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2019年12月 8日 (日)

【文芸時評】11月号(産経新聞11月29日) 早稲田大学教授・石原千秋氏

ーー後半部ーー「かか」はもちろん母親の意味。物語の中盤に「『かかのおなかに腫瘍ができて、子宮の摘出手術をしなきゃならん』と言い出しました。その顔色はわるかったけんど、どこか勝ち誇ったような顔でした」とあり、最後は「うーちゃんたちを産んだ子宮は、もうどこにもない」という一文で閉じられる。母であることはもう女性のアイデンティティーの証とはならないというテーマは古いが、それが子宮に局所化されて語られるところに現代が見えている。
 すばる文学賞受賞作は、高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」。「わたし=薫」は子宮に病気を持っていて、同居する郁也と性交ができない。郁也はお金を払ってミナシロという女性とセックスをするが、ミナシロが郁也の子を妊娠してしまう。ミナシロは一度郁也と婚姻届を出して、その後すぐに離婚するから、子供は薫と郁也が育ててほしいと言う。この荒唐無稽な設定は、現代の女性にとって子宮とは何かという問いを突きつけており、先の「かか」と響き合う。ただ、作品としてはテーマが子宮なのか郁也との性交のない愛なのか薫の実家なのか、まとまっていない。タイトルを重視すれば郁也との性交のない愛がテーマとなるが、それは現代ではただの現実でしかない。
遠野遥「改良」は、タイトルが意味不明。少年時代に友人に「身体は男で心は女」と見破られて(?)しまったミヤベは大人になって女装するようになるが、「本番」をやらないデリバリーヘルス店のカオリと気があっていた。女装していたミヤベは男に襲われ、救いを求めるように美人ではない知人のつくねという女性の家に向かう。このラストでは、性の揺らぎの書き込みが弱くなる。
 新潮新人賞受賞作は中西智佐乃「尾を喰(く)う蛇」。介護施設に充満する歪(ゆが)んだ力と老人の満州体験を重ねるが、うまく構成されていない。とにかく退屈。早く終わってくれと思いながら読んだ。《【文芸時評】11月号 早稲田大学教授・石原千秋 「いま」を書いているか

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