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2019年11月13日 (水)

徳田秋声の古典性と前衛性について

 徳田 秋声(1872年(明治4年12月23日)~ 1943年(昭和18年)は、石川県金沢市生まれの小説家。尾崎紅葉門下という古典的世界から、自分が1歳の時に亡くなっているというから、生きた時代の変化によくぞ対応したものと、感銘を受ける。近代文学リアリズムの作家でありながら、自分には前衛的作家にも読める。彼の若書きの作品から、青空文庫で読めるが、不思議にわかりやすく、ついつい読みふけってしまう。恵送される文芸同人誌を読むときに、いつも比較として頭をよぎるのが、徳田秋声の作品である。作文のようで文学という文章力の不思議さが見える。私の「みなせ」に掲載の作品も、こうした受けとめ方が反映されている。《参照:徳田秋声「仮装人物」が描く山田順子の人間性(1) 》これは、当初文学と風景というテーマで何か書けないか、提案をしてみてくれないか、という団体機関誌の呼びかけを、受けて第1稿を提出した。そうしたら、面白いが、北海道や東北の風景写真を撮ってつけられないか、ということだった。えらく旅費がかかるので、普通の原稿料では無理あので、没になった。その後、所属する同人誌から埋め草原稿を求められ、そこに掲載した。さらに、文学フリマでの第2回の出店用に、会員と二人の田淫行本として、製作し販売した。当初は、大した反応も感じなかったが、その後、出店に出すごとに、3-4冊売れるのである。その間にいろいろ変遷があって、読者からの資料追加のアドバイスなどを参考に、同人誌に掲載した。それをネット公開することにしたもの。

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