« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »

2020年6月29日 (月)

文芸同人誌の社会性が固定化してきたようだ。

 このところ、マイクロソフトが、自動更新の時に、新システムを入れるようになった。それと、パソコンが遅くなって、なかなか書くのが面倒になってきた。そこで現在、送られてくる同人雑誌の作品紹介を簡略化すること考えている。70才になるまで、フリーライターとして、いろいろな媒体に取材記事を提供してきた。だが、その年に、家内が骨盤の圧迫骨折で、入院は免れたが、介護度5になってしまった。一時期、寝たきり人の世話で家から離れられらくなった。そこで、機関誌や機関新聞の編集作業ができず、発行が出来なくなった。違約金を払って契約解消。以来、単発の仕事だけで、今は何もしていない。趣味の同志会の運営だけである。介護の作業は、娘が助けてくれて、家内は回復し家事がこなせるようになった。そのうちに、前から意識してみていた文芸同人誌の周囲の状況が大変化していることが、気になってきた。これからは、マンガの解説を文章で書くという仕事が多くなるであろう。小説はネットサイト「小説家になろう」や「カクヨム」が主で、紙の文芸同人誌をインフレーション運動してむ、自己満足運動であって、意味が薄れた。とくに、サイトの作品別紹介記事は、意義が薄い。現在、当初の設計のカテゴリーを変更することをかんげている。会員も減ったし、義理的な仁義は果たしているように思う。

| | コメント (0)

2020年6月28日 (日)

遠藤周作の未発表小説を長崎市遠藤周作文学館が確認

 作家・遠藤周作(1923~96)の未発表小説が、長崎市遠藤周作文学館で確認されたという。「影に対して」と題された、自伝的な性格を持つ中編。遠藤の没後、未発表の日記や書簡、エッセーの原稿などは見つかっているが、書き下ろし純文学小説の発見は初めてだという。見つかったのは原稿用紙の裏につづられた自筆の草稿2枚と、秘書による清書原稿104枚。今年2月、学芸員が、遠藤家から寄託された約3万点の資料から見つけ、調べていた。小説家になる夢をあきらめ、探偵小説の翻訳で妻子を養う男・勝呂が主人公。幼いころに離別した亡き母の知人を訪ね、足跡をたどる。バイオリンの演奏に命を捧げる母の生き方に共鳴しつつ、平凡な生活に埋没する自身への苦悩が描かれている。両親の離婚や母を孤独のうちに死なせてしまったことへの後悔など、遠藤自身の体験が多分に投影されているという。

 --職業作家生活のイメージって、変化してきていることへの感じが、未発表にさせたのかも。
  

 

| | コメント (0)

2020年6月25日 (木)

笙野頼子の「師小説」と藤枝静男

 先に同人誌「奏」に「藤枝静男論」(勝呂奏)の最終回を紹介した。以後、敬称略。東京新聞」の25日付夕刊「大浪小波」の匿名コラムに、笙野頼子が文壇にデビューするきっかけとなる賞の受賞の選者であった(おそらく「群像」の新人賞と推測する)、藤枝静男を師匠としていたとある。そこから「師小説」という作品ができたらしい。自分の記憶は、マンガ原作者で評論家の大塚英志が、「群像」に純文学の将来を文芸雑誌の「不良債権」とする評論を書いた。すると、笙野頼子がそれに噛みついて、反論を書いた。その論争の中で、大塚は持論磁選として、文学作品のフリーマケット「文学フリマ」を提唱した。したがって、笙野・大塚は文学フリマ創設の功労者である。発足当時からは、時代にの変化で「文学フリマ」は変わってしまったが…。「文学フリマ」は、創設者の大塚イズムを離れて拡大へ(2) 《参照:同人誌即売会「第十二回文学フリマ」は、創設者の大塚イズムを離れて(1)

| | コメント (0)

2020年6月24日 (水)

文芸同人誌「奏」第40号(静岡市)

【「評伝藤枝静男(最終回)」勝呂奏】
 藤枝静男の作品は、幾つか読んでいたが、作家としての生き方と作品の関係については、知らなかった。大変参考になった。とくにこの最終回では、純文学の職業作家の晩年をどう過ごしたか、が詳しく説明されている。年齢77歳頃から藤枝の作風が、高齢化による創作力の衰えにどう対応したかがわかる。面白いことに、藤枝は56才の頃に、老人となり、ポンコツ化しているというようなことを、言ったり書いたりしているということだ。老齢化を意識しながら、職業作家として、読者や文壇の友人、評論家の視線を意識しながら、創作を続けていたことになる。これは、藤枝が職業作家として幸せに過ごした、という具体的な事例整理をもって、示しているように読めた。本評論で自分が理解したことは、藤枝静男という作家は、本質的に自己評価に関し、否定的な発想と肯定的な発想の間を、往復していたということ。志賀直哉に対する畏敬は、彼の我儘な生き方は、自己肯定の手本であり、同時に自己の存在のあるべき姿(その我儘ビジョンは不明)に至らない不満の自己否定的な発想が、藤枝の存在基盤になっているのだな、ということである。文壇人物交流で、難病に悩まされながらの作家・笙野頼子との関係なども、解説されている。こういうのを読むと、作家の世界はこんなものと思うかもしれない。だが、そんなことはなく、特別に恵まれた作家世界の話であろうと思う。だが、一般人の人生のあり方として参考になる。
【講演録「芹沢光治良と川端康成―それぞれの文学」勝呂奏】
 こういう作家的比較文学論というのは、すでに優秀な先人の著書があるようだが、自分は知らない。講演などはなかなか聴く機会がないので、大変に有益であった。川端はともかく、芹沢光治良という作家について、自分は長寿作家で、独自の文学な作風で、川端ほど近代文壇的な地位は高くないのだろうと思っていたが、そうではないことに驚いた。また両人の交流と、立場の共通点では「孤児」的な側面があるという。先の藤枝論と、本論は面白くて読み通してしまったが、こうした面で、双方の作風にくわしくなく、適切な紹介ができないのが、残念だ。そうした自分のような読者には、啓蒙される。
【「小説の中の絵画。第12回『白描』覆われた少女の肖像画とワルワーラ・ブブノワ」中村ともえ】
 自分は、岩波だかの石川淳全集を持っていたが、転居のおり処分してしまった。主人公金吾青年の話を、ここで読むとは思いもかけず、変化球作家の読者がいるのところにはいるものだと、驚いた。
 【「女たちのモダニティ④-中里恒子『乗合馬車』ー国際結婚と混血」戸塚学】
 いま、自分が高校生時代に活躍し、晩年、中年のロマンス小説で話題なった中里恒子とは、驚いたが、まるで知識がなかったことなので、面白かった。
発行所=〒420-0881静岡市葵区北安東1-9-12、勝呂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。


 


 

| | コメント (0)

2020年6月18日 (木)

コミケ中止とマンガの業界のデーターベースの拡がり

  東京ビッグサイトで開催される「コミックマ―ケット」5月の連休の開催が中止になった。文章系文学作品の「文学フリマ」の各地での開催も中止が続出している。同人誌印刷業界は、メインのコミケの同人誌印刷1千部以上の需要が激減、文章系もフリーマーケットも減少してるのは間違いない。そこで、ネットでの販売活動に、道を開く工夫をしてるようだ。そこから、ちょっと、コミック系の世界を様子を調べてみようと、いろいろあたってみたら、そこに大変な大変動が起きていることがわかった。《参照:マンガデジタル化でコンテンツの長寿化(1)出版社を潤す》。いわゆるマンガのデジタル化で、その活用をした出版社は、様変わりの経営改善を果たしている。その要因はいくつかあるが、市場が国際的文化として認知され、海外に読者がひろがったことが、文学市場とことなる。さらに、デジタルにより、過去のヒット作が2度。3度と料理して新作のようにできるということだ。コンテンツの多さでは莫大な資産となる。ここが、大きいが、マンガのデーターベースを利用して、そのノベライズなどが文芸市場で流行するかもしれない。

| | コメント (0)

2020年6月16日 (火)

第163回芥川賞・直木賞候補作

 第163回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の候補作が6月16日、発表された。両賞の選考は、7月15日。そのほか、両賞の候補作は、以下の通り(敬称略)。
 芥川賞=岡本学(47)「アウア・エイジ(Our Age)」(群像2月号)▽高山羽根子(45)「首里の馬」(新潮3月号)▽遠野遥(28)「破局」(文芸夏季号)▽三木三奈(29)「アキちゃん」(文学界5月号)
 直木賞=伊吹有喜(51)「雲を紡ぐ」(文芸春秋)▽今村翔吾(35)「じんかん」(講談社)▽澤田瞳子(42)「能楽ものがたり 稚児桜」(淡交社)▽遠田潤子(54)「銀花の蔵」(新潮社)▽馳星周(55)「少年と犬」(文芸春秋)
 芥川賞では、2016年に死去した作家、津島裕子さんの長女で、太宰治の孫にあたる石原年産(48)のデビュー小説「赤い砂を蹴る」(文学界6月号)が初めて候補入りした。石原さんは、劇作家として活動し、津島さんの作品集に解説も寄せている。

 

 

 

| | コメント (0)

2020年6月14日 (日)

文芸誌「浮橋」第5号(芦屋市)

 今号は、橋をテーマに同人のエッセイが、並べられている。それぞれ面白いが、随所に新型コロナウイルスについてふれているのが、時代の感触の表現として、時宜にあっている。
【「橋から橋へ」春水】
 生き物には、ホメオシタスという言葉があって故・丸山圭三郎の著書に「アメリカの生理学者W・B・キャノンが提唱したもので、生物の生理系に見いだされるー自律的平衡作用ーのことである」。定温動物には外気温の変化に応じて自らの体温を調節し、これを常に一定の保つセンサーのごときものを身のうちにもっているという。それに対し、人間はその能力をねじ曲げ、外気を変えるエアコンを造った。自動車の利用で脚を弱らせうなど過剰な文化をもったゆえに、「核」を開発するなど、大罪を犯すーーなど様々知見を披露。人間性の正当性に疑問を呈している。人間の善のみを拡大解釈する現代への一つ視点を語る。地球を消耗させる人類への行為と、自己存在の正当に罪悪感をもつところまで、話を運ぶところは深みがあって、読みごたえがある。
【「橋を断たず」岡本俊輔】
 勝鬨橋の思い出を、懐かしく読んだ。自分は夜間大学で、学生運動に巻き込まれ、専攻が資本論研究であったため、就活が不調和。とにかくその付近の企業で採用してくれたので、しばらく通った。無能な劣等社員であった。アカの学生ということで、他の大学の新入生が企業内組合の結成に動いたらしく、それの首謀者であろうと、身に覚えのない嫌疑をかけられ、総務関係者から襟髪をつかまれて振り回されたりした。昼休みに、勝鬨脚の根元の幅広のところに寝転んで、どうも、自分は企業の部外者としての人生しかなさそうだ、と感じていた。本作でも、六甲の大石川の橋で、生きるか死ぬかの思案をするところなど、共感するところがある。当時の築地本願寺は、平日の昼は人もいないので、バレーボールを持ち込んで遊んだが、どこからも苦情が来なかった。運河のそばに紀文の社屋らしき看板があり、築地の外通りは、マグロ丼が安かった。
【「渡れなかった橋のはなし」】
 橋を渡る前に、老婆が向こうから渡ってきて、語り手にあんたは橋を渡れないと断言して、邪魔をする。そのため語り手は、そこに立ち往生する。カフカ的な世界の表現で面白そうだが、表現力不足で、なんでもない作品になってしまった。
【「六歳の記憶の断片」藤目雅骨】
 終戦間際の1月15日に、明石市で米軍の空襲があって、その当時が6歳だったという。その当時の記憶を呼び起して語る。証言として貴重であるが、事実によりかかり、文学的な成果はそれほど多くない。
【「街の灯りを避けて」山際省】
 宛てもなく街を歩くなかで、修一は不審者にねらわれているような恐怖を感じ、そこから逃れる。話は語り手の身の上話にうつり、浮き世の生活の話になる。何かが語れそうで、語られない。無理にまとまりをつけにない方が良いのかも。
【「四十年ぶりの手紙」矢谷澪】
 文字通り、40年前の女性から手紙がきた。読んでみると、彼女の創作が同人雑誌に載っていて、それを掲載したもの。
【「ある転生」青木佐知子】
 もうし、ただいま、わたしに寄り添うように歩いておいでのお方。あなたさまはいったいどなたなのでございましょうか?―という出だしが面白そうだが、その後はそうでもなかった。
【「夜の花」小坂忠弘】
 高齢になって体調に様々な変化がでて、それをたどりながら、これまでの体験談のなかの「夜の花」の意味をさぐる。力みのないところで、それなりに興味を誘う私小説的な思想の書か。
【「激震」(二)】曹達】
 昭和の不動産バブル経済の京都の場合を、みっちりと儲けのしくみや、その後の変化をア語る。現地は現在のアパート、マンション業界と変わっていないのだが、その細部が面白く、本誌で、一番小説らしい小説である。
発行所=〒659-0053芦屋市松浜町5―15-712、小坂方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

| | コメント (0)

2020年6月 9日 (火)

同人誌時評「図書新聞」(6月6日)=評者・越田秀男

 (前略)活き活きと生きたいがままならない人生、虚構によりどれほどこの生活の実相に迫れるか、作家達が舞う。
 『消された男』(水口道子「あらら」11号)――とある住宅街にゴミ屋敷、その家から死後8日も経った女の遺体が。夫が住んでいる! 殺人? 警察は事件性なしで引き上げる。順々にそのワケが明かされてくると、この夫婦と死んだ娘の不幸の塊のごとき生涯が浮き彫りに。残された夫は入所施設に。オ爺捨山? が、男は終の住処で活き処を見出す。このラストが作品のミソ。
 『太郎と踊ろう』(宇野健蔵「じゅん文学」102号)――零細な建設コンサルタント会社に勤める就職氷河期世代の主人公。会社から車で三時間もかかる建設用地の発掘調査を任される――長雨、期限の切迫、突然の梅雨明け、猛暑、過酷な作業、現場作業員との擦った揉んだは、危なくもユーモラス。一日が終わり、明日は休日、「何となく良い一日だった」、仕事も活、作品も活。
 『茶箱』(小松原蘭「季刊遠近」73号)――幼なじみの主人公と従兄は成長し恋仲になるが、主人公はイトコ同士が気になりはじめ、親側の事情もあり、心に反して関係を絶つ。と、従兄は病死。物語は下り、主人公と母は父を看取り、母も超高齢に、介護付き老人ホームの話が現実化する。一旦は母の入所を決めた主人公、過去の自身への蟠りが膨らみ、困難でも母と暮らす道をとる。
 『たとえば地獄の底が抜けたなら』(玉置伸在「カプリチオ」50号)――日雇い労働者の主人公、泥酔してひき逃げ事故に遭い、奈落の底。と、生活保護も受けずに生き永らえている老人と仲良くなり、この老人が時折発する“たとえ話”に惹かれる――「俺たちは野生の王国にいるんだ」。主人公はこの言葉に地獄の底から抜け出る道を感じ取る。動物園の檻の中よりまし?
 『負け犬』(瀬崎峰永「ふくやま文学」32号)――父に愛され父を愛する娘が強姦される事態に、父は手のひらを返すように娘を詰り疎んじる。娘は極度のストレス障害に陥り、やがて公衆便所脇の路上生活者、自殺未遂で病院に。担当医は父との関係修復を目差すも、裏目に出て自死。父からの完全離脱こそが、彼女の唯一の活路だった。
 『マンタとの再会』(國吉高史「南溟」8号)――「皆何処へ行ったかね」という老婆の言葉ではじまる。老婆の娘は18の歳で強姦され、産んだ子を母に託し本土に出奔。孫娘はその容姿から差別を受けるも耐え、婚約者を得る。が、難病を発症、婚約解消、40にして病が重篤化、延命策で足切断、半年後死去。わずかな“命”の時、本土で生まれ育った弟が母の死の知らせとともに訪れ、孫娘と婆にささやかな“活”を贈った。
 『兵詩』(城戸祐介「九州文學」572号)――バラバラになった自分の死体を自分が覗き見るシーンから始まるこの作品は、これから敵地に向かう時空へ舞い戻るところで終わる。生き返ると同じ時空、無限魔か。
 1946年12月20日創刊の「文学雑誌」、91号にて休刊。1977年8月20日創刊の「法螺」、80号にて終刊。 (「風の森」同人)《参照:虚構によりどれほど生活の実相に迫れるか、作家達が舞う

 

 

| | コメント (0)

2020年6月 6日 (土)

馬込時代の山本周五郎の話になる前に

 はじめは、山本周五郎の住んでいた時代の風景をたどって、外出自粛のなか馬込文士村を散策し、簡単な散文を書こうと思っていた。図書館は締まっているので、手持ちの資料で書き始めたが、関連事項がたくさんあって、なかなか山本周五郎の話にいかない。《参照:モダン文学の里「馬込文士村」の風景(3)尾崎士郎と宇野千代 》。書きながら、こういうのも、アニメで書いた方が時代にあっているのではないか、と思いついた。出版社も、かつては、文芸雑誌の赤字をマンガ雑誌で支えていたが、その雑誌も衰退し、マンガ単行本が主役になり、今はデジタル化で紙が少なくなった。現在は、アニメのヒット作をノベラいズ、小説化する時代になった。ただ、情報化の世界では、まだ文字が優越する。しかし、それもデジタルニュースの有料化で利益を上げている。文芸も絵画や彫刻のような芸術型がジャンルとして残り、娯楽小説の世界は狭くなるようだ。

| | コメント (0)

2020年6月 5日 (金)

給付金の支払い作業事業費は、受給者が支払うシステムに

  政府が新型コロナウイルス対策として実施する「持続化給付金」をめぐり、事業委託の内容が不透明だとして立憲民主党など野党が批判を強めている。野党側は、委託先の法人は実態が確認できないとして公金が着服される「中抜き」の疑惑を指摘。政府は「適正な契約の下で実施している」(梶山弘志経済産業相)と説明。これで愛国心がもてるのだろうか?
  それが、適正かどうかは、国民が判断するので、給付金の支払い作業事業費は、受給者が支払うシステムにしてほしい。その分、手取りが減るが、お恵み金ではないことが、利口でない国民にもわかる。
  年金も、掛け金を払っているから、その資金の運営を監視できるので、もしすべて税金で賄ったら、役人は年金を自分たちが国民に恵んでいると勘違いをしてしまうのである。

| | コメント (0)

2020年6月 4日 (木)

将来、何が起きようと、官僚だけが生き残る。自分はいない世界であるが。

 コロナ感染者を救った病院ほど赤字。廃院が増えるのであろう。20億円あれば、なんとかなるのに。日本が変わったとしても、そのころは自分はいない。そういうのを気にする必要はないのだが。感情が動く。生きている限り。
 ーー中小企業などに現金を支給する政府の「持続化給付金」事業を受託した一般社団法人「サービスデザイン推進協議会」が4年前、最初に落札した国の事業でも業務の大部分を大手広告会社、電通に外注していたことが、明らかになった。また、法律で義務付けられた決算公告を、設立後一度も行っていなかったことも明らかになった。NPOや公益法人には、すごく厳格なのに。あんな届け出はしなくて無視しても良かったのか。米国と同じで警察官を怪しい奴と見なければいけないのか。水清ければ魚住まず、だね。《参照:776億円の事務委託手数料は過大でないか=海江田万里

 この事業の費用は総額7686万円。経産省によると、差額は協とは議会側が負担したとみられる。協議会は、ホームページの管理や登録申請業務として5197万円分の事業を電通と関係会社の電通国際情報サービスに外注。国から受注した事業を「丸投げ」した形で、持続化給付金事業の97%を協議会が電通に再委託したのと同じ構図。職員2人の人件費の申請もゼロ。野党は、人件費ゼロということは仕事をしなかったのではないか。協議会は電通に仕事を回すためのトンネル団体の疑いがある」と批判。経産省の担当者は「職員2人は業務をしており、そういった認識は持っていない」と反論。
 また、協議会が16年の設立以降、官報などへの決算公告を一度も行っていなかった。公告を怠ると行政罰として100万円以下の過料が科される。野党は「これほどの国の事業をやりながらそれは認められるのか」と批判。経産省は今後、19年度分と合わせて過去3年度分も公告する予定と説明している。【山下貴史、工藤昭久】(毎日新聞)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (0)

2020年6月 3日 (水)

人はなぜ外に出たがるか?それは生来備わっている習性である。

 東京新聞の時評だかエッセイ欄の中島義雄氏がかいたものに「人はなぜ外に出たがるか」という見出しがあった。自分は、評論《徳田秋声と山田順子》で記している。パスカルのパンセやショウペンハウエルの説だが、これは習性としか言いようがない。

 ところで、「ら・めえる」を読んでいて、思ったことを記しておく。広島の原爆ドームは、広島のシンポルとなり、世界遺産に登録された。だが、長崎では、原爆で破壊された浦上天主堂をそのまま残そうという声が市民の間にあったものの、理由は、協会の聖母マリアの像が爆撃で破壊佐焼けただれた頭部が残っていた。それが米国の残虐性、本当は神など信じない精神が暴露されるため、米国の圧力で撤去されたという説がある。

| | コメント (0)

2020年6月 2日 (火)

総合文芸誌「ら・めえる」第80号(長崎市)

【「ひるこ様の海(前編)」片山みさと】
 N半島の東岸にある山にひるこ様と呼ばれる神社がある。ひるこはイザナギとイザナミの神が国産みをした時に、最初に産んだ神であるという。このひる子様の神社を巡って、高平真帆という女性の運命を描く。自分は、こうした連載ものは、通読しにくいので、取り上げないことがおおいのだが、本作は読み物として、大変優れた表現性があるので、おすすめ作品として短く解説したい。その要点は、物語の進行がすべて場面の連続で語られていることである。そのため、霊性を描いた幻想的な話でも、そこがきちんと場面として描かれているので、鮮やか情景をもって、存在感に満ちて読み取れるのである。作家としてのイメージ形成力が発揮されており、自分は引き込まれ、面白く読んでしまった。作者と物語の距離感も十分で、自分の小説感と一致する。小説と作文の基本的な違いは、基本的には、作者が小説であると思えば、そうである。しかし、客観的には、場面の連続で話を進めるか、状況説明で話をすすめるか、のちがいである。物語を進めるのにふさわしい場面を考えるのが創作である。多くは、想像力をもって場面を作るのが、面倒なので説明で済ましてしまう。それでもなお、面白く読ませる人は文才があるといえるような気がする。自らに文才あるかどうか、まず知ることが必要であろう。
【「テネシーワルツ」吉田秀夫】
 パテイ・ペイジの「テネシーワルツ」について語りながら、情感豊かに青森の三沢基地で出会った時の印象を語り、彼女のベトナム戦争とアメリカ人精神の葛藤を描く。エッセイかと思ったら、たしかに読後感は小説であった。テネシーワルツの歌詞の訳もあって、読むうちに、日本人でヒットさせた江利チエミなどの人生が心をよぎり、ジンときて、しんみりとしてしまった。
【ヒカル その1」櫻芽生】
 ヒカルの生活体験であるが、人物像としてどのようであるのか、微妙なところの作品。
【「美術館物語~プラドからの風(2)」麻布真】
 地域文化と国際都市の文化の交流が語れていて、今回は上海との関係を面白く思った。
【「[真珠湾ー日米開戦とルーズベルトの責任」長島達明】
 アメリカの政治構造については、「暮らしのノートITO」で、憲法と人種差別精神、金融、選挙システムなどを記事にしてきた。特に、日本の従属国政策は、あまりにも米国ファーストを貫いたもので、日本人を洗脳してきたのか、日本人がそれをうまく利用してきたのか、その事情の理解に役立つと思い、別途、紹介することにした。《参照:「アメリカの鏡・日本」の概要(1)長島達明氏の評論から》特に「アメリカの鏡・日本」じぶんも、よく知らなかったので、その概要は大いに助かる。また、真珠湾攻撃の事前情報漏えいの件は、多くの情報が飛び交う中で、その選択眼が問題であることがわかる。
【「梅ヶ枝餅」発祥の地はどこか?」新名規明】
 地域名産というか、その発祥を追う中で、芥川龍之介や菊池寛の活躍が織り込まれて文学史的にも興味深いものがある。
発行所事務局=〒850-0918長崎市大浦町9-27、田浦事務所。「長崎ペンクラブ」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

| | コメント (1)

2020年6月 1日 (月)

西日本文学展望(西日本新聞5月29日/朝刊=茶園梨加氏

題「異なる存在」
田川喜美子さん「空」(「長崎文学」93号、長崎市)、寺井順一ん「甘雨」(「西九州文学」44号、長崎県大村市)
田原明子さん「ほうずき」(「海峡派」148号、北九州市)、野沢薫子さん「秘湯」(「長崎文学93号)、「詩と眞實」(851号、熊本市)より共に連載の武村淳さん「平成uncontrollable fantasy」シリーズ・園村昌弘さん「村を撮るⅣ」、坂田眞澄さん「子育て盛衰前哨戦」(「西九州文学」44号)。(「文芸同人誌案内・掲示板」。ひわきさんまとめ)。 .

 

| | コメント (0)

« 2020年5月 | トップページ | 2020年7月 »