文芸同人誌同人の全国集会の方向性は正しいのか
その時節になったのか、文芸同人誌を恵送いただく季節になった。「文芸中部」もいただいた。そのなかに三田村編集長のメモも目に入った。全国同人雑誌会議は盛況だったそうで、それに私が出席しないで、会えなかったという趣旨であった。《参照:第32回中部ペンクラブ文学賞発表=中部ぺん第26号 》自分は、所要があって、以前から予約の難しい長野の旅館を抑えていたことがあって参加できなかった。ただ、同人誌「アピ」の田中修氏や、「風の道」誌。「群系」誌、「相模文芸」誌などから、参加の情報は得ていた。三田村「中部ペンクラブ」会長の同人誌を終結させる手腕には、敬服している。要するに文芸同人誌の集合体は、あくまで書いて表現力ある人の集まりであって、読む人たちの集団とは異なる。書く人が、読む人でもある。そのの指摘をする情報発信がない。私が文学フリーマーケットの「文学フリマ」にこだわり、出店をするのは、書き手の人も、読むだけの人もいて、時代の流れを知るため読むためにやってくる。しかも、東京会場だけで、5千人を超える人たちがやってくる。絵本作家の店があるから、子供連れの家族もやってくる。そういう時代の肌感覚のなかにいる。だから、店番をしていると、受ける質問も素人的である。文学入門的な世界が存在する。また山川会員が、文学的長編マンガの解説を書いた冊子を出したら、出すたびに売り切れる。そして買う人たちがいうのだ。「マンガの評論が少ないですよね。こういうの探していたんです」という。たしかに、長編マンガを全部読み通すことは、大変なので多くは書けない。それに対し、伝統的な同人誌の結社の集まりである全国大会のなかで、書く人の専門の立場からの、創作の方向性や、手法についての思想の議論が聞こえてこない。これは、作者たちの向かうべき道筋がずれているのではないか。そんなことを思った。
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