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2020年7月 2日 (木)

文芸時評のあり方について

 現在の批評には、「政治的なアクションか、あるいは作品のレビューかどちらか」と、東裕紀氏が「群像」に書いてるいるそうだ。彼は哲学者でもあるので、そうなのか、と思うが、文芸批評がこうあるべきという主張を持たないものが普通になり、作品紹介になりがちなのは、今始まったおとではない。自分が本サイトで批評などは不可能なので、「文芸同人誌作品紹介」というカテゴリーを約20年前から使用している。現在の情況は、見えていたからである。当初は、同人誌に書いている人たちに、あわよくば、ば純文学の職業作家になりたいと希望する人たいが多かったような気なする。ところが、作品の多くは、ただの作文であった。挑戦的な作品に好意的な感想を記すと、その作者から、あれは合評会では、さんざんの悪評でした、というコメントをもらい、へえ、としながらも、さもありなんと、感じたものだ。高齢になると、社会活動が少なくなり、現在進行形の社会感覚がわからない。それで、批評どころか、紹介の仕方も判らなくなってきた。ただ、自分はこうあるべきとは思うが、それは、自分主張として、作品にするべきであろう。いま、送られてくる文芸同人誌の積み上げて、思案をしている。アメリカの翻訳物を詠むと、探偵が人探しを頼まれる、という定番作風で、純文学として読まれているものがある。村上春樹などもそこスタイルを取り入れているようだ。なにか、そこに現代文学のあるべき姿があるような気もする。

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コメント

お久しぶりです。しばらくご無沙汰でした。
時折、またお邪魔します。

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2020年7月24日 (金) 08時07分

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