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2020年3月29日 (日)

読者は一人でよい。書くことそのもので心を満たす。

 「K」という同人文芸誌は、書いた会員には、主催者H女史が必ず寸評をくれ、文章の直し方を教えてくれたものであった。そのため会員は全国に増えていった。おそらく、会員の多くは、H女史に向けて心の打ち明けていたのであろう。記憶では内容は、戦後、食糧不足のために郊外に自分の着物とイモ類の交換に出たところ、尋ねた農家の男に身体を要求され、やむを得ずそうした、というような懺悔と屈辱と後悔の念を吐露したようなものもあった。書き手にとって、読者は女史ひとりでよかったのであろう。男性の会員も増えて、リヤカーで野菜の移動販売をして家計を支えている話などもあった。合評会のようなものも行っていたが、自分は時間が取れず、参加することは少なく、自分の都合のよい時に主催者宅を訪問して、個人的に会合の様子を聞いていた。同時に、女史の夫である職業作家のS氏も席に加わることがあって、S氏とも親しくなった。そのうちに作家のS氏の指導を受けたい、という会員も出てきたらしく、「K」という会員のなかに、作家志望者派と、生活作文派が別々の雑誌を発行するようになったようだ。そこから、S氏を中心とする集団ができ、自分もそこに誘われ中編小説を書いて提出した。そうしたらS氏は「君はねえ。プロットなどドラマ性をもたすのは、いいが、文章が下手だね。文章が下手では、もうだめだよ」と言われた。たしかに、周囲の人と比べても、文才はがないのがわかった。そのことで、自分の物書きの原点が生まれた。文才がないのであるから、どうして文才のある人と対等なものを生み出すか、という方法意識である。それから自分は、夜間大学に通いながら、通信社や新聞社でアルバイトをし、10年ほどして、結婚したが、仲人役をその作家夫妻にお願いした。その時に、S氏は「文才のない人間が、物書きの世界に入ったのは不思議だ」というような話をされたのを覚えている。

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2020年3月28日 (土)

同人文芸の原点は、心の空虚を埋める役割

 文芸同人誌が職業作家になるための手段というイメージがになったのは、近代(モダン時代)のことで、そのいきさつがわかるのが、菊池寛「無名作家の日記」であろう。ここでの肝は、次の終章にある。---そうするとシェークスピアの戯曲や、ミケランジェロの彫刻は蚯蚓にわらわれるかも知れない)なんという痛快な皮肉だろう。天才の作品だっていつかは蚯蚓にわらわれるのだ。まして山野なんかの作品は今十年もすれば、蚯蚓にだってわらわれなくなるんだ。《参照:無名作家の日記 (14・完) 菊池寛 》文芸が社会における自己存在の証明として利用されていることがわかる。ところが、自分はこの作品の存在は、同人誌の存在を知るずっと後から見つけたのである。1957年頃、17、8才であったが、詩を書いていて、それは萩原朔太郎の真似たものを書きたいと思い、詩と作文を教えるという女流作家のもとを訪れた。すると、ご主人も直木賞候補に幾度もなったが受賞することなく、講談社に大衆小説を、新潮社に戯曲などを発表する職業作家であった。だが、その夫人であった先生は、婦人公論などにも執筆していて、感じることがあったという。それは、なにかというと、「あなたはわからないかもお知れないけれど、米国との戦争に敗れて、食うや食わずの生活に追われて、家庭を守ってきた主婦の方々はね、衣食住が整うと、いったい自分の人生って何だったのだろうと、心に穴が空いたように、空虚感に悩まされているの。その女性たちのために、生活のその思いを、作文したものをガリ版の小雑誌しているの。」というのであった。そして、そうした原稿をもっと集めるために、新聞の読書欄に原稿募集をかけたのだという。「あなたは、女性の名だったので、彼女にしようとでも思ったのでしょうけど、母親みたいなもので、残念でしょうね。でも、あなたの持ってきた詩はは、まあ、朔太郎には似ても似つかないものだけど、良い出来ですよ。会員になって、発表しなさい」。「はあ、苦しい時期をの乗り越えると、心が空虚になるのですか」と応じたものだった。(あとになって、それがポストモダンの始まりであったと思えるのだ)。その後「K」という同人誌文芸として、存在感を高め、生活日誌の発表誌として、拡大していった。無着成恭の「綴り方教室」の熟年版であったとも言える。それが、の同人文芸の本質であると思うのである。

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2020年3月27日 (金)

「第三十回文学フリマ東京」(2020/5/6予定)が中止に

  事務局によると、2020/5/6(水) に開催を予定していた「第三十回文学フリマ東京」(文芸同志会出店申し込み済)は、【中止】することになった。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の国内での拡大状況・行政の発表等を鑑みての判断という。すでに11月22日(日)「第三十一回文学フリマ東京」の開催が決定しており、今後も各地で文学フリマの開催が予定されていることから、「第三十回」東京開催は延期や振替ではなく中止と決定。
 国のコロナ対策やオリンピック開催延期などと一線を画し、「中止」としたのは、戦力逐次投入の愚を避けて賢い判断である。《参照:貧困の日本民主主義=戦力逐次投入の新型コロナウィルス》。なお、文芸同志会では、フリーマーケットでは、会の発行本を特別に値引きして販売してきたが、今回の決定を受けて、郵送販売を多少値引きして販売する計画を考えている。《参照:文芸同志会のひろば》。

 文学フリマ事務局=「第三十回文学フリマ東京」中止判断の理由

  事務局では国内で新型コロナウイルス感染症が問題となりはじめた2月より、政府や関係機関から公知されている一次情報を収集し、文学フリマの開催に関する検討を行なってきました。3/19の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の「状況分析・提言」では、新規感染者数が都市部を中心に漸増していることが警告されています。新型コロナウイルスの感染対策については「密閉空間・密集場所・密接場面」の3要件の回避が肝要であるとされているものの、全国的な大規模イベント開催については、「大規模イベント等を通して集団感染が起こると全国的な感染
拡大に繋がると懸念され」るともしています。提言ではさまざまな対策案や具体例も示されており、「リスクへの対応が整わない場合は、中止又は延期をしていただく必要がある」としていますが、さらに「仮にこうした対策を行えていた場合でも、その時点での流行状況に合わせて、急な中止又は延期をしていただく備えも必要」とも表明しています。この「状況分析・提言」を受け、事務局ではまず可能な限りの具体的な対応策を検討しました。また、新型コロナウイルス感染症の国内外の拡大状況や、他の全国規模の催事(大規模な展示商談会、スポーツ、ライブイベントなど)の対応状況についても情報を収集し、文学フリマの理念と目的に照らして、総合的に開催の可否について検討いたしました。結果、以下のような理由で「中止」を決定いたしました。

・「第三十回文学フリマ東京」においては、専門家会議の提言に準じた感染症対策を実施しても、参加者の皆さまが交流や売買を楽しめるような環境を提供することが困難になり、ひいては文学フリマの理念と目的「既成の文壇や文芸誌の枠にとらわれず〈文学〉を発表できる「場」を提供すること、作り手や読者が直接コミュニケートできる「場」をつくること」の実現が困難であると判断したため。
・人の往来が増加するゴールデンウィークは、より感染症への警戒が必要となること。また、ゴールデンウィークの前半に各地で集団感染などが発生した場合、5月6日の「文学フリマ東京」は非常事態宣言や都市封鎖など強制力のある中止命令で開催不可能になるリスクがあるため。その他、東京都での感染の広がりや大都市圏での感染拡大リスクの相対的な大きさ、文学フリマに参加される重症化リスクの高い方々への配慮、海外での深刻な感染状況、各種大規模イベントの中止決定などの出来事を総合的に鑑みて、今回の中止を決定いたしました。

 

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2020年3月26日 (木)

赤井都さん3月「言壺便り」

■最近、どうでしょう=前回メルマガをお送りしたのは一か月前。そこからご時世がすっかり変わってしまい、あれは本当に一か月前だった
のか? と感じるくらい長い一か月になってしまいました。作る人なので、基本、インドアで、変わらずにむしろ集中して仕事が進んだりしています。とはいえ、変化といえば、うちへ豆本を作りに来るという海外とのお話が頓挫したり、アメリカの友人二組がちょうど桜の季節に来て本の街や紙屋さんを案内するはずだったのが、ギリギリで来られなくなったり、と影響はさっそくこうむってはいます。
  少人数の静かな集まりまで自粛したらやりすぎでは? と思い、自宅教室は来られる方の判断にも委ねながら、続けています。とりあえずドアノブなどのアルコール消毒をこまめにするようにしています。うちに来た人が、せっけん手洗いをまずさせられるのは、こうなる前からでしたのでそこも、変わりなく続いています。
  やはり、自分の好き! を持ち続けて、作り続ける、人に届ける。それで、毎日楽しくなって、時間を楽しむ、楽しんでもらう。そこに尽きるかなと、これまでの自分の軸を再認識するような形になっています。
  ただ、自分だけじゃなくて、周りも元気でないと話は進まずラリーから、グレープフルーツの函はまだ来ないんですよね。他の作品に取り掛かりながら、函を待っている次第です。少しずつの進行で、よろしくお願いいたします。
■スマホを持ちました=なんと、このご時世についにスマホを持ちました。便利でびっくりしています。小さくて、技術が詰まっている物を基本的に好きですので、さっそく楽しんで使っています。GPSが、位置がぴったりに表示されてすごいですねー。写真も勝手にきれいに加工されて、写真うまくなったかと自分が錯覚する出来栄えです。最近、ツイッター、インスタグラム、フェイスブックの更新が頻繁だなと気付いている方はいるでしょうか? 実は電車で移動中にスマホから更新したりするので、こまめ度アップしています。しかし、こまめすぎて、見る方がついてこられるのか、更新頻度はどれくらいが良いのか、疑問も持ち始めたところです。たぶん、ツイッターを見る人はツイッターを、インスタの人はインスタを、と好きなSNSは決まっているだろうから、私の方はどれと決めずに、それぞれに更新するつもりで、そのうちになんとなく感覚で話題を分けられるようになるのだろうか? その前に私が飽きてしまわなければ、もしくは、忙しくなりすぎなければ、ですね。こういう時だからこそ、インターネットでつながって、楽しみましょう。スマホ画面で見ていたら、ツイッターに、@ツイートのタブがあることに今さら気付き、1年前の@ツイートをようやく読んで、ほっこり&申し訳なさ抜群です。この春はスマホ一年生。とりあえず入れたアプリや、お気に入りのアプリいろいろ。おすすめアプリがあったら教えて下さいね。
(中略)歩数計や、毎日の天気、目覚まし、これは毎日使います。キンドルも入れて、3回くらい読んで、寝ながらでも読める楽さが、本の重さがなくてよいかんじでした。でも目が疲れますね。ニュースのページは、サクッと開けるけど、いっぱいギガを使ったよという警告が出るのであんまり見ないで正解?)《赤井都「言壷ニュース」》

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2020年3月24日 (火)

「デイズジャパン」が破産申し立て

  「デイズジャパン」は、2020年3月19日、東京地方裁判所に対し、破産手続開始の申立てを行ったと発表。
  同社は、デイズジャパン検証委員会からの2019年12月26日付報告書を受けて、2019年12月27日にハラスメント被害に関する相談窓口を開設。これを受けて、ハラスメント被害に遭われた複数の方から、同社の残余財産を上回る金額の損害賠償請求があったという。今後も、ハラスメント被害の請求があることが予想されることも踏まえ、限られた財産を、被害者に対して公平に分配するためには、公的な機関である裁判所による破産手続に委ねることが最良であると判断したという。関連情報=広河隆一氏の性暴力被害女性達に謝罪をーJVJAが声明文

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2020年3月23日 (月)

文芸時評・東京新聞(2月27日/夕刊)佐々木敦氏

 『群像』3月号に「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」で芥川賞を受賞した古川真人の受賞第一作「生活は座らない」が早くも掲載されている。とある日曜日、大学時代の知人と久しぶりに会って上野の博物館に行き、神田、神保町と移動して酒を呑(の)んでいるところにもうひとりが合流し、更(さら)に二人加わって、三十代の男たち五人が延々とアルコールを摂取しながら他愛(たわい)ないお喋(しゃべ)りに興じるという、ただそれだけの話なのだが、これが非常に面白い。

 脳内モノローグのような主語を欠いた一人称の文体のだらだらとした軽快さからして、これまでの古川作品とはずいぶん感触が違う。語りの現在時の中に、いま一緒に呑んでいる誰某との過去の会話や、いまここには居ない誰某との記憶などが自在に入り込んできて、それらにはかなり深刻な内容も含まれているのだが、煮詰められることなくすぐに過ぎ去っていってしまう。複数で飲酒しているときの、あの独特な時間の流れ方、大事なことであったはずのあれやこれやが、あっけなく忘れられていってしまうさまが、見事に描き出されている。芥川賞受賞後に書かれたものかどうかはわからないが、この作家の真価はこういうタイプの小説のほうにあるのではないか。吹っ切れた感じが実に好ましい。

 『群像』には崔実(チェシル)の中編「pray human」も掲載されている。きわめて高い評価を得たデビュー作『ジニのパズル』以来、実に三年九カ月ぶりの第二作である。長くかかったが、大変に力のこもった作品だ。十年前に精神病院に入院していたことのある「わたし」の回想譚(たん)というかたちを取っているが、この「わたし」は誰とも口を利かなくなっており、頭の中で「君」と呼ぶ人物に想い出を語りかけ続ける。「わたし」が十七歳、体は男性だが心は女性の「君」が二十二歳のとき、精神病院で二人は出会った。「わたし」は「君」に、二人と同時期に入院していた年長の女性「安城さん」と二年前に再会したことを語る。「安城さん」は白血病で入院していた。「わたし」は「安城さん」に十三歳のときの親友だった「由香」の話をする。以下=《参照:古川真人「生活は座らない」 崔実「pray human」 高山羽根子「首里の馬」 佐々木敦

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2020年3月22日 (日)

同人雑誌季評「季刊文科」80号=谷村順一氏

「ほんとうのこと」
《対象作品》稲葉祥子「あやとり巨人旅行記」(「雑記囃子」第24号・大阪府)/キンミカ「チキンファット」(「mon 」vol15・大阪市)/飯田未和「茄子を植える」(同)/佐伯厚子「紫の旗」(「樹林」vol 657・大阪府)/長谷一馬「ザリガニのメッセージ」(同)/秋尾茉里「季節」(「babal」3号・大阪府)/同「動く物」(「白鴉」31号・兵庫県)/大新健一郎「協力者」(同)/新谷翔「ガンズエリア」(「組香」第4号・大阪府)/水無月うらら「可燃」(「星座盤」vol .13・岡山県)/谷山結子「ギフト」(「せる」第113号・大阪府)/松田恵美子「たまごについて」(同)/丹羽加奈子「ミドリさん」(じゅん文学」第101号・愛知県)/切塗よしを「その風は蒼ざめていた」(「あるかいど」67号・大阪府)。

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2020年3月19日 (木)

文芸同人誌「私人」第100号(東京)

【「百号の年月」尾高修也」】
 朝日カルチャーセンターの尾高小説教室講師の100号に至るまでの経過と同人誌観が記されて居る。自分は、文芸同人誌の時代の変遷や動向に多少の知識があるだけで、全容を知らないので、大変に参考になった。まず、本誌は1990年にはじまり、4回発行してきて100号を迎えたという。「かつては小説教室に集まる人が多く、そのなかから同人雑誌を出したいという声が自然に生まれた。が、現在それは自然なことではなくなっている。」という。数ある小説教室のなkで、同人雑誌を出してるのは少ないらしい。その理由として、作家による作家教室でなく、元編集者が教える教室が増えたことと関係がるのかも知れないと、ある。元編集者系の講師になると、「考えがビジネスライクになり、教室は新人賞をとらせるための実践教室といったものになりがちなのだろう」ともある。なるほど、そうなのかと理解する。
 さらに、「小説を書くという二とが、いよきわめて孤独な行為になってしまっている.、社会の転変のなかで、書き手の孤立が進んでいる…」
ともある。
  また、「いわゆる小説教室の最初のものは、朝日カルチャーセンターにおける駒田信二氏の.『小説の作法と鑑賞』であった。1976年年1月の開講で、はじめは週一回の講座が.一カ月で終わるはずだったという.『書き方』は.3カ月教えれば十分。というのが学校側の考えだったのだろう.その後受講生が嘆願して、教室がつづくことになったのだそうだ。」とある。ーー自分はこの時代のことは何も知らないので驚く。
 その当時、「主婦たちが小説を書く」ということが.マスコミで面自半分にとりあげられた。.暇をもて余した家庭の主婦の遊びごと、という見方である、さらに、基本的に、小説の書き方は教えられるものか、という疑念があったのである。ーー駒田氏の教室で学んだ重兼芳子さんが「やまあいの煙」で芥川賞を得て.駒田氏に対する股誉褒疑の騒ぎが大きくなっていった。いまから見て、「主婦」ということばが強調されすぎているのに驚く。そのへんの事情はたしかに変わってきた。駒田氏開講の十数年後、私が「私人」の教窒を始めたころは、相変わら.ず婦人雑誌が取材にきたりしたが、すでに騒ぎは落着いていた。それでも、「私人】創刊号の創作欄は全貝女性の作品で占められている。それが三十甲後の現在と違うところである。ーーそうなのか、と納得。そこからいわゆる、小説家と作文家に、分かれて、同人誌に多くの作文家が存在することになったらしい。
【「『私人』100号に寄せて」鈴木真知子】
  小説教室の「私人」について、生徒としての学びを述べるなかで、雑誌「文学界」の同人誌評の1993年から2008年の間に、取り上げられた回数が記してある。評者は、大河内昭璽、勝又浩、松本徹、松本道介。そのなかで46名が取り上げられ、ベスト5が8名、下半期最優秀賞が1名という実績を持つとある。純文学としてであるためか、文人として活動する人が少ないのだなと、わかる。例えば、自分が所属して、今年141号で休刊した「砂」誌は、自分も入れて、「文学界」の同人誌評は何人かは不明。「群像」に転載1人、「週刊新潮」に転載1人、新潮新人賞受賞作家1人、「婦人公論賞」1人、「日本ミステリ大賞」作家1人、売り込みで商業誌作家1人という実績である。たた、それらの人とは音信不通のまま休刊となった。自分が「砂」に寄稿していたのは、印刷会社の社長が親友で、原稿不足で本が出せないというので、寄稿していた関係である。マーケティングライター生活をしながらでもあった。作文が多かったが、そのなかで、コピーライターでは書けない悪事を働く警官を事実に基づいて書いたら、警官がこんな悪いことをするはずがないと、掲載されなかった。今ではそんなことないであろうが、自分は大衆的感覚という点で、そういうことのバロメータとして、同人誌の人たちの感覚に興味を持った記憶がある。
発行所=東京・朝日カルチャーセンター。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2020年3月18日 (水)

東野圭吾『クスノキの番人』、アジア多言語版を世界同時期発売

 日本のミステリー作家の作品が、国際的に翻訳で知られるようになった。日本語という制約で、発行部数が国内に限られるのが、作家には不利に働いている。それでも大沢在昌などもアジアに読者をもつ。東野圭吾もアジアでは人気作家である。実業之日本社は3月17日、東野圭吾氏の書下ろし長編『クスノキの番人』(本体1800円)を発売した。
 今回、同氏の作品では初の試みとして、日本での発売と同時期に、中国語簡体字版(中国・新経典文化股份)、中国語繁体字版(台湾・春天出版國際文化)、韓国語版(韓国・素美メディア)が海外で発売される。
 中国語繁体字版と韓国語版は日本語版と同時である3月17日に、中国語簡体字版は新型コロナウイルスの感染拡大の影響から5月以降に発売される。発売エリアは、中国、韓国、台湾、香港、シンガポール、マレーシアなど。日本の書店においても、各国語翻訳版について実業之日本社が発売元となり、3月25日から販売開始する予定(中国語簡体字版のみ5月以降)。本体価格はそれぞれ2400円。

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2020年3月15日 (日)

西日本文学展望「西日本新聞」(2月26日・水)朝刊/茶園梨加氏

題「人生模様」
柴垣功さん「ここは無人駅」(「詩と眞實」850号、熊本市)、杉山武子さん「坂道」(「火の鳥」29号、鹿児島市)
都満州美さん『海の見える丘』(海峡派社)、同「リカバリー・ルーム」(「海峡派」147号、北九州市)、「詩と眞實」850号記念号より宮本誠一さん「フラワー」・木下恵美子さん「蝙蝠(こうもり)」・辻一男さん「柵」
《「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ》

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2020年3月14日 (土)

文芸同人誌「火の鳥」第29号(鹿児島市)

【「坂道」杉山武子】
 80代の女性の人生回想録である。幼少期には、戦前に中国にいた。形式設定からすると、同人誌にありがちな、作文的人生回想記のように見えるが、そうした予想に反し、題材が同じでも、個性的な手法で文学性豊かな告白録に仕上げている。まず80歳になった語り手であるが、人生経験の豊さかから、酸いも甘いも受け止め、おっとりした心的な境地に達することができないという心境が提示される。いまだ「わたしの人生からの理想と自由を奪った人たちへの恨みは消えない」のである。強いモチベーションを語り手に与えている。
 さらに、中国吉林省にいた時の幼児期の記憶を詩にして記す。このような手法は、フランスの作家ミシェル・ウェルベックがすでに使用しており、それが状況説明に説得力を加えている。
 これらの要素により、読者は語り手に距離感をもちながら、話に強い関心をもつ。母親は亡くなり、父に育てられた子供たちの一人であった彼女の苦労話の重点は、戦後帰国して結婚したことからはじまる。見合い結婚の多い時代だが、運よく彼女は、誠という格好の良い男と恋愛結婚する。長男である。
 社会的な家父長制度のなかで、女性の立場は今も昔も大きく変わっていない。先日は、国際女性デーであったが、問題提起は昔からの因習からの解放である。その日本の具体的な構造とそこから脱却しようとする過程が、ここに記されている。誠の嫁になると、姑の義母が、これからは家族の一員になったと言われるが、実際は家族の奴隷であることがわかる。誠の家族と、長男という夫の立場から、金を出して実家の家を建てるが、夫婦はその建てた家に入れず、貸家に住んで、住んでいない実家のローンを返すという悔しい思いもあある。この辺は、自分の母親の愚痴にあったような出来事で、その後の実家の血縁関係と外からの嫁の差別的な待遇などは、身近な親類から良く伝えられた話と同じである(根底に人類的なテーマであるが)。とにかく、スピード感をもった語り口は、同人誌作品をとしては類の少ない、眼を逸らさせない面白さである。新型コロナウィルスのパンデミックなど、歴史的なできごとを背景にするなど、現代性をもった、生活雑記の表現に工夫を期待したいものだ。これから起きることは、若者も年寄りも同じ初めての体験なのだから。
【「Z嬢の嘆き」本間弘子】
 風刺精神の横溢した見事な表現力に感銘。全体が現代生活に対する、如何に過ごすべきかの問題提起になっている。しかも意図的であることに、創作力の豊かさを感じる。
【「随筆「のどかな日々」(全十編)鷲津千賀子】
 日常の断片を掌編的な表現でつなげたもの。まとめると中編になることがわかる。試みとして、成功しており文学の世界に入るものもある。これといった物語がないことでも、手法によっては自己表現の作文の領分を越える可能性をもつことがわかる。菊池寛は、「文章読本」という著作のなかで「観点」を持つことで、文学になるという主旨のことを書いている。
【「籠矢」稲田節子】
 思春期の世代の物語であるが、まさに従来に純文学とされたジャンルの作品である。この世界は、はロラン・ローランのジャン・クリストフの前半に描かれていることに並ぶ。芥川龍之介は、ロランのこの作品に感銘を受けたと、どこかに書いてある。同人誌にそれほど多くはない美意識のセンスのある秀作に読めた。
【「キンモクセイの香り」上村小百合】
 工夫をした設定で、蜂頭境という変わった姓の家の女友達がいて、その家を去ったが、同じ場所に変わったその姓の表札を見る。そこから普 通人の生活ぶりを焙りだす。意欲作である。
 【随筆「令和の公人・平成の私人」大迫蓉子】60代で母親の介護をしていて、自身が体調を崩した時の事情が活写されており、情報共有したいところもある。しかし、そうなるときりがないので、このへんで…。総括して、このような作品群の列挙であるなら、自己表現中心の同人誌としてのエリアを越えていて、存在意義を感じる。
発行所=鹿児島市新栄町19-16-702、上村方。火の鳥社
紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2020年3月13日 (金)

「第四回文学フリマ前橋」3月22(日)の開催を中止

  2020年3月22日(日) に予定していた「第四回文学フリマ前橋」は開催を中止することになった。文学フリマ前橋事務局では、現在国内で発生が確認されているCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)にかかわる情報収集、および開催の可否等を検討。開催に向けて事務局からの感染症対策をに大いなる理解を受けていた。しかし、3月10日(火)に示されました新型コロナウイルス感染症対策本部の政府方針および、前橋市の周辺文化施設の休業状況などを勘案し、「第四回文学フリマ前橋」を【中止】とした。
  事務局では来年(2021年)の通常開催に向けて準備をするという。すでに会場とも調整を行っており、次回開催については追って告知するという。

 

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2020年3月11日 (水)

文学賞の贈呈式の延期、中止ー日本ファンタジーノベル大賞、第23回「日本ミステリー文学大賞」

文学賞の贈呈式の延期、中止が相次いでいる。光文文化財団は、3月23日に開催予定だった第23回「日本ミステリー文学大賞」、同「同新人賞」、同「鶴屋南北戯曲賞」の贈賞式を延期することを決めた。開催時期は同10日現在、未定となっている。新潮文芸振興会は、3月24日に開催予定だった「日本ファンタジーノベル大賞2019」の贈呈式および祝賀パーティーの中止を決めた。 受賞者への授賞は、選考委員および関係者のみで執り行う。

 

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2020年3月 7日 (土)

講談社「吉川英治4賞」を発表

講談社は「吉川英治4賞」を3月2日に第54回「吉川英治文学賞」、第5回「同 文庫賞」、第41回「同 文学新人賞」、第54回「同 文化賞」の受賞者・作を発表した。【吉川英治文学賞】該当作なし。【同 文庫賞】小野不由美氏「十二国記」シリーズ(新潮文庫)。【同 文学新人賞】今村翔吾氏『八本目の槍』(新潮社)、呉勝浩氏『スワン』(KADOKAWA)。【同 文化賞】國井修氏(グルーバルファンド)、橋本操氏(NPO在宅介護支援さくら会代表取締役社長)、雑誌「子供の科学」(誠文堂新光社)。当初は発表当日に受賞発表記者会見を予定していたが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を鑑みて、プレスリリースによる発表となった。贈呈式も延期を決定。開催日時が決まり次第案内するという。

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2020年3月 6日 (金)

第1回「令和小説大賞」決まる 第1回「令和小説大賞」遊歩新夢、谷山走太の両氏

第1回「令和小説大賞」(LINE、日本テレビ放送網、アニプレックスの3社共催)3月3日、第1回「令和小説大賞」の受賞者・作を発表。大賞に遊歩新夢「星になりたかった君と」、選考委員特別賞に谷山走太「負けるための甲子園」と、エフ「なぜ銅の剣までしか売らないんですか?」の2作を選出した。同賞は3社が昨春、新たな才能を発掘することを目的に創設。小説プラットフォーム「LINEノベル」を通じて応募受付を行い、4440作品が集まった。受賞作品はLINEノベルで読むことができる。


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2020年3月 4日 (水)

文藝誌「浮橋」第4号(芦屋市)

 【「呪いの海」―承前】】

  連載の後半ということになる。東日本大震災から7年。被災して家族を失った古川伸子は、神戸に避難している。災害の様子を文章化した記録的な作風。後世のために残しておきたい作品でもある

【「早春の円通寺」島 雄】

   かなり禅的な宗教体験をもっていて著書もあるいう作者が、円通寺にいき、住職と禅問答のような会話をする。堅苦しそうで、ユーモアがあり、悟りにこだわることが、悟りから離れることだと思える。

【「箱の中」佐伯圭子】

 箱の中に住むと、人間のもつ幻想の世界を体験する。理屈をつけずに、ひとそれぞれの感受性にあった世界を展開する。読むと奇妙な体験感を得られる。

【「青さぎ」青木左知子】

 定年退職したあとの自適生活を送っている男が、知っていながら知らない風景の土地に行く。しかし、それは突然の病気で、意識を失い、幻想の風景であったらしい。意識を取り戻して、そのことを悟る。いかにもありそうな、意識の作用の不思議を感じさせる。その幻想の風景の描写は、自分も似たような風景を幾度も見るので、なかなか読みごたえがあった。

【「奇譚 竹取物語」春水】

 日本の古典伝説である「竹取物語」の意図はなんであるかの考察を描く。諸説が簡単に紹介されていて、面白い。

 【「激震」曹達】

 連載小説で、本篇だけで中編小説並みの長さである。今回は京都の不動産取引がどんなものであるか、日本のバブル経済の時期の京都という土地取引の様子が、描かれる。京都はかなり特殊な土地柄であるころがわかる。その割に、傍観者的な人物が平板で、なにが激震なのかは、まだわからない。

【「水を売る人」小坂忠弘】

 山縣さんという不動産業をする知人と「ぼく」の関係を描く。阪神淡路大地震の被害にあったはなしなどを絡ませて、交際関係を描く。これも、人物の描き方が浅く、意味の伝達が物足りないような気がする。

 そのほか、短いものや長編があって、一言触れたいものがあるが、読書速度能力が悪くなり、さらにパソコンの扱い方の不調により、このへんで終わらせたい。

発行所〒659ー0053芦屋市浜松町5-15-712、小坂方。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2020年3月 1日 (日)

退屈と愛情不足感が生み出す気分

 人は、退屈する動物であり、愛情を内包することを必要とする。自分が文学作品から得た表現のなかで、このことを感じた。社会的な事件を起こした人物の情報を得ることに、その人の内面的な空虚さや、退屈感を推しはかってしまう。同時に幼児期に愛情の不足がなかったのか、などを考えてしまう。そうした観点から生まれたのがこの評論である。《徳田秋声「仮装人物」が描く山田順子の人間性(16)伊藤昭一》。すでに、文化的な表現の主体は、視覚的な映像イメージに奪われてしまったが、文章による表現の独特のものは、哲学的な抽象表現世界との連結において、優位性は揺るがないように思う。

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