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2019年12月 2日 (月)

文芸同人誌「文芸中部」112号(東海市)

【「二番目の人生」堀井清】
 息子と一緒に事業をしていたが、今は隠居している高齢者の生活ぶりを、独自の静かさをもった文体で描く。文体でこの作者の作品であることわかるという、希有な個性をもつ。これまで、作者が追及してきた、高齢男性の人生を二番目の人生として、普遍化した小説の完成形を目の当たりにできる。ただし、その前提に、生活が金銭的に不足がなく、さらなる金銭的裕福さを追求しない高齢者のケースという環境限定がある。
 季節は冬。町内の役員をしている主人公。息子夫婦と出戻りした娘と同居している。息子の慎一と翔子は、夫婦の間に倦怠的な雰囲気がある。孫は、家を出て独立している。語り手は、嫁の動向に不審なものを持っているが、それに言及しない。夫婦で外食した際に、妻に自分と結婚して幸せだたかと訊いてしまう。それを失敗したと、思う。まず答えのない問いである。孫は、女関係の慰謝料に10万円を貸して欲しいと言ってくる。結局、貸してやる。公園に座って空を眺めていると、詐欺師のような男が誘いをかけてくるが無視する。語り手には癲癇の持病があり、死ぬ時には発作で発狂して死ぬだろうという予感がある。そのた家族関係にも多少の変化があるが、ここではどれをドラマチックに表現しない。底に流れるのは、時間と自己存在への意識である。作者は、ひとつの作風と形式を発明しており、一連の作品には、その時の気持ちによって、妙に読みたくなる持ち味がある。
【「影法師、火を焚く、(第13回)」佐久間和宏】
 自由な発想による語り口で、話題にそって読み進むのに楽しめる。知らない詩の引用なども興味深い。なかでも「中論」の「帰敬偈」などは、現象の定まらぬ姿の本質とも思える空と無の世界をに思いを馳せるところがあった。
【「『東海文学』のことどもから」三田村博史】
 「東海文学」という地域文芸同人誌がどのように中央文壇とのつながりをも持ったかを江夏美好の「下々の女」という出世作が出たことに、どれだけの出来事であったかを、如実に物語られている。中央集権制度の日本ならでは事例として、良い資料になっているのではないか。ここに語られた「下々の女」(河出書房新社)の初版が1971年で大阪万博の翌年である。自分はオーディオ企業のPR機関誌の編集取材のため、新幹線で大阪、名古屋。航空では博多、札幌と飛び周っていた。オーディオマニアというユーザーに音色の好みなど地域色があった。文芸にしても同じであろう。それも情報化の進展で、変わってしまった。時空の隔たりを感じさせる―――。
 その他の作品も読んでいるが、紹介するためのポイントを書くことが出来なかた。こちらの感性の鈍りがあるようだ。本誌全体に作者が同人仲間だけに向けて書いているような、気楽な雰囲気がある。例外もあるが。すべての作品に共通するのは、渋滞がないということだ。巧さが増しているが、その分、惹きつける力が弱い。「水声」(和田知子)などは、鉄道の人身事故に遭遇する乗客のシーンからはじまる。読んでいて、それが問題提起だと思ってしまう。しかし、そうではないのだ。テーマは別にあるらしい。ただ、その違和感を打ち消す巧さもあるので厄介だ。「遠い日の花火」(朝岡明美)は、それなりに、「この人の生き方を見よ」という問題提起であるが、小説が短歌的になってきているのか、と感じてしまう。短歌にもそれなりの一的な感情を凝縮させる良さはある。自分は詩を小説に移行して、評論に向かっている。誰もが自分ならでものが書きたいであろう。その視点で考えると、紹介の仕方に迷うものがある。
発行所=477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。「文芸中部の会」。
紹介者=「詩人回廊」編集者・伊藤昭一。

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