己の肉体をけがれた存在として、結婚しても夫との夫婦の営みが失くして、終わったという話。涙が出るような切ない話である。創作系なので、今後、この作品を書くにあたって、搾取がどのような事実の探索や創作にするための工夫を行ったかを、ドキュメンタリーとして、レポートするものが欲しいものだ。
【「逆耳」国府正昭】は、ある日、目覚めると右耳が聴力がなくなっているのに気付く。耳鼻科にいくと、治らないという。それ以来、断片的な幻聴が聞こえてくる。冒頭に、老人がス―パーで、買い物をするのを挙動不審に見える描写は味があって面白い。しかし、幻聴はの断片はその解釈が難しくわからなかった。それより、同氏のエッセイ「『阿蒙』の反省文(古事ことわざ編)」で、短編集の著書を演劇かする高校があって、その脚本の苦労話の方が、読者として、ずっと面白かった。有意義な文学活動だと思った。なかで、小説なら「と、思った」と書けるが、脚本はそれができないから、大変だという主旨の話があった。「と、思った」というのは、小学生時代に先生から、「作文をおわらすのには、書いた出来事をどう思ったか、書けば終わりになる」という指導を受けた記憶がある。それいら、そういう表現があると、作文とするようになった。舞台劇、作品と作者との距離感が理解できる。
【「台風」宇梶紀夫】
 地球温暖化による、洪水と水害の被害は、どこの地で身近なものと、なっている。それを小説化しており、行きつくところが予測できるが、根気よく描く作業に敬意をもった。ただ、こうした現象は、国土交通省のこれまでの治水対策に不足があることがわかってきており。自治体の対応策に対する警告になるのではないか。
発行所=三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

 

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