文芸時評・東京新聞(2月27日/夕刊)佐々木敦氏
『群像』3月号に「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」で芥川賞を受賞した古川真人の受賞第一作「生活は座らない」が早くも掲載されている。とある日曜日、大学時代の知人と久しぶりに会って上野の博物館に行き、神田、神保町と移動して酒を呑(の)んでいるところにもうひとりが合流し、更(さら)に二人加わって、三十代の男たち五人が延々とアルコールを摂取しながら他愛(たわい)ないお喋(しゃべ)りに興じるという、ただそれだけの話なのだが、これが非常に面白い。
脳内モノローグのような主語を欠いた一人称の文体のだらだらとした軽快さからして、これまでの古川作品とはずいぶん感触が違う。語りの現在時の中に、いま一緒に呑んでいる誰某との過去の会話や、いまここには居ない誰某との記憶などが自在に入り込んできて、それらにはかなり深刻な内容も含まれているのだが、煮詰められることなくすぐに過ぎ去っていってしまう。複数で飲酒しているときの、あの独特な時間の流れ方、大事なことであったはずのあれやこれやが、あっけなく忘れられていってしまうさまが、見事に描き出されている。芥川賞受賞後に書かれたものかどうかはわからないが、この作家の真価はこういうタイプの小説のほうにあるのではないか。吹っ切れた感じが実に好ましい。
『群像』には崔実(チェシル)の中編「pray human」も掲載されている。きわめて高い評価を得たデビュー作『ジニのパズル』以来、実に三年九カ月ぶりの第二作である。長くかかったが、大変に力のこもった作品だ。十年前に精神病院に入院していたことのある「わたし」の回想譚(たん)というかたちを取っているが、この「わたし」は誰とも口を利かなくなっており、頭の中で「君」と呼ぶ人物に想い出を語りかけ続ける。「わたし」が十七歳、体は男性だが心は女性の「君」が二十二歳のとき、精神病院で二人は出会った。「わたし」は「君」に、二人と同時期に入院していた年長の女性「安城さん」と二年前に再会したことを語る。「安城さん」は白血病で入院していた。「わたし」は「安城さん」に十三歳のときの親友だった「由香」の話をする。以下=《参照:古川真人「生活は座らない」 崔実「pray human」 高山羽根子「首里の馬」 佐々木敦》
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