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2019年12月25日 (水)

文芸同人誌「あるかいど」第67号(大阪市)

【「その風は蒼ざめていた」切塗よしお】
 中年男女の同居人関係が、女性が妊娠して結婚に踏み切るであろう、お話。物語の軸は、彼が競馬のビギナーズラックのような感じで、大当たりして大金を手にする。そこからさらに馬券を買う。書いていて張りがありそうで、退屈しないで読める。文学的にどうであるかとなると、同人誌で小説が楽しめるということが、こちらの意識に浸透してきているのかも知れない。
【「馥郁」高原あふち】
 施設に入所しているキトという80代の女性の暮らしと、その生きる姿を的確に描き、読者に襟をたださせるような趣のある作品である。感じのよい純文学作品に読めた。
【「拝啓 風の神様」木村誠子】
 敗戦後のシベリア抑留者の体験談を老人から、過酷な運命を聴く。詩人・石原吉郎論はよく読むが、彼の体験を資料にして物語を構成するのはめずらしい。
【「鼻」池誠】
 市井の近所付き合いを材料に、隣の家のトイレが汲み取り式なために、臭気出し口からの臭いに閉口して、いろいろ手を尽くし、騒ぎになる。話の運びは面白いが、汲み取り式の便所の臭気がそれほど近所迷惑になるのか、そこがあまりぴんとこなかった。
【「因縁の玉――岡っ引き女房捕物帳」牧山雪華】
 よく調べて楽しく書き上げた時代小説のようだ。であるが、登場人物が平面的。読みやすいのが長所だが、銭形平次物を途中から読んでいるような古風な感じがした。謎のつくりに工夫があるが、ミステリーは、登場人物に興味を持たせることが前提にあるのではないか。
【「塀の向こう側」高畠寛】
 昭和の戦後30年代の庶民の生活エピソード。ここにも汲み取り式トイレの話がでてくる。完全に時代小説化した、考えようでは単純な生活ぶりが懐かしくさせる。それにしても、。時代考証的に読み取ってみても、この時代のことをよく記憶しているものだ。
【「産着」石村和彦】
 肉親愛の基本は母と子である。この作品は、息子と余命短い老いた母の関係を語る。それが自然な形で語られる。認知症になった母親への思い。自分の両親はすでに亡くなっているが、そのときを思い出して、ジンとするものがあった。良い散文詩に読めた。
【「歪む」奥畑信子】
 人間は関係の存在で、そのなかで悩む。その関係を経つことで、悩みは解消するはずなのであるが、分かっちゃいるけどやめられないのが、人の性質である。また、関係が持てないとそれが悩みになる。このなかで、絡みついてくる知り合いと断絶する話。いろいろ考えさせる。
【「自作を読む」木村誠子】
 自分の作品を読むといつでも面白い。自分の心の言葉への転換作業の様子が手に取るように再現できるからであろう。ここでは、病気になった姉との関係が作品を書く動機になっていることを明かしている。米国の研究家による普通人の「書きすぎてしまう病」と職業作家の「書けなくなる病」に関する研究所を読んだことがあるが、日本人とは精神構造が異なるのか、ぴんとこなかったことを憶えている。
【「お守りの言葉」善積健司】
 人間の表現する動機と退屈心の関係に触れている。自分も表現と退屈とは関係があると思っている。
【「連想コレクション」佐伯晋】
 日ごろのインスピレーションを数行にして記録している。「はじめに」ふと何かが心にうかぶ。まだ言葉にならずふわふわとしていて、一枚の素描のようなもの。――というようなものを並べてある。小説化だけが文学ではないことを示している。
発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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