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2020年6月24日 (水)

文芸同人誌「奏」第40号(静岡市)

【「評伝藤枝静男(最終回)」勝呂奏】
 藤枝静男の作品は、幾つか読んでいたが、作家としての生き方と作品の関係については、知らなかった。大変参考になった。とくにこの最終回では、純文学の職業作家の晩年をどう過ごしたか、が詳しく説明されている。年齢77歳頃から藤枝の作風が、高齢化による創作力の衰えにどう対応したかがわかる。面白いことに、藤枝は56才の頃に、老人となり、ポンコツ化しているというようなことを、言ったり書いたりしているということだ。老齢化を意識しながら、職業作家として、読者や文壇の友人、評論家の視線を意識しながら、創作を続けていたことになる。これは、藤枝が職業作家として幸せに過ごした、という具体的な事例整理をもって、示しているように読めた。本評論で自分が理解したことは、藤枝静男という作家は、本質的に自己評価に関し、否定的な発想と肯定的な発想の間を、往復していたということ。志賀直哉に対する畏敬は、彼の我儘な生き方は、自己肯定の手本であり、同時に自己の存在のあるべき姿(その我儘ビジョンは不明)に至らない不満の自己否定的な発想が、藤枝の存在基盤になっているのだな、ということである。文壇人物交流で、難病に悩まされながらの作家・笙野頼子との関係なども、解説されている。こういうのを読むと、作家の世界はこんなものと思うかもしれない。だが、そんなことはなく、特別に恵まれた作家世界の話であろうと思う。だが、一般人の人生のあり方として参考になる。
【講演録「芹沢光治良と川端康成―それぞれの文学」勝呂奏】
 こういう作家的比較文学論というのは、すでに優秀な先人の著書があるようだが、自分は知らない。講演などはなかなか聴く機会がないので、大変に有益であった。川端はともかく、芹沢光治良という作家について、自分は長寿作家で、独自の文学な作風で、川端ほど近代文壇的な地位は高くないのだろうと思っていたが、そうではないことに驚いた。また両人の交流と、立場の共通点では「孤児」的な側面があるという。先の藤枝論と、本論は面白くて読み通してしまったが、こうした面で、双方の作風にくわしくなく、適切な紹介ができないのが、残念だ。そうした自分のような読者には、啓蒙される。
【「小説の中の絵画。第12回『白描』覆われた少女の肖像画とワルワーラ・ブブノワ」中村ともえ】
 自分は、岩波だかの石川淳全集を持っていたが、転居のおり処分してしまった。主人公金吾青年の話を、ここで読むとは思いもかけず、変化球作家の読者がいるのところにはいるものだと、驚いた。
 【「女たちのモダニティ④-中里恒子『乗合馬車』ー国際結婚と混血」戸塚学】
 いま、自分が高校生時代に活躍し、晩年、中年のロマンス小説で話題なった中里恒子とは、驚いたが、まるで知識がなかったことなので、面白かった。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。


 


 

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