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2019年11月17日 (日)

文芸同人誌の歴史を三田村博史中部ペンクラブ会長が記す。

 前回の続きであるが、文芸同人誌誌の歴史は、硯友社の「我楽多文庫」から始まるそうである。そこで尾崎紅葉の「金色夜叉」、幸田露伴の「五重塔」、山田美妙が言文一致体を書き、二葉亭四迷「浮雲」だそうである。戦後第1回の芥川賞は、名古屋の同人誌雑誌「作家」を主宰する小谷剛の「確証」という作品だったそうである。そのくわしい経過は、朝日新聞10月10日号で読める。いまは当時にあった、文壇というギルドのようなものが、なくなったので話が通じないことが多い。また、文芸同人誌には合評会という、同人の品評会があるので、交通の関係で、地域別になる傾向にある。それがよくも悪くも閉鎖性をもち、親睦の会としての役割を果たしている。その合評会などで集まらない、同人誌を持たないという特徴を満たせのが、文芸同志会である。顔を合わしたければ、文学フリマ東京の出店にきてもらうだけだ。今、その出店で売る本の売り文句を考えている。

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