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2020年1月31日 (金)

同人誌時評「図書新聞」(2020・2・1)評者・志村有弘氏

 堀江朋子の「売出し中」(「文芸復興」第39号)は、副題に「西武池袋線沿線・想い出の記」とあるように、作者ゆかりの私鉄沿線の想い出を綴る。堀江の父は上野壮夫(詩人・小説家)。一家が奉天(瀋陽)から引き揚げてきたときに住んだ江古田の借家、勤めた保谷市にあった民族学振興会、通い続けたひばりが丘の歯科医院。民族学振興会で知り合った若林つやの悲しい恋も綴る。後に堀江が民族学振興会の跡地を訪れたとき、生え残っていた竹を見つけ、若林が時折竹藪に石を投げていたのを思い出し、「時代と世間に」石を投げていたのだと思う。堀江一家と親交のあった平林彪吾の息子(松元眞)の心優しい風貌、だが、その病床の姿は涙を誘う。つやの死も涙。特攻隊の少年志願兵であった肇(壮夫長男)が死去したおりの慟哭する母の姿。作品末尾の「時は去り、人は逝き、私はここにいる」・「私も今をひたすらに生きるしかない」という文章が心に残る。ふと、人生とは諦念の繰り返しであるのか、と思う。堀江朋子は、見事な文人だ。
 関谷雄孝の力作「竪川河岸通り春秋‐躯の芯の無造作に丸められた固まり‐」(「小説家」第147号)が、「私」の少年時代から起筆し、医師となり、患者と向き合う姿を綴る。作品で見落としてならないのは、自分の「躯の芯の暗い所に柔らかい球のような形のもの」を「大切にしなければ」ならぬと意識し続けてきたこと。これが「私」の根底に存在し続ける。若年性家族性ポリポージスを患う中村一若(高校生)の手術、その後の一若と向き合う誠実な姿に感動を覚える。結局、一若は後に死去するのだが、「私」は一若の存在を忘れることができない。作者としては書いておきたい作品であったのだろう。
 藤川五百子の「マイマイガ毛虫と芋虫」(「文芸長良」第39号)の主人公は、登校拒否を続ける香子(中学生)。香子は小学生のとき、いじめにあい、不登校となる。害虫のマイマイガ毛虫の駆除に熱中したりするが、布団を被って芋虫のように寝る。やがて、訪ねてくる人と言葉を交わし、家事もするようになる。母は教師、入院している父は酒好き。祖父は家に帰ってこない。そうしたなか、祖母が倒れた。香子が祖父にスマホで連絡し、祖父が家に来た日、祖母に異変が起こる。そのとき、香子はペットボトルに詰めた毛虫たちは今どうなっているだろうか、と思う。作品はそこで終わる。家庭の状況は大変だが、成長してゆく香子の姿に安堵。優れた構成力、簡潔な文章、場面の展開も早い。
 藤蔭道子の「風のうた」(「風の道」第12号)は、散文詩を思わせる短編小説。作品の語り手吉方治子(四十九歳)は、母が亡くなり、兄と相談して空き家となった家を処分した。更地となった土地を見にきて、引っ越してきたときのこと、坂の上のお屋敷に住む坊やちゃんのこと、庭を愛した母のことを綴る。お屋敷もとうの昔になくなり、「いまとなっては、すべて幻」と記す。乙女椿、柊南天、木蓮、百日紅など様々な花が示される。作者の技倆であろうか、そうした花々がなぜか寂しく感じられる。治子は、再び来ることはないだろうと思い、道を歩きながら「夏草や兵どもが夢の跡」の句を口走る。そうだ、母も治子たちも家族みんなここを拠点として戦い、生きてきたのだ。
 エッセーでは、「吉村昭研究」が48号を重ねた。今号は第11回悠遠忌の講演録等が軸になっているが、ひとりの文人の研究誌を発刊し続けていく努力に、敬意を抱く。
 詩では、たかとう匡子の「花ばな問答」と「蜂騒動記」(時刻表第6号)が圧巻。「花ばな騒動」は、山茶花を視座とする作品。夢幻の世界を想起させる箇所があり、詩語の配列と展開が見事。「さらにさらにさらに」、「ひとひら/またひとひら」という、平仮名表記の反復技巧。女性ならではの表現も感じられ、優れた詩才に感服。「蜂騒動記」は、前半に蜂を退治する光景をコミカルに描き、最後に空き家現象・独居老人の死に触れて、過疎化日本の現状を示し、末尾に取り外されたオオスズメバチの巣が福祉センターの「自慢の置き物」になっていると結んで、苦笑を誘う。たかとうならではの作品である。 以下略)
《参照:堀江朋子の西武池袋沿線の想い出を綴る秀作(「文芸復興」)――関谷雄孝の誠実な医師の姿を描く力作(「小説家」)

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2020年1月29日 (水)

文芸時評・2月(産経新聞・1月26日付)石原千秋教授

  人は本当に悲しい体験は言葉にできないものだ。「悲しい」と言葉にすることで、その体験から自分だけにとって意味を持つ固有性が失われ、誰もが口にすることができるあの「悲しい」という凡庸な言葉になってしまうからだ。それは自分の人生が否定されるほど辛い。しかしそのことは、誰にも伝えることができないと信じていた体験を人に共有してもらうほとんど唯一の方法でもある。そして「悲しい」というとき、「悲しい」と口にするそれぞれの人がそれぞれ人には言えないほどの辛い体験があると身をもって知ることでもあり、「悲しみ」の固有性を諦め、「悲しみ」の共同体に参加することでもある。それでようやく社会の一員に復帰できる。それは自己治癒だと言ってもいい。事実、過去を話すアラムは限りない優しさと穏やかさを得たようだ。言葉、ことば、コトバ。言葉は人を傷つけ、諦めさせ、そして癒やす。文学に関わるほどの人なら誰でもわかっていることだが、それをみごとに舞台化したと思った。

 フランツ・カフカに未完の遺作がまだ残っていたらという設定の、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出「ドクター・ホフマンのサナトリウム」(神奈川芸術劇場)はこのうえなくよかった。主演の瀬戸康史は「関数ドミノ」がすばらしかったが、テレビではなく、舞台がいい。

《産経新聞:【文芸時評】2月号 早稲田大学教授・石原千秋 言葉は人を傷つけ、癒やす

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2020年1月28日 (火)

文芸同人誌「メタセコイア」第16号(大阪市)

【「白い闇」和泉真矢子】
 恒子は58才。義母の葬儀、教会の献花式に参列しているところからはじまる。彼女は股関節に先天性のゆがみがあり歩く姿に影響がでている。夫の姉もクリスチャンで、恒子はその縁からか、バツイチで子供が外にいる夫の圭一と見合い結婚した。いわゆる容姿に劣等感のある恒子の結婚生活の現状を描いたもの。なにか現世に不足を感じる恒子の気分をぐずぐずとした書き方で描き、純文学的作品ではあるが、クリスチャンにおいて、救いのない生活の心の闇が、印象に残った。このような事情を手際よく描いてしまったら、通俗小説になってしまう。すっきり描かない手際の悪いのだが、ポイントを抑えた書き方が純文学的になることの皮肉を感じる。
【「愛はきっと不平等」よしむら杏】
 離婚した女性が、さまざまな経過をへて、元の夫に再開するまでをひねった手法で描く。元夫は、原発事故で汚染された地域で、除染作業を行っている。除染を請け負った会社は、集めた汚染落ち葉を、川に流してしまおうとする、それに抵抗感を感じた元夫は、その事実を外部に告発する決心をする。前半はもたもたするが、後半の元夫婦のメールのやりとりのあたりから、俄然筆が締まってきて、良い結末にしている。
【「大晦日」北堀在果】
 正志が、どうしたのかという前提なしに宝塚駅の様子から始まる。その後、家族の事情が過去形で語られるので、正志が若くない男で、両親とは、勤めてすぐ別居したが、年に一度は、実家に寄っている。父親は同居時代に、会社をやめ、介護事業をしていた。作者の語るところから、昭和時代の家族制度のなかで、そのしきたりに、従ってきてきた正志であることがわかる。両親の面倒をみる必要があるという体場かたか、いわゆるババ付きという環境にみられ、結婚相手にも敬遠される。その苦労と苛立ちが描かれている。団塊の世代の家制度の変化の状況の一例として読めた。父親との関係が描かれているが、表現が浅く全体を漠然とした印象にしている。
【「虹の切れ端」桜小路閑】
 22世紀の近未来小説で、南田洋はアンドロイドの安藤愛をお手伝い訳のと同居人として迎え入れる。原子力の欠点は、技術革新で解決されたなどの説明がある。なにを表現したのかわからないが、おそらく未来生活を想像して書きとめたのであろう。
【「名残り」マチ品】
 どこの場所かわからぬ見知らぬ風景、書き手だけ知っている女とか、自分の持つイメージを描いた散文。退屈なことこの上ない。なにか読み落としがないかと確かめていたら、電車を乗り越してしまった。前衛的というほどでもないが、わからないイメージなので、きっと純文学なのであろう。
【「おお牧場はみどり」楡久子】
 語り手の女性は若くもないが、近くに年老いた両親が住んでいる。週に一度は泊まり込みに行って、両親と過ごす。退職している夫は、良く彼女の家事を手伝ってくれる。その生活ぶりが、軽快な文章で表現されている。いろいろあった人生を生き抜いて、無事で穏やかな生活をしてることに感謝と安堵をする様子が巧く描かれている。気がかりな両親も、彼女の娘が一緒に住むらしい。みんな頑張って生きている。日々是好日を浮き彫りにする。
【「遺産」多田正明】
 伯母が亡くなって、遺産が何億かあり、それを相続人で分けると、4千万円弱にるという。そこら、どうしてそのような大金を作ったという思い出話。言うことなし。そうですか、という読後感である。
発行所=「メタセコイア」の会、多田代表。連絡先=〒534-0002大阪市都鳥区大東町1-5-10、土居方。編集長・マチ品。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2020年1月25日 (土)

相模原市の施設の殺傷事件の推論

 植松被告が法廷で、人類繁栄のためにやった、と解釈できるような、行為の正当化する発言をしたとメディアが報じている。思想としては理屈になっている。その趣旨に、反感を持って受け取った人と、戸惑いを感じる人がいることだろう。自分は、彼が物心ついた時期からその思想があったのだろうか? と考えた。おそらく、そうではないであろう。それと成人してから生活のために施設に就職したと述べた、という情報がある。生活費を得るために就職するならば、なにも施設に勤める必要はない。ほかの仕事も選べたはずである。このことから、彼はある時期から障碍者の存在を気にしていたのではないか、と推察することができる。人間は先天的に真・善・美への価値観をもつと考えられている。要するに、その価値観を感情のなかに取り込む能力をもつ。そうとすると、健常者が障害者に接した時に、なんらかの感情が湧く。まず「可哀想」。それと可哀想だが自分がそうなったら困る、いやだという、恐怖感も持つであろう。自分がひとつの仮設として考えるのは、植松被告は、自分はそうのような運命にありたくない、という恐怖感を抱えていたのではないか。その無意識の恐怖感を抑えるために、自分の納得する理屈を考え、行動したのではないか?という推論が成り立つ。実際は障害者は、人類が絶滅しないための備えとして、存在しているという発想もある。例えば、集団で多くの健常者とされる人々が、過酷な環境に置かれたとき、一斉に同じ行動をしたならば、それが誤りであったならば、全滅する可能性もある。しかし、それと全く異なる障害者とされる人がいて、行動を別すれば、その人たちは生き残る可能性がある。そのために障碍者とされる人が生まれるように、人間に仕組まれているもかも知れないのだ。近年では、福島原発事故の際、飯館村の人たちは、放射能から避難したつもりで、放射能のホットスポットに入り被ばくしてしまった。もし、放射能が強かったら、全滅していたかも知れない。しかし、そのなかに、わけのわからない障害者とされる人がいて、「自分は、そっちに行きたくない、別の方向に行く、と主張して実行したとすれば、彼は生き残る可能性があるのだ。そして、人類の存続を維持しることができる。著者宣伝サイト《「文学が人生に役立つとき」(伊藤昭一)の目次と解説

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2020年1月24日 (金)

スマホに切り替えるか、ガラケーの両方を使うか

  たまたま楽天モバイルの記者会見が東京・恵比寿店であったので、行って見た。そこで、無料サポーター体験者を募集していたので、早速、申し込んでみた。ガラケーしか持っていないので、新規申し込みで、楽天会員になった。《参照:ガラケー&スマホへ!楽天2次「無料サポーター」に応募 》応募者の抽選があるのだが、2万人の応募があり、すでに締め切ったという報告がガラケーに入ってきた。これで、無料体験の対象者になれば、スマホになれて切り替え可能になる。もし、対象者になったら、スマホ形態電話に移行することも考えている。電車やバスのなかでは、スマホを見ている人が多い。なぜ、そんなに見る必要があるのか、不思議だ。実際に自分も体験してみたいと思う。現在の自分は、乗り物に乗ったときは、送られてきた同人誌雑誌を読んでいる。それが、スマホになると、そうでなくなるのか、試してい見たい。今は、関西のわりと純文学系の同人誌を読んでいる。総じて、同人誌作品は、レベルは高いものでも、書き出しの1ページは、まったく余計で、読まなくてもよい書き方になっている。だれが、どういう理由で無駄話から始まるようにしたのか、あるいは、なぜそうなるのか、自分には謎である。同人雑誌は、団塊の世代が次々と参加してくるので、ないと思う。ただ、こうした読まれない書き方を踏襲しないとよいのだが。

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2020年1月23日 (木)

「本屋大賞」2020ノミネート10作品を発表

  「本屋大賞」ノミネート10作品を2020年1月21日、本屋大賞実行委員会が発表した。昨年11月1日から今年1月5日まで受け付けた1次投票には、全国477書店、書店員586人が参加。集計の結果、下記の10作品がノミネート作に決まった。
 砥上裕將『線は、僕を描く』(講談社)/早見和真『店長がバカすぎて』(角川春樹事務所) /川上未映子『夏物語』(文藝春秋)/川越宗一『熱源』(文藝春秋)/横山秀夫『ノースライト』(新潮社)/青柳碧人『むかしむかしあるところに、死体がありました。』(双葉社)/知念実希人『ムゲンのi』(双葉社)/相沢沙呼『medium霊媒探偵城塚翡翠』(講談社)/小川糸『ライオンのおやつ』(ポプラ社)/凪良ゆう『流浪の月』(東京創元社)/なお、3月1日まで2次投票を受け付ける。大賞作品の発表は4月7日。(新文化)



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2020年1月20日 (月)

文芸同人誌「季刊遠近」第72号(横浜市)

【「妹」小笠原欄】
 妙子の妹は精神に変調をきたすことが多い。姉として、妹と同居していたが、彼氏ができると、彼と同居してしまう。その彼氏が、妹の精神変調が悪化すると、妙子に助けを求めてくる。そこから妹を精神病院に連れて行く。入院が必要とされる。いまは統合失調症ともいうが、妹の面倒を見ることの負担、ストレスの生じるところは、何らかの身近な人との体験談が入っているようだ。こうした病人をかかえた家族の苦労話として、同じ立場の人の慰めにはなるかもしれない。小説としては、作者の思想などが反映されておらず、迷える姉の姿を投げ出すように描いているのが、読者の共感を呼ぶかどうかは、体験者次第であろう。
【「伝言」森なつ美】
 急な雨に、駅で困惑している彼に傘を貸してくれた若い女性がいる。彼女とは、傘を返す日を決めて、駅で会うことにする。その日がきて、彼女と交際することもなく、ただ、借りたものを返して関係が終わってしまう。まさに、何も起こらず、現実そのままの話だが、それを題材にしたのは、悪くはない。ただ、ストーリー的な起伏を持たない話には、作者の思想や感覚を付加するような工夫が欲しい。
【「逃げる」花島真樹子】
 前回の「優曇華ー」では、19世紀的リアリズムで、濃い味の文学的な作品を発表した作者であった。今回は、若い頃の海外体験と現在性を合わせた話にしている。長年妻子のある男と関係をもってきたが、老いが近くなって、男から別れ話が出る。それを受け入れるしかないと理化できるが未練が残る。それを振り切るために、ジュネーブにいる友人のところに遊びに行く旅行記も兼ねた話。ジュネーブでは、80や70代の女性が愛人を持つことが通常化していることに驚く。結局、帰国して未練を押し殺して彼氏と別れることになる。定型小説ではあるが、面白く読める。
【書評「『消される運命』マーシャ・ロリニカイテー清水陽子訳」難波田節子】
 リトアニアの作家が、ドイツナチスの時代を描いたもので、とにかく普通に読めるし勉強になる。評論しないところが、最近の作者のモチベーションが表れているように思える。
発行所=〒235-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方、「遠近の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎
 

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2020年1月17日 (金)

「詩と思想」2020新人賞に黒田ナオ氏

 先日、「詩と思想」誌の新年会に参加してきた。《第28回「詩と思想」新人賞に黒田ナオ氏!新年会と贈呈式 》自分は亡き伊藤桂一氏が審査委員をしていたので、そのころから参加し、伊藤先生と情報交換をしていた。先生の亡きあとも、参加して今回にまで至った。不思議なことに?参加者の数は減らない。盛会である。いろいな方々が、挨拶をしていたが、リルケなどの翻訳をしている神品 芳夫氏(ドイツ文学者、詩人。東京大学教養学部名誉教授)が、現代は、オリンピック、パラリンピックの行事で世相は盛り上がっているが、同時にナショナリズムで国民を巻き込む力に利用されぬように警戒すべきであろう、と述べていたのは、共感するものがあった。

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2020年1月15日 (水)

第162回芥川賞に古川真人「背高泡立草」、直木賞に川越宗一「熱源」

 第162回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開かれ、芥川賞に古川真人さん(31)の「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」(すばる10月号)が選ばれた。直木賞は京都市在住の川越宗一さんの「熱源」(文芸春秋)に決まった。
「熱源」は樺太に生きるアイヌの人たちの物語
 明治から昭和前期にかけて、帝国日本とロシア・ソ連との間で揺れた樺太(サハリン)に、たくましく生きるアイヌの人たちがいた。川越さんの長編第2作「熱源」は、数奇な史実を導きの糸に、極東の島と欧州を股に掛けて紡がれた壮大な物語だ。「困難な時代、故郷を失った人がどのように生きたのか、想像したかった」
 北海道・対雁(ツイシカリ)村。千島・樺太交換条約(1875年)に伴って移住してきた800人以上の樺太アイヌが暮らしていた。その中のヤヨマネフク、シシラトカ、千徳太郎治の若者3人が物語を動かす。同世代の和人からは「犬」呼ばわりされ、学校では「野蛮なやりかたを捨てて、開けた文明的な暮らしを覚えましょう」と説かれる日々。悩みながら三者三様、自らの生き方を選んでいく。
 時を経て3人は生まれ故郷の樺太で再会する。そして、祖国を失ったポーランド人の流刑者ブロニスワフの人生と交錯していく。「ロシア皇帝暗殺を謀った罪で流され、やがてアイヌの生活を記録することになる文化人類学者。しかも、その弟は後にポーランドを建国するヨゼフ・ピウスツキ。そんな魅力的な人物から、北半球をつなぐ物語の構想が膨らんだ」と明かす。
 アイヌの3人も実在の人物。ヤヨマネフク、シシラトカは犬ぞりの手腕を買われて南極探検隊に加わった。太郎治はブロニスワフとともにアイヌの学校を設立した教育者だ。「終盤は南半球の端まで展開する。少し風呂敷を広げすぎましたね」と苦笑いするが、軸はぶれない。大国に挟まれた「あわい(間)」に生きる人々への優しいまなざしだ。
 主役が入れ替わりつつ進行する。一つの「正義」を絶対視せず、「いろんな視点から、それこそ群盲が象をなでるように、人々の営み、歴史をあぶり出していきたい」から。民族意識や自尊心、排外主義、差別…。「異なる背景の人たちが、同じ共同体で暮らしていくには、どんな想像力が必要なのでしょうか」と語る。読者は、遠い土地、遠い時代の話に耳を傾けているつもりが、ふと、この国の現在に投げ掛けられている問いに直面する。(京都新聞1月15日)

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2020年1月13日 (月)

近代(モダン)文芸同人誌の原点

 文芸同人誌の原点について理解できるのが、菊池寛の出世作「無名作家の日記」である。《参照:「無名作家の日記 (六) 菊池寛》伊藤の評論「文学が人生に役立つときー菊池寛の作家凡庸主義と文芸カラオケ化の分析」の中でこれを読むうえで、事例として一部抜粋したが、文学フリマで販売している時に、「無名作家の日記」を知らないということで、質問を受けたので、正月の会員投稿の少ない時期に、連載して全文を「詩人回廊」に掲示することにした。本当は、最終の文章が一番重要なのだが、同人誌などの作品を読むと、文章芸術に関する認識について、当時の菊池寛よりも、ロマンチックなのがあり、まだモダン文学以前に戻ってしまったのが、ポストモダンなのかも知れない。

 

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2020年1月12日 (日)

アウトサイダーとしての山田順子の生き方

 文芸評論で、読んで役に立つものを目指して書いたのが、《参照:徳田秋声「仮装人物」が描く山田順子の人間性(7) 》である。ここで着目したのが、順子(ゆきこ)の幼少時の体験である。蝶よ花よと、周囲から過剰なほどの愛情を浴びて育った。そこから、自分は彼女は自分の存在が理屈を超えて、尊厳をもつということに疑いを持つことがなかったようだ。これは、人間の尊厳意識について、無意識の中に埋め込まれているもので、後天的に学習するもでないのではないか、という発想がある。であるから、他人からその自己肯定ぶりを批判されても、なんでそのような批判を受けるのか飲み込めない精神構造ができているのではないか、ということである。現代の通り魔的な「誰でもよかった」という発想や、相模原の障碍者殺害の思想も、幼少期の愛情不足のようrのではないか? という仮説も成り立つ。自分は、こりん・ウィルソンの「アウトサイダー」のなかに、アウトサイダーとされた人物の多くが、幼少期に周囲から深い愛情の包まれて過ごしたという指摘に注目。自己肯定感というのは、そうした時期に無意識に精神に埋め込まれていたのではないか、ということを思ったものである。そこから他人に批判されてもめげない自己存在感をもつのではないか。その発想から書いてい居る。

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2020年1月11日 (土)

中断された徳田秋声の小説「縮図」がタイツ柄に

  明治から昭和初期に活躍した文豪、徳田秋声(1871~一1943)の最後の長編小説が今年、女性用タイツの柄となり、パリジェンヌの脚元を彩る。「都新聞」(現在の東京新聞=中日新聞東京本社)で連載された「縮図」。太平洋戦争が迫り、言論統制で中断された未完の代表作だ。秋声の生誕百五十年を控え、出身地の金沢市の会社が当時の連載小説をプリントしたタイツを商品化、パリでの本格販売に乗り出す。(前口憲幸)

《東京新聞1月6日付ーパリジェンヌの足元に「都新聞」 言論統制で中断された徳田秋声の小説がタイツ柄に

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2020年1月10日 (金)

文芸時評1月号(産経新聞12月29日)石原千秋・生きるための悲しみ

村上春樹が群像新人文学賞贈呈式で、〈小説家になったら村上龍という筆名で書こうと思っていたが、先に村上龍がデビューしてしまったので村上春樹でいくしかなくなって残念だ〉という趣旨の「人を喰つた」受賞の挨拶(あいさつ)をしたと、丸谷才一が紹介している(『挨拶はむづかしい』)。村上春樹ファンなら誰でも知っているだろう。 その村上龍が春樹の向こうを張って『ねじまき鳥クロニクル』の書き直しに挑戦したのかと、一瞬わが目を疑った。「MISSING 失われているもの」(新潮)である。《参照:【文芸時評】1月号 早稲田大学教授・石原千秋 生きるための悲しみ

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2020年1月 9日 (木)

丸善ジュンク堂書店が2019出版社別売上げベスト300発表

 書店の丸善ジュンク堂は、2019年の出版社別売上げベスト300を発表。トップ10は、1位講談社、2位KADOKAWA、3位集英社、4位小学館、5位新潮社、6位学研プラス、7位ダイヤモンド社、8位文藝春秋、9位岩波書店、10位幻冬舎で、前年と同順位となった。11位に朝日新聞出版、12位が宝島社、13位が河出書房新社など。上位100社のうち、もっとも伸長したのは『こども六法』がヒットした97位の弘文堂(前年118位)で、金額ベースで前年比25.14%増となった。次いで、62位かんき出版(前年87位)が同23.85%増。3位集英社も同18.64%増と大きく伸びた。(新文化)

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2020年1月 8日 (水)

小河原範夫氏が、全国同人雑誌会議(2019)を報告

 文芸交流会の外狩雅巳氏から同人誌「ガランス」第27号が送付されてきた。なんの意味かと、ページを繰ってみたら、なかに「全国同人雑誌会議に出席して」(小河原範夫)という、レポート掲載されている。なかなかよくまとめられたレポートで、イベントの概要を知ることがでる。そのうちの関連のある話で、シンポジウムがったそうである。「現在の問題と同人雑誌の新たな結合に向けて」というてーまで、パネラーに「季刊文科」誌の編集委員の勝又浩氏、「三田文学」誌の久村亮介氏を迎え、同人誌運営者側からは、「飛行船」誌の竹内菊世氏、「群系」誌の永野悟氏、「ガランス」誌の小河原範夫氏が出席したとある。以下部分を抜粋させてもらうと、--(冒頭に、勝又氏より、同人雑誌は日本独自の文学スタイル。530団体あったが現在は半減している。若者のウェブ利用の影響による。久村氏より、同人雑誌評は現在文學界のあとを引き継いだ三田文学、文芸思潮、季刊文科、図書新聞、週間読書人の5団体で行われている。しかし、評者の年齢層の違いと思われるが、取り上げる作品の評価が分かれ、5団体で評価が重なるのはmパーセント程度という報告があった)。次に、五十嵐氏の司会進行で、パネラーの各同人雑誌主催者並びに会場の出席者から様々な意見が出された。主な意見を要約すると、

①中部ペンクラブより、各地区・ブロックで組織を作り、各地区で文学賞などを設けたらどうか。中部は35年かけてブロック作りをしてきた。

②町田文芸交流会から地域における各団体の交流の提案があった。現在、相模文芸クラブ、民主文学・町田支部、群系の会、みなせ文芸の会、文芸同志会、秦野文芸同人会の5会と個入で運営している。

③同人雑誌の全国組織を社団法人として作ったらどうかという意見が出されたが、事務局の運営や経済的な裏付けなどで議論が紛糾し、議決を取ったがまとまらず、宿題事項となった。

④現状路線で行くにしても、どこの団体も次世代への継承が最重要課題となっている。ブリマなどを見ていると、学生のレベルは高い。大学の文学部などへPR、若い世代をリクルートする方法、若者との接し方、コミュニケーションの取り方など具体例が紹介された。ーー

4.「ガランスの会」の意見・提案=①「一総活躍社会」に騙されないこと。働き過ぎて物質的には豊かになってきたが、精神生活は逆に貧しく荒廃している。商業主義の渦に巻き込まれない同人雑誌のような創作拠点が重要となってきている。しかし現在、同人雑誌が「老人雑誌」と郷楡されるように地位が既められている。若者や壮年層の書き手を呼び込むには、同人雑誌の社会的地位の向上が求められる(会に加わり同人になることが誇りに感じられるような)。②今こそ、「働き方改革」ではなく、「生き方改革」が求められている。人間らしく、幸せに生きるには、自分にふさわしい納得のいく「物語」を見つけるかどうかで決まる。息苦しい社会になればなるほど、創作の場を提供する同人雑誌の役割は大きくなる。「同人雑誌」のキーワードの広がりを期待したい。全国同人雑誌最優秀賞「まほろば賞一の知名度がさらにあがれば(受賞作の出版などによって、若者、壮年層の同人雑誌への参加が北できるーーとしている。詳しくは「ガランス」誌27号(〒812-0044福岡市博多区千代3丁目21、(株)梓書院(☎092-643-7075)を読んでほしい。

 

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2020年1月 6日 (月)

文芸同人誌「アピ」第10号(茨城県)

【「遥かな想い(後篇)」宇高光夫】
 登山趣味色の強い山岳ロマン小説。美里という女性の人生の歩みを山登りを軸に置いて、男女と山岳ロマンを合致させる。美里は、愛した男を失うが、新しい人生への道筋を示して終わる。作者の明確な設計が効果を上げているといえるであろう。参考になる手法でもある。
【「白い夏」西田信博】
 老いた父親がシベリア出兵させられた体験を詳しく語る。負傷し、敗戦になってロシアでの抑留生活の辛い思い出をリアルに描く。シベリアでの日本兵の過酷な体験は、他の同人誌でも小説の題材にされているので、それらを読んでいる自分には、大変参考になっている。自分は、こうした有意義な資料をいかして、現代のロシアを研究し世界情勢のなかで、ロシアの特性を考えることが必要と考える。ロシア人は組織人となると人が変わるのか。人的迫害の残虐性はプーチン大統領の手法においても際立っている。チェチェン人民の弾圧の残虐性もあり、モスクワで起きたアパートテロ事件は、それで政権を強化したプーチンの謀略説も出ている。目下の米国のイラン攻撃を受けて、ロシアはイランをどう支援するのか。(米国は10年に一度戦争しないと、やっていけない国である、と自分は指摘してきた)。考えさせる作品であった。プーチンもトランプもキムもアラビアの国王も立派な暗殺者たちである。そこへいくと安倍首相などは、可愛いものなのか。
【「岸辺の風景(前編)」灘洋子】
 ここでの岸辺というのは、人が死んだ後に、三途の川を渡るという伝説的イメージをもとに、その渡し番の話である。人の死後の世界を舞台にするまで、想像力を伸ばしてきたのは、大変面白い。
【「自費出版その後―北海道―」田中修】
 作者は、ペンネーム「友修二」で「相馬藩家臣大友氏823年の過去と現在」-キリシタン大名大友宗麟との繋がり、そして今を生きるー」(友修二・著)を自費出版した。自分も読ませてもらったが、大友家が、秀吉が計画した朝鮮出兵を命じられたが、当時の大名たちがいやいやながら、戦いに行ったことを推量させる資料もあり、特に大友家はよほど気乗りがしなかったのか、改易という処罰を受けているところなど、興味深い。その後、相馬に行き、子孫が相馬市で原発事故被害にあうという歴史までわかる。その先祖の地、北海道の大友家系の大友章生夫妻と共に、道内ゆかりの地を探訪する。
発行所=〒309-1722茨城県笠間市平町1884-190、田中方、「文学を愛する会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2020年1月 5日 (日)

文芸同人誌「風の道」第12号(東京)

【「雨女~一葉の恋」間島康子】
 なつこというのが、一葉の本名なのか、彼女と彼女の小説を雑誌社に紹介し、世に出そうとする桃水との関係を、日記を資料に描く。しっかりした構成があるらしく、ふたりの好意の生まれる土壌を抑制した筆致で描き、その切ない事情が理解できる。お勧めの連載である。
【「風のうた」藤原道子】
 母親の亡くなった後の家の風景を題材にする。庭の植え込みの植物を目にしながら、モクレンの樹の根の強さと語る。庭の植物を語りながら、常に母への想いがこめられているのがわかる。
【「桔梗」荻野央】
 庭の植物になかなかの蘊蓄を感じさせながら、子供のいない老夫婦のその過去を潜ませた日常を語る。凝った作品である。
【「行雲流水」澤田繁晴】
 「生き乗る技術」で生きとし生けるものの存在に思いを馳せ、自ら生けることの罪業性をかたる。「来し方行く末」「憎まれ老人世にはばかる」「融通」「欲しがりません。勝つまでは」の各章がなどがある。ここの話題は、樋口一葉の伝記のような他人事でなく、自分自身のことだけに限定されている。人は何を語りたいかというと、まず自分のことである。フローベルが「ボヴァリー夫人」をそれは「私」だと、いったというが、ここではそれ以前の、素の「私」を語る。究極の自己表現に至った、それまでの心の経過を推察させる。物語派にばかばかしい話ばかかりである。それにしても、これまで書いていた「澤田家の秘密]は、どうなったのか。
【「日本・私家版「ポランスキーの欲望の館」小川田健太」
 ポランスキーといえば、猟奇的な事件を起こしている有名な監督である。本篇によると「戦場のピアニスト」の前に「欲望の館」というエロチックな作品があるそうである。そこで作者は自らの性的な体験をイメージ化する作品を書き、その過程を同時に記したもの。欲望を自分で掘り起こす作業として読むと面白い。
 その他、良くも悪くもひと癖ある作品が多い文芸同人誌である。
発行所=〒116-0003荒川区南千住8-3-1-1105、吉田方、「風の道同人会」。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

 

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2020年1月 4日 (土)

2019「文芸この1年」東京新聞(12月25日)佐々木敦さん×江南亜美子さん対談(下)

 佐々木 地球や人類レベルの問題をどう書くかという意味で、「世界文学」という言葉が使われるようになった。
 江南 リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』は、人類すら超越した世界を描く。ミシェル・ウエルベック『セロトニン』はグローバル企業が人の心を殺す。
 佐々木 女性やアジア人種への蔑視とも取られかねない独特の視線を含め、ウエルベックの小説や登場人物の持つ心性が許し難いとの意見もある。なのに日本でも人気で、そのねじれに興味があった。
 江南 ウエルベック作品は必ず、欧州的な価値観で動く白人男性が主人公。でも彼の絶望を、アジアの女性である自分も共有できてしまう。属する国や民族を超えて、近代の終わりに生きる人類という共通点があるからなのか。
◆脱人類という視点
佐々木 脱人類、ポストヒューマンという視点も、いろんな文脈で出てくるようになった。そこで名前が挙がるのが村田沙耶香。これまでも『殺人出産』『地球星人』などで、人間が人間であるギリギリの紐帯(ちゅうたい)を切ったらどうなるかという実験をやってきたが、短編集『生命式』でも相当多くの人が受け入れ難いような倫理観や人間観というものを描いている。にもかかわらず、かなり大きな支持を得るという現象も興味深い。
江南 村田は「今あなたが持っている価値観はどこから来たのか」ということを常に問う人。「人間が空気読んで中道に、中庸に生きてどうする」「もっと野性を持て」というメッセージを感じる。
 佐々木 僕が千葉雅也『デッドライン』、江南さんがミヤギフトシ『ディスタント』を今年の十冊に挙げている。ある意味、好対照の作品。かたや哲学者、かたやアーティストの初の小説で、セクシャリティーの題材も絡む。
 江南 千葉は理解してくれるなという拒絶の切実さをキレのある言葉で描く。一方で、自己言及的で読者の誤読を許さない生硬さもある。同性愛者の性愛が徹底してあからさまに描かれるのも特徴。ミヤギは感情の揺れをひたすら繊細に描く。ともに青春小説だ。
 佐々木 千葉は文体への意識が高い書き手。論文を書くように精巧につくりあげている部分と、繊細で個人的な感情が一つになっている。デビュー作として非常にすばらしい。芥川賞候補にもなっている。本業はあくまで哲学者だろうが、これからも書いてほしい。それにしても一九九〇年代以降、異業種からの文学への参入が増えた。《参照:文芸この1年 佐々木敦さん×江南亜美子さん対談(下)

 

 

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2020年1月 3日 (金)

2019「文芸この1年」(東京新聞12月24日) 佐々木敦さん×江南亜美子さん対談(上)


 江南 今年を振り返り、翻訳小説がこれほど話題になった年は近年なかったと思う。特に東アジアの作家がメジャーな場で語られたのが大きな特徴。ブームになったチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』が牽引(けんいん)し、韓国の現代文学が数多く邦訳された。SFでは中国の劉慈欣(りゅうじきん)『三体』もすごく売れた。

 佐々木 確かに欧米の小説はどこか異国の話という感じがあるのに対し、アジアの隣国の話は日本の問題にスライドできることが多い。

 江南 韓国の女性文学がこれだけ読まれたのは、欧米的なウーマンリブに比べて、日本の女性読者の「これは自分たちのことなんだ」というシンパシーが発動したから。家父長制という共通点がある。

 佐々木 #MeToo運動にリンクする形でフェミニズムが注目され、そこに日韓関係の問題がクロスした時、『キム・ジヨン』がコンパクトで読みやすい本として起爆剤になった。従来の「文学」は、その時代の社会と直接的にシンクロするよりも、個人の内面や自我を描くことが多かったが、その傾向が変わってきた。社会的・政治的な問題が「文学」の中にもいよいよ入ってきたという感じがある。

 江南 韓国の作家はセウォル号事故や経済をめぐる政府の失策な ども積極的に主題化する。その態度が輸入されたのかも。

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2020年1月 1日 (水)

文芸同人誌「群系」第43号(東京)

【「賃貸物語『金魚の縁』」小野友貴枝】
 小野沢茜には、離婚して去った夫が残していった4棟の貸家がある。土地柄はどちらかというと森林の多い田舎町のようだ。貸家というのは、大家となった茜の自宅と隣接しているらしい。そのうちの1棟が空いていた。そこに老夫婦が転居してきた。茜は借家人と親しく交流する。今回の借家人は東京から転居してきていた。都会よりもこの土地柄が金魚を飼うのに適しているらしい。茜はこの夫婦にどこか懐かしいような雰囲気を感じる。話をしているうち同郷だとわかって納得する。そして、自宅の池に放置してあった金魚の世話や、知識を教えられる。さらに、夫の男の方が、茜の若い時に交際して、結婚まで考えた男に似ているように思える。その恋人とは、結婚をすることなく、現在は去って行った夫と結婚するまでの気持ちの持ちようを、回顧する。この部分が、良い小説となっていて、恋人的な点では文句のない若者と、地道そうで面白みのないような男と比べた結果、面白みのない男と結婚するまでの心理を詳しく書いている。女心と当時の社会環境のなかでの茜の決断が、興味深く追求されている。
【「リトルストーリー 摩天楼か蓮池か」坂井瑞穂】
 上野公園には入り口がいろいろあるが、地下鉄千代田線の「湯島」駅から私は歩く。そこから不忍池に向かう。話はあちこちに飛んで、ニューヨークから亀戸、「野菊の墓」を書いた歌人の伊藤佐千夫のことなどに触れるが、深く追求せずによんでいくと、上野不忍池の近くのビル建設に職人としてかかわることになる。ボルト締めの手順が、関西と関東と異なるそうで、間違って手間をかけた話になる。実際には、上野には塔のように長く高いビルが建っていた。まるで、上野の森を見下ろすような感じであった。散漫で力点のないような散文詩のようなものであるが、自己表現の延長として面白く読める。
 その他、評論で【「村上春樹 再読(11)-『海辺のカフカ』」星野光徳】、【「藤枝静男評伝―私小説作家の日常(四)」名和哲夫】、【「安部公房『壁』、『S・カルマ氏の犯罪』――公房の砂漠」間島康子】なども読んでみた。
発行所=〒162-0801江東区大島7-28-1-1336、永野方「群系の会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

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