文芸同人誌「弦」第107号(名古屋市)
外出自粛の中で、不機嫌、苛立つ心になる。今回は自分が普通に読んでいる書店の雑誌と比較する視点で、紹介してみた。今は、ほとんどの軽文学の読み物がデジタル化している。その点、紙に活字化されたもので、一番残るのは同人誌であろう。改めて本誌のページを繰ると、【「母さんの生まれた日」国方学】【「庭先デリバリー」木戸順子】【「黄泉へ」小森由美】と、高齢者を主人公とした時勢模様が描かれている。なにか、時代離れをかんじる。作品「黄泉へ」は、いま、コロナ禍のなか、自分が外出して感染したら死ぬのだな、という思いと重なり、意味を感じるが、それ以前の2作は、危険な世情に生きる気持ちの自分には、切実感のない書き物の読めた。人生長生きすれば、その時々が書いても書き尽くせない、さまざまな出来事があるのだが、それをスケッチ風に書き流してすますのは、書き手は精神的に安定してくるのであろうが、なにか感情移入するような気分になれない。それだけ平和な世界包まれた人々の生活と描かれている。が、書き流された出来事そのもは、大変だったはずである。どれも薄味で、読み流しするしかない。
【「同人雑誌の周辺」中村賢三】 目を通して一番、印象的なのは本作である。毎号よく読み、味わい、書きまとめていて、その表現力に感銘をうける。
【「まぼろしの太刀(大森彦七異聞)」白井康】
時代小説の怪異譚であるが、自分の表現力を発揮しているので面白い。とにかく、場面が中心なので、飽きさせないのである。
【「ある介護」筧譲子】
老人介護の具体的な大変さが書いてある。オムツの汚物を畳みに投げつけてしまう老人の話が出てくる。しかし、それも聞き書きのように書き流されている。そうした事態を片つける介護者の様子が他人事である。介護者は爪の中にまで糞が張り込み、いくら洗っても臭いは取れない。部屋の畳はしばらく公衆トイレの臭いがする。これは自分と友人たちの実体験である。それらを表現しないと、よくできた作文としかいいようがない。
【「誕生」高見直弘】
孤独と寂寥感が生む精神的葛藤の幻想が、よく描かれていて、面白い。たしかに文学作品である。
【「二十七年目のブーメラン」長沼宏之】
出だしはいいし、その構成も、問題提起がなんであるか、明確なので、興味を逸らすことがない。もうすこし強弱をつける工夫があれば、もっと面白く読まめたかも。
【「青磁の壷」山田實】
想い出話が多い。父親のパチンコ通いなどは、しかも母親は、自死したかも知れないなど、材料やお膳立てはよく、場面として面白いのだが、同人誌には場面を書いてはいけないという法則でもあるように、説明で済ましてしまう。読んでいても、なぜか不可解な気分になる。終章も、どこかで読んでいたような余韻風のもので、なにか打ち合わせでもあるのだろうか、と考えた。おそらく同人仲間で、こうすればいいという、暗黙の了解の表現法があるのだろうと、思いついた。そうだとすれば、仕方がないことだ。
【「ゆずり葉」市川しのぶ】
本誌で一番面白い小説である。何が問題なのかと読んでいくと、夫婦の営みの膣痙攣のことで、それが病として治せずに、苦しむ様子が描かれる。いあわゆる夫婦関係の性愛と精神的な愛との葛藤を描く。ただの肉体的な現象をこのように、素材化したのには、作家的な手腕を感じる。文学フリーマーケットに、「父ちゃんのチンポが入らない」と、悩み相談のような中編作品を書いて、販売したケースがある。これも、専門医に相談すればいいことだが、そうせずに悩みとしてドキュメント風にしたらしい。それに出版編集者がめをつけ、長く伸ばして書籍化して、相当売れ行きがよく、話題になった。この作品も編集者に持ち込んでみたらどうだろうか、と思わせる。ただし、純文学にするなら、夫婦愛の変形としての愛の形を追求する方向にもっていくのは、どうであろうか。盲言多謝。
発行事務局=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3-4-27-、中村方。「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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