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2020年4月11日 (土)

穂高健一の歴史講座と作家への道

  作家・穂高健一氏は、会社員時代から同人誌に作品を発表していて、その間、小説の公募に応募し、いくつもの賞を受賞。山岳登山を趣味とし、穂高という筆名はそこらとった。(ネットの「穂高健一ワールド」タイトルも、マーケティングライターとしての自分が考え提供した。)穂高氏はマラソンも習慣としてしていた。会社を定年退職してから、同人誌作家から、本格的な職業作家になる努力をしはじめた。体力的に優れていたためか、行動的で小説も取材をして創作をするため、知られていない業界や世界の探査性が、時代を反映していることで、小説公募に多く当選したものと思う。その間、自分は機関誌編集や小説雑誌に小説を発表していたころ、自分がライブドアのネットニュース外部記者になったのを機に、彼もそれに参加した。そうしたら、自分はそれまでの商工会ジャンルの取材記者として、ものづくり世界を紹介してきた。それに対し、彼は日本文藝家協会を取材し、そこの広報部門として活躍の場を広げた。《参照:後藤新平がつくった世界最大級の似島検疫所(上)》いまは、日本の文明開化時代の歴史作家として活躍している。今だから、言えるが、直木賞作家の故伊藤桂一門下生による「グループ桂」というのには、定価がなかった。これは、これは門下生の習作テキストとしての立場をしめしたもので、発表作品ではない。そのため穂高氏も、自分も「グループ桂」に掲載作品を、売り込み向けに修正して、応募したり、出版社に持ち込んだりして未発表作品として採用されている。作品は商業誌に売り込むためだから、自分の生活や体験とは関係ない。自分も、作品を門下生から「手垢に汚れた文章」とか、「汚らしい世界」とか、強い口調で批判されたら、「これは印象に残るらしい」と出版社に持ち込むと、採用されたものだ。およそ、コピーラーターとは、皆が身近に感じる手垢にまみれた言葉で新しい概念をつくるのであるから、結構難しいのである。よく読み込まないとわからないような文は、誰にも読まれないで、泡沫文として消える。これはべつに、否定的な意味でいうのではない。自分のために書いているのが、他人に読ませるために書いているのかという意識の違いをいっているのである。

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