« 総合文芸誌「ら・めえる」第80号(長崎市) | トップページ | 将来、何が起きようと、官僚だけが生き残る。自分はいない世界であるが。 »

2020年6月 3日 (水)

人はなぜ外に出たがるか?それは生来備わっている習性である。

 東京新聞の時評だかエッセイ欄の中島義雄氏がかいたものに「人はなぜ外に出たがるか」という見出しがあった。自分は、評論《徳田秋声と山田順子》で記している。パスカルのパンセやショウペンハウエルの説だが、これは習性としか言いようがない。

 ところで、「ら・めえる」を読んでいて、思ったことを記しておく。広島の原爆ドームは、広島のシンポルとなり、世界遺産に登録された。だが、長崎では、原爆で破壊された浦上天主堂をそのまま残そうという声が市民の間にあったものの、理由は、協会の聖母マリアの像が爆撃で破壊佐焼けただれた頭部が残っていた。それが米国の残虐性、本当は神など信じない精神が暴露されるため、米国の圧力で撤去されたという説がある。

|

« 総合文芸誌「ら・めえる」第80号(長崎市) | トップページ | 将来、何が起きようと、官僚だけが生き残る。自分はいない世界であるが。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 総合文芸誌「ら・めえる」第80号(長崎市) | トップページ | 将来、何が起きようと、官僚だけが生き残る。自分はいない世界であるが。 »