退屈と愛情不足感が生み出す気分
人は、退屈する動物であり、愛情を内包することを必要とする。自分が文学作品から得た表現のなかで、このことを感じた。社会的な事件を起こした人物の情報を得ることに、その人の内面的な空虚さや、退屈感を推しはかってしまう。同時に幼児期に愛情の不足がなかったのか、などを考えてしまう。そうした観点から生まれたのがこの評論である。《徳田秋声「仮装人物」が描く山田順子の人間性(16)伊藤昭一》。すでに、文化的な表現の主体は、視覚的な映像イメージに奪われてしまったが、文章による表現の独特のものは、哲学的な抽象表現世界との連結において、優位性は揺るがないように思う。
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