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2020年7月29日 (水)

保健のなかにウィルス対策がなかった途上国日本

 コロナのPCR検査で保健所でないと、勝手にできないという法律があって、これは伝染性細菌の時代のものなのに、ウイルスについては無策だったことが分かってきた。《参照:コロナPCR等検査の日本劣等と先行き落しどころ》要するにパンデミックは人口の半数以上がかかり、それでも生き残った人が、社会を形成するという歴史があるようだ。国民の大多数が支持した安倍内閣は、何していない。ただ、各地の自治体では知恵を出しているところがある。熊本市や大阪市などは心強い。自分は、いまも同人誌を読んでいますが、コロナにかかったら、アウトです。子供の頃に重篤な肺炎を患って、機能が低下し母親の輸血で酸素をもらって生きながらえたのです。エクモなんてない時代ですから。その後遺症で肺活量は中学生なみで、生きてきました。コロナ感染症の後遺症とは、重篤な肺炎の後遺症とおなじですね。

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2020年7月27日 (月)

同人誌時評「図書新聞」(2020・8・1)=評者・志村有弘氏

(抜粋)■小説では、平井利果の「恋知らず骨もなき兄」(「たまゆら」第117号)が秀作。しかし、悲しい作品。昭和二十年六月二十二日、「ひでにい」(亀井秀二。私の兄)が二十一歳で沖縄の真壁で戦死した。送られてきたのは、白い布にくるまれた骨箱。中には赤児の拳ほどの灰色の石と白木の位牌。むろん、骨のかけらも入っていない。戦後七十年が過ぎた二〇一五年、ひでにいの七十回忌をすることとなり、真壁へ行く。丘陵の山道を登り平地の墓碑に着く。ひでにいの写真や「私」の句「恋知らず骨もなき兄沖縄忌」(第五十一回全国大会特選句一位)と金子兜太が書いた色紙などを並べ、香を焚く。看取る人もなく死んでいった兄を思い、この地で死んだ人や軍馬を「大地が受け止め」たのだが、「大地から 彼等が歌う声がしはしないか」という詩を綴る。ひでにいに「もう死んだんだから」「私らといっしょに家へ帰るんだよ」と心の中で語りかけ、祈る。行間に滲み出る遺族の悲しい思い。作品末尾部分に「戦争は人一人の命を、少しもためらいもなく奪うという現実を見た」という文は真実の叫び。再末尾にある「夏草やわれも大地の居候 登志子」という句も見事。
 水田まりの「青柳町こそかなしけれ」(「日曜作家」第30号)は、函館の歌会で知り合った欅田(東京の女子大で国文学の講師)から水島燈子のもとに興福寺の仏像を見たくなったので、一緒に行きませんかというメールが届いた。燈子は函館で欅田と〓木の話をしたりしたが、夫以外の男性と喫茶店に入ったのは初めてのこと。空港でも話に夢中になり、燈子は飛行機に乗り遅れる。欅田は燈子の乗る名古屋行き最終便の払い戻しをして、チケットを手に入れてくれた。燈子の息子は社会人。娘は結婚して外に出ている。そして企業戦士の夫に守られてきたことも実感している。これから二人は恋に発展するのかどうかは分からないが、物静かな燈子の言動に好感が持てる。佳作。
 樋口虚舟の小説「波の行方」(「飛火」第58号)が読ませる随想的小説。〈随想的小説〉という奇妙な表現をしたが、古代から平安時代末期までの歴史の世界を自在に逍遥しているのを感じる。源三位頼政が扇の芝での自刃した話、「私の」祖父が謡曲を唸り、祖母は頼政の最期の場を歌っていたことなどが記される。作者の思い出が作品に上品なユーモアを醸し出している。宇治川が桂川や木津川と合流する地点に巨大な巨椋池があったのではないかという推定も鋭い。壬申の乱に対する柿本人麻呂の「眼差し」が「憂愁を湛えていた」という指摘も納得できる。鴨長明も「坊さん」という表現で登場する。古典・歴史の幅広い知識、それをサラリと書き流す見事な技倆。
 大森盛和の「笊屋の庸三」(「風の道」第13号)が力作。笊造り五十年の庸三は、妻のお久を十年前に亡くした。庸三はお久の像を彫ってみたくなり、彫ってみたものの、評判は悪かった。庸三はお久の眼を彫りたかった。お久が愛していた蔓薔薇を観察し、一瞬の美を見逃さずに表現することの難しさが分かった気がした。「女人像NO2、または眼」と題する作品は、初めは昨年同様悪評であったが、人々は〈眼〉に吸い込まれるような気がして、言葉を飲み込んだ。うまいのか下手なのかは分からないが、何かが違っていると思い、「庸三は霊に取り憑かれた」、「庸三の眼は、作品の眼と同じだ」と言うものの、馬鹿呼ばわりする者はいなかった。やがて庸三は村の第一号の伝統工芸士となり、最晩年は小動物の彫り物、とりわけ蛙の彫刻家として知られたという。テンポの早い文体で展開する笊造りと彫り物に生きた男、心に残る物語。
 秋田稔の「探偵随想」第一三五号掲載「とりとめのない話」は、往年の大スター片岡千恵蔵や月形龍之介などの逸話、脚本家の比佐芳武の言葉が随所に記される。月形が「難船崎の血闘」(比佐作)の脚本を読んで、比佐に「ありがとう」と言った話、千恵蔵演じる多羅尾伴内シリーズで、伴内が語る「正義と真実の使徒、藤村大造だ」というセリフは第三作「二十一の指紋」からだということも記される。映画通・ミステリー通のエッセイストならではの歴史の重みを感じるエッセー。
 「吉村昭研究」が五十号を重ねた。研究誌が五十号を重ねるのは、主宰の桑原文明をはじめ、同人諸氏の吉村昭に対する深い愛情を示すもの。 「月光」第63号が清田由井子、「北斗」第667号が駒瀬銑吾の追悼号。御冥福をお祈りしたい。 (相模女子大学名誉教授)《参照:
平井利果の戦死した兄への鎮魂を綴る秀作(「たまゆら」)――樋口虚舟の歴史の世界を自在に散策する随想的小説(「飛火」)

 

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2020年7月26日 (日)

文芸同人誌「文芸中部」114号(東海市)

【「あの日」蒲生一三】
 あの日とは阪神淡路大地震のことである。その日の夜、「俺」は眠っていて、布団の上に家財道具が倒れてのしかかり、身動き取れない状態から、助け出される。救助隊の様子や、母親がまだ奥に主人がいます、といったことで、父親が埋れていることをしる。やがて父親は、血にまみれ命なくして運び出される。いまになってこのことをリアルに描き出せるのであるから、被災者のトラウマの重さを実感させる。かつて消防団にいたことや、様々な過去を思いおこす。そして、ある日、夜うなされていたことを妻から教えられる。その日は1月17日、あの地震の日だとわかる。トラウマはさまざまな形で心を犯すが、いうに言えない一つの事例として、うまく表現している。そうなのか、と感慨を呼ぶ。
【「月は東に陽は西に」和田知子】
 紹介は省略しようとおもったが、感想を述べる。話の芯が斜めに移動するので、何が最大の問題なのか、わからない。登山仲間の山田の滑落が一番のテーマなら、そこに的を絞るべきでは。問題提起をならべて、書きたいから書いたでは、受け取り方に困惑する。
【「あなたにおまかせ」浅岡明美」
 なるほど、そうなんですか、というのが読後感。孝也という男ががんで死んでも、読者には心に何の波動も起きないのである。
【「影法師、火を焚く(第15階・第2部の3」佐久間和弘】
 全体像を不明であるが、部分だけでも読ませる話の運びである。エロい表現もあるが、これこれで時代に合った表現で、乾いた語り口に関心した。末尾には、調べて参考にした資料本が記されている。それだけのことはある。
【ずいひつ「シューベルト弦楽4重奏第一五番」堀井清】
 毎回、音楽を聴く話と、現代文学作品の解説が合わさっている。今回は、第162回の芥川賞受賞作「背高泡立ち草」(古川真人)である。
【同「『東海文学』のことどもkら(7)」三田村博史】
 かつては文壇というものへの登竜門が同人雑誌であった。そのころの三田村氏が文壇に上るのにその門に梯子をかけたがまで行ったような逸話がある。不運なのか幸運なのか、現在の立場にいる話である。面白いし勉強になる。
【「雨だれ」西澤しのぶ」】
 洋樹という息子がピアノを愛好しながら成長し、その間に夫がギヤンブルで、身を持ち崩し離婚する。なにがテーマ考えてもわからない。ダメな読み手です。
【「東亰(とうけい)を駆ける」本興寺更】
 江戸から東京にならい、武士という戦力が不要になって、大変な時代があって、その時期の人々の苦労が描かれる。調べが生きて、大変に勉強になる。そして、何よりも作者と作品の間にきっちりとした距離感があることだ。同人誌の作家に、作者との距離感がないと指摘するとよく反論される。反論しても無駄である。ないのであるから。
【「もうひとつの日常、または旅」堀井清】
  ちょっと不良の老境の男が、街でみかけた中年女性をナンパする話からはじまり、それぞれ登城人物の孤独と世相をあぶりだす。括弧のない会話のスムースな落ち着いた文体で、どこまでも読みてをひっぱてゆく。こういうものがあると、文学愛好家の友人に読ませたい気にさせるが、その友人は故人となってしまった。

発行所=〒477-0032東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。文芸中部の会。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2020年7月25日 (土)

「季刊文科」の川中郁夫氏の同人雑誌評の特性

 文芸誌「季刊文科」81には、同人誌季評として、川中郁夫氏は、寄贈された同人誌約100冊を読み通したという。それを社会体制における前期資本主義と後期資本主義に分け、そこでの生と死の概念に焦点をあて、その分類法から、同人誌作品の意味を分析している。大変な労作であり、難しい作品解釈になっている。こうした発想が出るののも、季刊文科の年間購読に会員制をとっており、会員は雑誌年間購読料6千円に4千円をプラスして会員となる。そこから会員となった同人誌作家に会員コーナーを設けて執筆せきるようにしたらり、優秀作の転載したりしているのであろう。外側から見るとそう見える。文芸同志会も会員制度であるが、会報的な情報媒体を出さなくなった。似ているような、そうでないようなところがある。当会は、今は拡大する姿勢をやめたが、事務所をもっていた当時は、フリライターの育成のために、会員としての名刺の発行を許可し、それで取材をし易い様にしていた。季刊文科の編集者もいろいろ状況を把握しているようなので、有料で取材用会員証書を発行したらどうかと思う。「季刊文科」は、明らかに、拡販のための編集手法がとられている。しかし、普通の同人誌は、同人の書き手を維持するための編集である。だから、同人誌は売れなくても良い様に形成されている。そのかけた穴埋めに「季刊文科」は注力しているように見える。

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2020年7月22日 (水)

同人雑誌季評「季刊文科」81号=谷村順一氏

 日常とは違う日々を生きるーーー《対象作品》亜木康子「猫道のころ」(「こみゅにてぃ」第107号・埼玉県)/島田勢津子「サークルーゲーム」(「黄色い潜水艦」71・兵庫県)/高琢基「鉄塔の下」(「あべの文学」30号・大阪府)/小澤房子「楓子」(「空飛ぶ鯨」第20号
・埼玉県)/安藤容子「笹の花が咲いて」(前掲誌)/宇野健蔵「太郎と踊ろう」(「じゅん文学」第102号・愛知県)/猿渡由美子「古里人」(前掲誌)/水口道子「消えた男」(「あらら」11号・香川県)/山田佳苗「わたしの右目におっさんが」(「樹林」Vol.6552・大阪府)/衣奈響子「四十九日には」(前掲誌)/瀬戸みゆう「シャラシャラのこと」と「〈ヒト・マウス〉キメラ」(「半月」第10号・山口県)/縣ひとみ「はるさんの時間」(「樹林」vol .652/大阪府)/堀尾俊「いびきのぬし」(前掲誌)/西村郁子「台風」(「せる」第113号・大阪府)/須永和子「叫びたいのに」(「繋」16号・大阪府)/階堂徹「唐揚げ」(「詩と真実」850号・熊本県)/翔明子「柳陰」(「あべの文学」30号・兵庫県)/やぎみわ「それがどうしたん」(前掲誌)。

 

 

 

 

 

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同人雑誌季評「季刊文科」81号=川中郁夫氏

《死》から考える現代人の性ーー《対象作品》吉満昌夫」光の向こうに」(「埋火」66号・東京)/山本恵一郎「ダム湖の見える丘」(「漣」6号・静岡県)/田中青「ダンスSolo」(「南風」・福岡県)/小松原蘭「妹」(「季刊遠近」第72号・神奈川県)/田村けい「シェルター」(「空飛ぶ鯨」第20号・埼玉県)/浅田厚美「曇り空のビオラ」(別冊「關學文藝」第59号・大阪府)/塚越淑行「起こされた女」(「まくた」第297号・神奈川県)/田中芳子「まわる」(「静岡近代文学」34号・静岡県)/滝沢玲子「六月三十一日」(「あべの文学」30号・大阪府)/要次子「理彩の生涯」(「北斗」一月二月合併号・愛知県)。

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2020年7月21日 (火)

「季刊文科」81号について

 文芸誌「季刊文科」81号に眼を通している。《鳥影社サイト》本誌は、定価に対し読者の支援寄付を募るシステムで、文芸同人誌の作家たちを優遇するシステムがあり、発行の助けになっているようだ。そのせいか、今号は同人雑誌評の担当を2人にし、拡大充実させている。有料でなければ行わないような試みもしている。ここが無料サービス化したネット情報との違いであろう。また、特集の三島由紀夫が大変面白い。版権の面倒なところのある作家だが、その知られざる一面がわかって面白い。自分が同人誌「砂」に参加していた時に、今は故人となった同人が,三島との交流があり、猪瀬直樹氏が三島論をしっぴつするのに、取材対象になっていたのを記憶している。その猪瀬氏が経過を記している。

 

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2020年7月17日 (金)

純文学は文化事業であって商業性は失われた

 たまたま、尾高修也講師の古井由吉追悼で、思い至ったが、純文学作家のなかに大学の先生をしている人が多い。つまり職業作家としてなりにくいということだ。ネットでNOTE?とかいうのがあって、そこでも課金情報を発信できるそうだ。だが、それで採算がとれるか疑問である。要するに、ネット情報によって、趣味のひとや自己顕示欲の強いい人や、社会派の人は思想の啓蒙のために、ブログなどで発信する。これは、無料のただ働きである。これが、いままでにない物書きビジネスに大きな影響を与えた。自分は、70歳で実質的に事務所を畳んだ。これは、事務所料をオーナーの会社のマーケティング戦略をたてたことの見返りに無料にしてくれてたから可能だった。仕事を今は家事手伝い的な縛りがあって年金だけの生活で、コロナ不況を逃げ切って、こんなのんきなことをしている。その当時は、東京の中小企業の業界団体が沢山あって、3つ4つの機関誌の掛け持ち発行をして生活ができた。機関誌といっても千部以上発行するところでないと、きちんとした報酬がもらえない。さらに、面白い編集をしないと、文句クレームががくる。そんおかわり、うまくつくれば、口コミで他の経済団体かから依頼がきた。大きかったのが、社団法人を一般社団法人にするという政策変更であろう。これで、機関誌を発行するような余裕資金をプールするシステムがなくなったようだ。軒並み、仕事がなくなっていた時に、自分が隠居の世代になったのであった。

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2020年7月16日 (木)

文芸同人誌「海」第二期第24号(太宰府市)

【「ターミナル」高岡啓次郎】
 大手通信社に長年。勤務し、結婚し家を建て、順調な人生を送ってきた「俺」。それが突然、子会社への勤務を命じられる。希望にあふれて過程を持ったが、子供ができると、妻の立場は強くなり、俺の思うようにならない。そうした環境のなかで、ヒッチハイクをする青年ルイスに出会う。フランス人でゾンビのパフォーマンスをする芸人である。彼の悲恋を語ることで、情緒的な雰囲気の形成には成功している。小説の執筆には手慣れたものがあり、作者の書く楽しみぶりは理解できる。
【『平家物語』ノート(第1回)赤木健介】
 日本の古典であるが、冒頭部分の祇園精舎の鐘の音のが、仏教の経典からきていて、全面的な創作でないことを記す、このことで、平家物語が、人々のその時その時の語り部が、語り継いで変化してきた物語であることが、暗示されている。章によって表現力の変化があるので、その事情を分かり易く知ることが出来たら面白いのではないか。
【「隣接地」有森信二】
 父親の遺産の土地や家について、隣接地と独特の交渉をして、通路使用について、うまく調整してきたものが、現代になって、領地争いが深刻にる、相続者がそれに困惑する様子を描く。よくありそうなことなので、同様の体験者に興味深いかもしれない。しかし、語り手が利害を離れた立場であるので、事実経過話に終わっている。実は、じぶんにも似た体験があって、その相続した土地が、借金して銀行の担保になっていたのがあとからわかった。しかも相続人が5人もいた。銀行は長男の私が全部担保を引き受けるという約束だったという。各相続人が300万円払わないと土地担保は没収するという。各相続人は、遺産をもらえると思っていたら、300万円出すなんて、あり得ないと怒ったものだ。そのうえ土地の隣接人が8人もいて区画整理をするのに大変だった。人間欲が深い。そんな体験があるので、興味深く読んだ。自分の場合、借金と父親の出費してる信用金庫、大手銀行の貸しはがしの時代。結局あの手この手で、結局土地資産は失わず、兄弟姉妹に何百万かの資産分割ができた。その事情は彼らに話していないいので、棚からぼたもち相続としか思っていないし、その事情と苦労を小説にする気もない。
【「エゴイストたちの告白ー第2話ー貴腐薔薇」井本元義】
 とにかくロマン派の趣味で、早読みできない。じっくり書いているが、根本が日本人精神ではないので、バタ臭さがある。神の存在した時代の魂に触れる精神を、日本的なものと結びつけるモダンな試みかもしれないが、この辺で仕方がないかと思わせる。
【「キャピタゴンα」河村道行】
 身の回りの出来事を縷々と語る独白文体で、読みやすいが、それに慣れ過ぎて、内容の重さが均等になっていて、途中で退屈する。書きやすいいスタイルを開発するのは、素晴らしいが、それなりに文体に合わせた構成の工夫が必要なのではないか。
発行所=〒818-0012太宰府市観世音寺1-15-33(松本方)。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

 

 

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2020年7月11日 (土)

文芸同人誌「私人」第101号(東京)

 4月発行とあるのに、なぜかいただいた同人誌の積ん読の中から見つかった。遅まきながら紹介しましょう。
【「古井由吉追悼」-傍観録40」尾高修也】
 これで、思い出した。本作を読んで、納得して、紹介文を書くのを忘れていたのだ。筆者は古井と高校生時代からのお付き合いだったという。古井の50代ころの作品「背中ばかりが暮れ残る」の解説がある。私小説の部類の作品だそうだ。その解説をよく理解できるように、わかりやすく解説があるので、なるほどと納得する。古井由吉の特徴として50代後半の頃から、隠居に近い老人の立場を「老耄」として描く作風であるという。なるほどと、思った。自分は若い頃、古井という人は、ドイツ文学者でムジールの研究者というイメージしかもっていなかった。その当時、団塊の世代を対象としたオーディオメーカーのマーケティングを支援していて。機関誌記事を寄稿していた。そんな時に、モダンジャズの好きな担当者がいた。彼が、自分にモダンジャズの愛好者が芸術志向が強すぎるなかで、こんな文章で何かアピールできないか、と渡してくれたの芥川賞受賞作などを載せた短編集だった。非常にマニアックな、感覚的表現に優れたものであった。自分は、マーケティングのコピーライトは、手垢がついたありふれた表現をもって、新しさを生ますのが定石のようなもので、それは難しいといったことがある。純文学もモダンジャズも感覚的な芸術性を追求するがゆえに、大衆性を失って、マニアックな世界でしかない、と答えたように思う。
【「アンビルド」えひらかんじ】
 建築設計の世界で、設計デザインはすぐれているが、構造が建設に費用がかかりすぎるので、実現しない設計のことらしい。構造デザインに優れた新人の設計がアンビルドに終わってしまういきさつを描く。建築専門分野の小説として、優れた作品のシリーズを形成している。
 その他の作品は、よく書けたものがいくつかあるが、どう紹介していいかわからないものが多かった。
 発行所=新宿・朝日カルカルチャーセンター。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2020年7月 9日 (木)

パンデミックの時代に

 毎日が命がけというのが、現在の高齢者の立場であろう。世間ではパンデミックを題材にしたカミユの「ペスト」が読まれているそうだ。この作品を書くのにどのような構成にするかを、考えてカミユはメルビルの「白鯨」を参考にしたそうだ。白鯨はうつ病的神経症の語り手が、エイハブ船長と「白鯨」対決を語ったもので、主人公そのもではない、そこの語り手と「ペストの街の物語」の相互関係にカミユの参考の形跡が見られる。《参照:さびしく孤独なソーシャルディスタンス(6)欲望の必要性》

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2020年7月 7日 (火)

西日本文学展望「西日本新聞」6月30日・朝刊=茶園梨加氏

  題「古参同人誌」
 冒頭、「九州文学」(福岡県中間市)と「龍舌蘭(りゅうぜつらん)」(宮崎市)がともに創刊82年を迎えたことに触れ、現在を紹介。
伊福満代さん「ここから」(「龍舌蘭」200号)、「佐々木信子さん「石蕗(つわぶき)」(「第7期九州文学」50号)
田ノ上淑子さん「黄昏の回廊」(「原色派」74号、鹿児島市)、鳥海美幸さん「罠」(「龍舌蘭」200号)、吉岡紋さん「求菩提の松」(「第7期九州文学」50号)
《「文芸同人誌案内」(掲示板)ひわきさんまとめ》

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2020年7月 3日 (金)

文芸同人誌「海」101号(いなべ市)

 本誌の発行日をみると、5月20日である。遠藤編集長のあとがきにも、コロナ禍の話が出ている。最近は、東京の感染状況や対策が、まるで全国に波及するようにメディアで騒いでいる。しかし、別の地域では異なるのではないか。なにか、都知事選挙などの政治利用の感じがして、面白くない。
 本号の大きいテーマでは、「追悼・青木健(1944~2019)がある。略歴では、自分より2歳若い。1984年に新潮新人賞を受賞し、その後、小島信夫文学賞選考委員もし、2014年には文芸誌「季刊文科」の編集委員をしていたという。近代文学の専門家が亡くなるのは寂しい限りである。自分のような年寄りの馬の骨が、のめのめとこんな感想を書いても、何の役にもたたないが、コロナで合評会ができないというから、一読者の感想として、しばらく作業続けよう。
【「晒されて、今」宇佐美宏子】
 叔母が96歳で亡くなって、語り手が、彼女の人生をたどって記す。題材は重く、戦時中に看護婦であったのが、いつの間にか従軍慰安婦として、純潔を奪われた生活を送る。そのために、自己の肉体をけがれた存在として、結婚しても夫との夫婦の営みが失くして、終わったという話。涙が出るような切ない話である。創作系なので、今後、この作品を書くにあたって、搾取がどのような事実の探索や創作にするための工夫を行ったかを、ドキュメンタリーとして、レポートするものが欲しいものだ。
【「逆耳」国府正昭】は、ある日、目覚めると右耳が聴力がなくなっているのに気付く。耳鼻科にいくと、治らないという。それ以来、断片的な幻聴が聞こえてくる。冒頭に、老人がス―パーで、買い物をするのを挙動不審に見える描写は味があって面白い。しかし、幻聴はの断片はその解釈が難しくわからなかった。それより、同氏のエッセイ「『阿蒙』の反省文(古事ことわざ編)」で、短編集の著書を演劇かする高校があって、その脚本の苦労話の方が、読者として、ずっと面白かった。有意義な文学活動だと思った。なかで、小説なら「と、思った」と書けるが、脚本はそれができないから、大変だという主旨の話があった。「と、思った」というのは、小学生時代に先生から、「作文をおわらすのには、書いた出来事をどう思ったか、書けば終わりになる」という指導を受けた記憶がある。それいら、そういう表現があると、作文とするようになった。舞台劇、作品と作者との距離感が理解できる。
【「台風」宇梶紀夫】
 地球温暖化による、洪水と水害の被害は、どこの地で身近なものと、なっている。それを小説化しており、行きつくところが予測できるが、根気よく描く作業に敬意をもった。ただ、こうした現象は、国土交通省のこれまでの治水対策に不足があることがわかってきており。自治体の対応策に対する警告になるのではないか。
発行所=三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

 

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2020年7月 2日 (木)

文芸時評のあり方について

 現在の批評には、「政治的なアクションか、あるいは作品のレビューかどちらか」と、東裕紀氏が「群像」に書いてるいるそうだ。彼は哲学者でもあるので、そうなのか、と思うが、文芸批評がこうあるべきという主張を持たないものが普通になり、作品紹介になりがちなのは、今始まったおとではない。自分が本サイトで批評などは不可能なので、「文芸同人誌作品紹介」というカテゴリーを約20年前から使用している。現在の情況は、見えていたからである。当初は、同人誌に書いている人たちに、あわよくば、ば純文学の職業作家になりたいと希望する人たいが多かったような気なする。ところが、作品の多くは、ただの作文であった。挑戦的な作品に好意的な感想を記すと、その作者から、あれは合評会では、さんざんの悪評でした、というコメントをもらい、へえ、としながらも、さもありなんと、感じたものだ。高齢になると、社会活動が少なくなり、現在進行形の社会感覚がわからない。それで、批評どころか、紹介の仕方も判らなくなってきた。ただ、自分はこうあるべきとは思うが、それは、自分主張として、作品にするべきであろう。いま、送られてくる文芸同人誌の積み上げて、思案をしている。アメリカの翻訳物を詠むと、探偵が人探しを頼まれる、という定番作風で、純文学として読まれているものがある。村上春樹などもそこスタイルを取り入れているようだ。なにか、そこに現代文学のあるべき姿があるような気もする。

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2020年7月 1日 (水)

文芸時評6月(東京新聞30日夕刊)=伊藤氏貴氏

 東裕紀「考えることを守る」割り切れない困難を/千葉雅也『清く正しくは安易』非常時の日記。
《対象作品》 東裕紀「考えることを守る」(「群像」7月号)批評特集。/高原到「戦争の『現在形』-70年生まれの作家たちのの戦争小説」(前掲誌」。/高橋弘希、宮内悠介、柴崎友香、古処誠二が、若い世代が戦争を描くことの意味を問う。(同)/。古谷田奈月「これは戦争ではないので、誰も戦士にも戦場記者にもならない」(「文学界」7月号)。千葉雅也「非常時の日記」(同)/岩城京子「『テント思考』と演劇」(スバル」7月号)。

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