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2019年11月21日 (木)

西村賢太氏「私の東京物語」(東京新聞・朝刊)に小学生時代の写真

 同人雑誌の歴史などは、多くの人に語られているが、現在の同人雑誌デビュー作家の西村賢太しについて、そのことはあまり記されていない。フリー百科事典によれば、履歴にそれが出ているーー。 2003年夏、同人雑誌『煉瓦』に参加して小説を書き始める。2004年、『煉瓦』第30号(同年7月)に発表した「けがれなき酒のへど」が『文學界』12月号に転載され、同誌の下半期同人雑誌優秀作に選出される。同年に『煉瓦』を退会。2006年、「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川賞候補、「一夜」で第32回川端康成文学賞候補、『どうで死ぬ身の一踊り』で第19回三島由紀夫賞候補となる。2007年、『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞受賞。2008年、「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補。2009年、「廃疾かかえて」で第35回川端康成文学賞候補。2011年、「苦役列車」で第144回芥川賞受賞。
 現在、東京新聞・朝刊の連載「私の東京物語」で少年時代のことが記されているが、本人提出の小学6年生時代の写真が出ている。おぼっちゃん風であるのが、現在の私小説の主人公のイメージと大いに異なるのが面白い。そこに、父親に話が出ている。父親は、事業を経営していて、外車を幾度も買い替えるほどであったというから、お金持ちのお坊ちゃんであったのであろう。その父が突然、犯罪を起こしたことで、人生が変わったという。そのいきさつは、《 作家・西村賢太!私小説作家イメージとその素材(4)》にもある。

 同人雑誌に書いていても、一度、世に出る機会があったら、次作にそれを出版社に出すためのものという前提で書きためにしておかないと、結局、その後の商業誌への継続出稿ができず、職業作家への道を狭めることになる。黒岩重吾は、デビュー後は、4~50篇の書きためがあったので、流行作家の波に乗れたと、どこかで語っている。公募の応募したならば、それが当選すると確信して、次作品を書き始めるという心構えが求められる。現代では、そのことは人に言わないがいいかも。笑われるであろうから。しかし、いくつも作品控え持っていることを、編集者に知ってもらえれば、彼の方から縁を切られる可能性は薄いものだ。

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