同人文芸の二つの機能
「K」という生活作文的雑誌の話が、面白いかどうかはわからないが、まだ伝えてもいいかな、と思うことがあるので、続けて見る。自分は普通の人が、物を書くのは、作文に神経を注いでいる間の無心な充実感だと思う。それから誰かにそれを伝えたいと感じても、一人で雑誌を作るのは経費の負担が大きい。そこで同人仲間を造れば、費用分担になるし、読者になってくれる。実際に、「K」の会は、H女史の指導によって一時、250人にもなり、新年会をやることにしたら、当時の上野の会館を借り切って満席だったっという。しかし、その割には雑誌「K]に寄稿する人は毎月30人程度だったので、会費が余り、それを印刷費にあてたから、掲載者の負担を軽くできた。20年間400字を300円でやっていた。書きたい人の共済システムが機能した。そういうものであったので、時代がかわり経済成長時代になって、夫人も恒例になり、役割を終えたとして、その時点で解散した。それまでの間に、作文の会から、純文学で新潮文学新人賞をもらった人が出た。たしかに、純な心で自らの心情を吐露したものは、みな美しい文章でそれを書いていた。その時代の人たちのような文章に、現在文芸同人誌で出会うことはない。自分より少しはましであるにしても、濁りがある。自分は、H女史の指導によっても文才のなさを実感してきたので、いまでも、文章感覚の優れた人のものに気持ちを惹かれるし、敬意を抱かざるを得ない。H女史が、会を解散したので、残った会員たちが「砂」という同人誌を始めた。自分は、すでにメーカーのPR誌や団塊の世代の商品販売プロモーションカタログ説明などに時間がとられ、そのいきさつは知らない。ただ、「砂」を運営している女性から、H女史が、自分のことをしきりに話題にしていいたという。そこで、運営者がその男を入れないのは、「砂」の存在が、「K」の継承と認められないのではないか、と不安になるので、入会をしてほしい言ってきた。自分は、原稿を書かない人でも、会費を納め共済的なものを維持するなら良い、と入会した。その時には、「砂」には江戸川乱歩に認められ「宝石」に作品を書いている笹沢佐保と同期の人もいた。この同人文芸のシステムの維持のためには、書かないで長年会費を納める人がいないと、会費が蓄積できず破たんする。「砂」の時代には、掲載費が安いので入会して大量い書いて、すぐやめてしまう人が続出した。心の濁った人たちの文芸の時代になったと、いまでも怒りを覚える。「砂」とは付き合うだけの関係が続いた。
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