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2020年4月18日 (土)

コロナウィルス禍での幽閉的生活における「自同律の不快」

 幽閉状態のなかで、できることは、考えることであろう。精神的健康からすると、ものを考えないことが、気持ちを乱さないので、それが利口な過ごし方らしい。埴谷雄高は、たまたま多摩刑務所に拘禁されていた時に、ドストエフスキーを読み込み、精神の思考の中での小説「死霊」を書き始めたという。埴谷は脳内活動の素晴らしさを、行きたい場所を思い浮かべれば、すぐにそこに行けるというようなことを、語っている。そうした思考のなかの感覚の一つが「自同律」の不快である。《参照:埴谷雄高「洞窟」&伊藤桂一「形と影」の自己存在観(6)》まあ、確かに、いつに時点の自分が、本当の自分であるのか。常に連続して定まっていない、というのが腹立たしいというか、自分の記憶の一番快いものが、過去ののもので現在でないということであろう。
 「死霊」の冒頭は、こうある。---最近の記録には嘗て存在しなかったといわれるほど激しい、不気味な暑気がつづき、そのため、自然的にも社会的にも不吉な事件が相次いで起った或る夏も終わりの或る曇った、蒸暑い日の午前、× ×風癲病院の古風な正門を、一人の痩せぎすな長身の青年が通りすぎた。--
 これを読んで、小説はこうでなければーーとうれしくなってぞくぞくとした、記憶がよみがえる。じつは、ドストエフスキーの「罪と罰」に似ているのだがーー《七月はじめ、めっぽう暑いさかりのある日ぐれどき、ひとりの青年が、S 横町のせまくるしい間借り部屋からおもてに出て、の;ろくさと、どこかためらいがちに、K橋のほうへ歩きだした。》(江川卓訳)
 しかし、「死霊」のーー自然的にも社会的にも不吉な事件が相次いで起った或る夏も終わりの或る曇った、蒸暑い日の午前、ーーという言語の順が、完全に別作品になっている思わせるのだ。

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