文芸同人誌「駱駝の瘤―通信」第19号(福島県)
本誌は、福島の原発事故について、現地からの声を文学的な立場から表現している。ジャーナリズムとして≪参照:「駱駝の瘤・通信」19号、福島もう一つの緊急事態宣言の拘り ≫で取り上げている。
もともと、安倍首相は、オリンピック開催を無理やり誘致するために、日本では福島原発事故で「緊急事態宣言」下にあったにも関わらず、それを「アンダーコントロール」と虚偽の発表をして、東京開催を申し出た。新型コロナの世界的流行で、開催延期から、中止の方向に進んでいる。この全責任は、自民党政権の安倍首相にある。国家の道具としての国民と、個人の尊厳にこだわる諸国民とは、別である。シンガポールや北朝鮮は、独裁国家であるため、国民は国家のために存在する。メディアに関しては、他の国でも国民のために働く。文学者は諸国民としての自由な立場を貫くべきであろう。安倍首相はなぜ、新型コロナについて「アンダーコントロール」と言わないのか。それは道具である国民が事実を知りながら利権にこだわって、支持しているからである。福島原発には、国民が事実を身に沁みて感じていないことから、安倍首相のウソに同調したのであろう。
【「郡山日記―認知症から考える」鈴木二郎】
身内の人の認知症と、その関連出来事を記す。自分は、両親の介護をしていたが、二人とも認知症にならないで病死した。父親は、82才で死ぬまでヘビースモーカーであったが、肺がんにはならなかった。父親にタバコを与え続けた自分は、医師から強く叱られ続けたたものだ。友人の話では、ニコチンは認知症になりにくい要素があるそうだ。真偽のほどは知らない。また、母親は42才の頃から、統合失調症と診断されていた。これも友人の説によると、統合失調症は、認知症に罹りにくいそうである。真偽のほどは知らない。本篇の事例では、参考になることが沢山ある。なかでも、人間の愛について、エロスとアガペーについて、解説しているのが珍しく、注目される。どういうわけか、文芸同人誌の作品には、好き嫌いの話はあるが、愛に向き合ったものが皆無である。同人誌にはそうした題材や論を避ける傾向があるらしい。
【「煙霧中人間話」秋沢陽吉】
作家・ 丸山健二と加藤周一の「羊の歌」についての、文学的感慨が述べられている。自分は、初期の丸山健二の著作は、ほとんど読んでいた。自分は、1942年生まれだが、丸山は2年下の同年代の44年であろう。彼の社会的な体験と似たようなことを経験していたので、共感をもって読んでいた。彼の初期作品は自らストイックな体験を反映した、体力の必要な締まった文体をしていた。自分の文章体験でも、肉体を動かしている時期に書いた文体と、無運動の時の文体に差があることに気付いていた。その現象が丸山作品にも表れていたので、興味深かったのだ(この時の自分の作品を、師である直木賞作家・伊藤桂一氏の生前に読んでいただいた。そうしたら、大変評価して、文学賞に応募しても良いような出来だーーと言われた記憶がある)しかし、同じく丸山作品を愛読していた友人が亡くなってからは、丸山文学について、誰かと語り合ったことはない。その意味で、懐かしい思いで読まされた。また、加藤周一については、名前は知っていても「羊の歌」は読んでいなかったので、勉強になった。現代においては「羊のうた」というコミックが若者の間で、よく読まれていて、こちらの方が有名らしい。
発行所=「駱駝の瘤・通信」19号、福島もう一つの緊急事態宣言の拘りに記載。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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