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2019年11月25日 (月)

第29回文学フリマ東京に出店して「文学文化」の広がりをみる。

 24日の朝は小雨模様であったが、その後は雨上がりのようで、傘を持った入場者は見なかった。杖を突いた人と、乳母車の母親、子度も連れの父親など、来場者年齢が上がったことを感じさせた。なにしろ18年目からのイベントで、当時22歳際の大学生も40歳に近い。文芸同志会のブースは、釣りでいえば坊主ののようなもので、前回ほど活発な売り上げはなかった。帰り際にチェックしていたような買い手で少し賑わった。こちらも77才で、高年齢者の参加である。《第29回「文学フリマ東京」で文芸同人誌に取材物で訴求》 場内放送によると、動員が5千人を超え6千人せまったという。また、東京ビッグサイトのイベントの帰りに寄る人も考えられ、5時ぎりぎりまで店を出しておいた方がよいとのアドバイスも。そのせいか、かえり際に幾人かの客がついた。どうもパソコンの調子悪いので、今日はこの辺でやめるが、とにかく出店者の参加の増大は、ジャンルの広がりからきているようだ。ただ、文芸同志会は、文学的表現の手法の追及で訴求する。実際に、同人誌「砂」では、町工場の取材記事や、太宰治の小説のモデルになったバー「風紋」林聖子さんへのインタビュー記録など、同人誌にこの記事がうりもという付箋をはっておくと、それを見て買う人がでた。これから、パソコンを修理に出すので、直って帰ってくるまで、投稿はありません。

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2019年11月24日 (日)

心が決める自然主義とロマン主義

 自然主義というのは、文字通り現実を忠実に描く手法で、ロマン主義というのは、希望や夢を語るのに必要な手法である。現在は日常や戦争を描くリアリズムと、同じ日常や戦いを描いても、異世界や未来世界を舞台にするとロマン主義の系統でしょう。《参照:菊池寛の見解によるモダニズム古典主義と浪漫主義文学 》。こうした分類は仮のものであるが、物語という形式の基本がそこにあるので、自分がリアリストかロマンチストであるかとか、書いている作品がどのジャンルに属するのかを、意識するとアイディアがそれに沿って、全体にひとつのまとまりをもつ。同人誌作品には、まとまりのない何が重要なのかがわからないものが増えた。こちら大分その状況がわかってきたので、場合により、飛ばしてしまうことがある。

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2019年11月23日 (土)

文学フリマ東京(24日)は雨のイベントになりそう

 「文学フリマ東京」は、雨の予報が出ている。文芸同志会は《第29回文学フリマ東京 11/24日 出店NO「ニー12」で》出店する。本を自分で運搬するので、防水対策をこれからする。一度の出会いの人に興味をもってもらうために、ブース全体のポリシーは「役に立つ評論」と北一郎の詩集である。フリーマーケットのユーザーの反応をみて本を作っていたら、自然にそうなった。もともと、経済学と社会学の系統なので、世界情勢のなでの日本文学ということになる。現在の、世界の国情の不安定さの要因は、人口の増加と大資本力なので、そこを含めた理論と、地域の町工場の持続可能な社会へ向けた町工場のドキュメント。これは書かれた企業も納得の記録である。同人誌に合評会が不必要なやり方の見本である。また、フェイクニュースの時代の「真実と事実」の関係、詩でありながら、小説になっている「北一郎詩集」などーー。これから、短い説明書きを書いて出店に張り出す予定です。

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2019年11月22日 (金)

林真理子氏の作家ゾーンについて

 木俣正剛氏の「文春の流儀」(東京新聞)が連載されている。その34回には、作家・林真理子氏が、2日間の徹夜で300枚の小説を書きあげてしまった偉業を記している。そして、彼女が、ある政治家になった作家について、「彼は気がつけば夜が明けていたというような意識の原稿の書き方ができなくなったのだと思う。作家はそういうゾーンに入ることができないと、なれない仕事あのよ」と、語ったという。石原慎太郎氏のことであろうと推察する。ここで、わかるのは林真理子氏の作家的な才能のすごさであろう。作家にもタイプがいろいろあって、才能がなくても作家をやっている人もいるであろうと推測する。作家・石原慎太郎については、自分は論理性の強い性格で、非論理的な出来事に強い興味を持つ作風がであると感じてる。ゾーンに入らなくても、問題はないであろう。が、そういうのがない自分が、少しばかり寂しい。

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2019年11月21日 (木)

西村賢太氏「私の東京物語」(東京新聞・朝刊)に小学生時代の写真

 同人雑誌の歴史などは、多くの人に語られているが、現在の同人雑誌デビュー作家の西村賢太しについて、そのことはあまり記されていない。フリー百科事典によれば、履歴にそれが出ているーー。 2003年夏、同人雑誌『煉瓦』に参加して小説を書き始める。2004年、『煉瓦』第30号(同年7月)に発表した「けがれなき酒のへど」が『文學界』12月号に転載され、同誌の下半期同人雑誌優秀作に選出される。同年に『煉瓦』を退会。2006年、「どうで死ぬ身の一踊り」で第134回芥川賞候補、「一夜」で第32回川端康成文学賞候補、『どうで死ぬ身の一踊り』で第19回三島由紀夫賞候補となる。2007年、『暗渠の宿』で第29回野間文芸新人賞受賞。2008年、「小銭をかぞえる」で第138回芥川賞候補。2009年、「廃疾かかえて」で第35回川端康成文学賞候補。2011年、「苦役列車」で第144回芥川賞受賞。
 現在、東京新聞・朝刊の連載「私の東京物語」で少年時代のことが記されているが、本人提出の小学6年生時代の写真が出ている。おぼっちゃん風であるのが、現在の私小説の主人公のイメージと大いに異なるのが面白い。そこに、父親に話が出ている。父親は、事業を経営していて、外車を幾度も買い替えるほどであったというから、お金持ちのお坊ちゃんであったのであろう。その父が突然、犯罪を起こしたことで、人生が変わったという。そのいきさつは、《 作家・西村賢太!私小説作家イメージとその素材(4)》にもある。

 同人雑誌に書いていても、一度、世に出る機会があったら、次作にそれを出版社に出すためのものという前提で書きためにしておかないと、結局、その後の商業誌への継続出稿ができず、職業作家への道を狭めることになる。黒岩重吾は、デビュー後は、4~50篇の書きためがあったので、流行作家の波に乗れたと、どこかで語っている。公募の応募したならば、それが当選すると確信して、次作品を書き始めるという心構えが求められる。現代では、そのことは人に言わないがいいかも。笑われるであろうから。しかし、いくつも作品控え持っていることを、編集者に知ってもらえれば、彼の方から縁を切られる可能性は薄いものだ。

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2019年11月19日 (火)

小説と事実ーー世間話から

 19日の午前8時15分頃、和歌山市のビル(12階建て)の最上部から鉄パイプ(長さ1・5メートル)が落下し、道路を歩いていた20歳代男性の頭に当たった。男性は病院に運ばれたが、死亡したーーというニュース。朝、8時にである。なんとも、ぎょっとする偶然の悲劇である。
  ハードボイルルド作家ダシェエル・ハメットの小説で、たしか「マルタの鷹」だったと思う。記憶によれば、そこに、話の筋に関係なく、ある逸話が語られていた。探偵の語り手は、ある金持ちの失踪事件を頼まれる。その男は、仕事にも家族にも恵まれ、何不自由ない暮らしをしていた男が、ある日突然姿を消してしまった。そこで捜索をした探偵は、その男は見つけて、失踪したその理由をきいた。すると男は、昼食を食べに行った時に、建設中のビルから鉄の梁が降って来た話をしという。この場合は、頬をかすめただけで、無事で済んだが、その時に男は人生の本質というか、実態をみたような気がしてショックを受けたという。どんなに安定した生活があっても「人間は、偶然によって死んでいく。」そこで、すべて捨てて新しい生活をし直したというのだ。しかし、探偵はいう「自分の見た限り。男はには新しい別の妻と子供がいて、不自由のない生活をしているようだった」と。
 ハメットには「影なき男」という小説がって、そこにも、雪の山中での犯罪者が人肉を食らう話があって、それが話の筋に関係ない逸話なので、非常に印象に残る。今考えると、探偵をしていたハメットの体験か、聞いた話かの実話であったのだろう。
ーー今日は今度の日曜日の「文学フマ」の見本誌の作成と、読者をひきつけるための短い宣伝文句に頭をひねって過ごした。

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2019年11月18日 (月)

赤井都・言壺便り「Hi, Mini Zine!」開催中

 赤井さんはもともとは、「群像」など純文学作家として、文芸誌公募の最終予選通過の常連であった。フリーマーケットで豆本を書き・作り、売るということをはじめてから、次第に豆本の国際的なメジャーになる。なにより、特別でありながら普通の充実した文学生活を送っているところが、すごい。がちゃぽんも、流行の兆しの段階で取り入れていた、感覚の鋭さがある。

          ☆

 言壺便り2019.11.18 No.159
~紅葉と小さな本号~
▽目次▽
■「Hi, Mini Zine!」開催中ー11/21(木)15~18時、在廊します!ーとっても大変な設営が、豆本がちゃぽんの優秀な人たちによって、奇跡のごとくすっきりと終わって、すばらしい展示になっています。11/24が最終日です。お見逃しなく!

 このカフェのドリンクはどれもおいしくて、私のお気に入りは、ビネガードリンクやハーブティーです。

こんにちは、豆本/Hi, Mini Zine!
東京~香港~上海 国際豆本がちゃぽん巡回展ーー日程:2019年11月1日(金)~11月24日(日)
開催場所:MOTOYA Book Cafe Gallery
住所:東京都渋谷区初台2-24-7
アクセス:京王新線 初台駅 中央口改札南口 徒歩8分、小田急線 代々木八幡駅 徒歩10分、千代田線 代々木公園駅 八幡口 徒歩10分、渋谷駅西口より京王バス 初台坂下バス停 徒歩3分
OPEN:水曜日~日曜日13:00~20:00 ※月曜・火曜 お休み
※入場は30分前まで ※要ドリンクオーダー

 香港、台湾と巡回してきた「国際豆本がちゃぽん巡回展」
東京での開催です。
上海(香蕉魚豆本 bananafish mini zine)・香港(蛋誌 eggwich)・日本(豆本がちゃぽんTokyo)のアーティスト約40名による豆本を中心とした手製本・Zineが、400冊以上集まります。(一部販売もしています)
何が出るかお楽しみな豆本がちゃぽんは、¥500で楽しめます。がちゃぽんのテーマは”hi / hello”
豆本がちゃぽんからの参加作家:赤井都、五十嵐彪太、木月禎子、奈良麻子、葉原あきよ、蓮月堂 ーー言壺便りについて  今年の終わりが見えてきて、新しいスケジュール帳が欲しいところです。やはりアナログ、ノートにペン書き派です。今年のスケジュール帳は、ところどころに絵を描きました。後で見返すと、イメージがそのまま蘇って、楽しいです。

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2019年11月17日 (日)

文芸同人誌の歴史を三田村博史中部ペンクラブ会長が記す。

 前回の続きであるが、文芸同人誌誌の歴史は、硯友社の「我楽多文庫」から始まるそうである。そこで尾崎紅葉の「金色夜叉」、幸田露伴の「五重塔」、山田美妙が言文一致体を書き、二葉亭四迷「浮雲」だそうである。戦後第1回の芥川賞は、名古屋の同人誌雑誌「作家」を主宰する小谷剛の「確証」という作品だったそうである。そのくわしい経過は、朝日新聞10月10日号で読める。いまは当時にあった、文壇というギルドのようなものが、なくなったので話が通じないことが多い。また、文芸同人誌には合評会という、同人の品評会があるので、交通の関係で、地域別になる傾向にある。それがよくも悪くも閉鎖性をもち、親睦の会としての役割を果たしている。その合評会などで集まらない、同人誌を持たないという特徴を満たせのが、文芸同志会である。顔を合わしたければ、文学フリマ東京の出店にきてもらうだけだ。今、その出店で売る本の売り文句を考えている。

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2019年11月16日 (土)

同人雑誌の存在意義を三田村博史(中部ペン)会長が朝日・中日新聞に

 10月19日に、第3回全国同人雑誌会議が開催された。それを前にして、中部ペン会長の三田村博史氏が、朝日新聞(10月10日付)と中日新聞(10月4日・夕刊)にその存在意義を寄稿している。それによると、第1回は名古屋市で開催、第2回は徳島三好市で開催した。それから9年ぶりで、それまでは開催がなかったという。開催に手を挙げる組織がなかったためで、文芸誌「文芸思潮」(アジア文化社)が声を挙げ、中部ペンとの共催となったようだ。《参照:第32回中部ペンクラブ文学賞発表=中部ぺん第26号》三田村氏は中日新聞に、「同人雑誌の存在意義」ー広い世界への足掛かりにーーというタイトルで、寄稿している。商業出版の世界では、ベストセラーが話題にされ、次のベストセラーがでると前の作家は忘れられる。しかし、「文芸を含む芸術は本来、常に大多数に大歓迎されるモノばかりじゃないだろう。社会と一定の間を置きながら、そこに起きる事柄の本質を問う姿勢を失わずにいて、書く。それには潜伏機関が必要である」としている。朝日新聞には、どっこい生きている「全国同人雑誌会議に向けて」という見出しで、同人雑誌の歴史とその役割を中心に述べている。これが面白い。続きは次回に…。

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2019年11月13日 (水)

徳田秋声の古典性と前衛性について

 徳田 秋声(1872年(明治4年12月23日)~ 1943年(昭和18年)は、石川県金沢市生まれの小説家。尾崎紅葉門下という古典的世界から、自分が1歳の時に亡くなっているというから、生きた時代の変化によくぞ対応したものと、感銘を受ける。近代文学リアリズムの作家でありながら、自分には前衛的作家にも読める。彼の若書きの作品から、青空文庫で読めるが、不思議にわかりやすく、ついつい読みふけってしまう。恵送される文芸同人誌を読むときに、いつも比較として頭をよぎるのが、徳田秋声の作品である。作文のようで文学という文章力の不思議さが見える。私の「みなせ」に掲載の作品も、こうした受けとめ方が反映されている。《参照:徳田秋声「仮装人物」が描く山田順子の人間性(1) 》これは、当初文学と風景というテーマで何か書けないか、提案をしてみてくれないか、という団体機関誌の呼びかけを、受けて第1稿を提出した。そうしたら、面白いが、北海道や東北の風景写真を撮ってつけられないか、ということだった。えらく旅費がかかるので、普通の原稿料では無理あので、没になった。その後、所属する同人誌から埋め草原稿を求められ、そこに掲載した。さらに、文学フリマでの第2回の出店用に、会員と二人の田淫行本として、製作し販売した。当初は、大した反応も感じなかったが、その後、出店に出すごとに、3-4冊売れるのである。その間にいろいろ変遷があって、読者からの資料追加のアドバイスなどを参考に、同人誌に掲載した。それをネット公開することにしたもの。

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2019年11月11日 (月)

文芸同人誌「弦」106号(名古屋市)

【「睡蓮」長沼宏之】
 尾形耕治は、大学を出て電子関係の会社員となるが、そこでパニック障害を発症、休職してしまう。その後、重要でない部署に異動し、収入も少なく、出世のない勤め人になる。そのうちに病歴に理解のある伴侶を得て、人生を過ごす。そのうちに妻が癌になり、生活上の困難を乗り切る話。パニック障害は、野球選手や芸能人などにも発症者が少なくない。症状も多彩である。一時、自分も頻繁に発作を起こすことがあったが、最近は少なくなってきている。そこからすると、主人公のパニック障害の対応は、特殊のように思える。とりあえずハッピーエンドでよかったと思うべきか。
【「胡蝶花(シャガ)」の友】小森由美】
 高齢になってから夫を亡くした未亡人の喪失感と、その後の人生をどう過ごすかを悩む姿を描く。知り合いの先輩がいて、彼女の生き方と比較することで小説にしている。夫を失い、余生をどう過ごすかというのは重大事である。そこのこだわりを正面から描いた問題作である。作者はコラムでその問題意識を述べているのは印象的である。人間は何か目的をもって生まれて来たわけではない。人間の「実存は目的に先行する」というサルトルの言葉もある。このような問題提起を含んだ作品は、文芸同人誌の生活日誌的作品に多く見られる。しかし、テーマとして正面から追求したものは少ない。匂わすものは多いのだが…。先が見えた(と思い込む)人間の生きる努力に関する意識を分かりやすく、深堀してゆくのは、意味があると思う。
【「春の雪」市川しのぶ】
 和歌という女性の人生を、年代を区切って描き、生きる姿を書きだす。時代が読んだだけでは不明確だが、過去の社会に生きた女性であろうとは、検討がつく。このような形式であることに意表をつかれたが、一つの手法として興味を持った。
【「来島海峡」船乗りの世界の話で、専門用語に解説がついているのが良い。話も、狭くて船の往来の激しい来島海峡を、無事に渡りきるところが大変スリリングで、面白く読んだ。
【「日蔭の絵師」山田實】
 渡辺は、若い頃に親しかったが、結婚する機会を失ってそのままになっていた智ちゃんという女性から、何年ぶりかで連絡をもらう。そこに至るまでの、二人の付かず離れずの関係を手際よく語った短編。長編小説の梗概のようなところがあるが、文章表現に力があり、なかなかのものと感心させられた。
【「女はそれを望まない」国方学】
 若いときにトライアスロンをやっていたことを語り、現在が老齢期であること示す書き出しである。客として知り合いになった自転車店の経営者夫婦が、高齢のために店じまいをした。その後、奥さんが病気になり、介護をしていたが、店主だった男は、妻を死なせて、自ら縊死したという知らせを受ける。そこで起きたことの出来事を想像して、描写する。ありそうな出来ごとを、ありそうな感慨と無念さで語る。理解でききる話である。
【「終着地」木戸順子】
 老夫婦がいて、妻が癌で入院中である。余命を知らされた夫は、自分が妻の死を見届けてからでないと死ねないと思う。そうした男が故郷に行き、その地の山寺に行く。柔らかな表現力で、男がこの世とあの世の境を歩んでいることを暗示する。山寺の途中の道で、老境にちかい頃、情を通わした、妻でない女性に出会い言葉を交わす。また、妻にもあって、編んでくれていたマフラーを渡される。そして日暮れてより、電話があって、妻が亡くなった連絡であった。巧みな文章力で、我々の日常は、夢か幻かという思いにふけさせる朔分である。
発行所=〒463-0013名古屋市守山区小幡中3-4-27、中村方「弦の会」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2019年11月 9日 (土)

文芸同人誌「北狄」第388号(青森市)

【「アカトンボは涼風が好き」高畑幸】
 日本人には、アカトンボは清々しい秋の風物である。日本人の心を童心にさせ、癒してくれる。その出会いの現象と生態を活写し、散文詩的な叙事になっている。
【「付き合いきれない韓国」福士隆三】
 韓国との外交問題の現在を、日本人の立場から、不合理と思われる不満を述べている。小見出しだけでも「輸出規制と『元徴用工問題』「理不尽極まりない韓国政府」「合意の下になされた日韓併合」「韓国を近代化させた日本」「日本の文化は韓国によってもたらされた(?)」「“植民地支配”という言葉の壁」「歴史を直視すべきは韓国国民」「なぜ韓国国民はヒステリック」なのかーーこれらの項目は、現在の日本の一般国民感情を、代表したようなものである。それは充分に共感できる。
 ただし、そのような国民感情のなかで、背後には、両国の間で大衆情報操作合戦が行われているようだ。政府の意図による情報だけを信じるのも自由である。ここで、自分なりの私観を述べたい。
 一部で言われているように、文政権は自死した盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の意思をついで、南北に分断した朝鮮半島を統一するという思想で、日本の全学連のような、学生運動的な行動にとらわれているという側面を見ないわけにはいかない。同時に、戦後の日韓条約は日本国民の意思でなく、米国に従属した自民党が行ったものと見る。本来は、朝鮮半島統一後に行わなければならなかった。それを、韓国とだけ行って、戦後処理ができたとされるわけがない。当時は反対論が強かった。その時期の新聞記事を読んでみればよい。韓国に対する日本の態度は今でも米国が決めている。これからもそうであろう。現在の日韓問題は、日米安保による日本の従属の産物である。
 さらに朝鮮半島は、長年中国に従属国として過ごしてきたので、本質は中国の朝鮮族なのである。ということは、朝鮮半島は賠償問題が解決したと仮定しても、半島は中国と共に反日を利用する国家になる。こういう噂を紹介しよう。トランプは、大統領になって、米軍の韓国駐在を引き上げる指令をしたことがあるという。それを米国ネオコンたちは、慌ててそれをとめたという。そのことは、米国が北朝鮮を武力攻撃するうということを意味したからだ。まだ、その時期ではないというのだ。北朝鮮が米国によって壊滅したら、中国は国防の安全緩衝地帯を失い、多くの軍備をそこに配備しなければならない。一帯一路構想どころではない。その可能性は、トランプのボルトン補佐官排除で消えたようだが、まだ、わからない。話が飛躍しすぎたが、地政学的には、そうした構造の上にあると思われる。どこの国もきわどいところを過ごしているのである。
【「渡し守の三太郎(三)」白川光】
 安政という時代と地域風俗の時代考証の詳しさに、文章上の工夫があって、面白く読める。
【「私の魯迅箴言日誌」笹田隆志】
 古典的な魯迅の紹介的評論に現在形としての福島原発事故のその後の状況。自分の生活と魯迅を結びつけた、新しい形の文学的作品に読める。
発行所=青森市浪館前田2-14-2、「北狄社。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

 

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2019年11月 6日 (水)

文芸同人誌同人の全国集会の方向性は正しいのか

 その時節になったのか、文芸同人誌を恵送いただく季節になった。「文芸中部」もいただいた。そのなかに三田村編集長のメモも目に入った。全国同人雑誌会議は盛況だったそうで、それに私が出席しないで、会えなかったという趣旨であった。《参照:第32回中部ペンクラブ文学賞発表=中部ぺん第26号 》自分は、所要があって、以前から予約の難しい長野の旅館を抑えていたことがあって参加できなかった。ただ、同人誌「アピ」の田中修氏や、「風の道」誌。「群系」誌、「相模文芸」誌などから、参加の情報は得ていた。三田村「中部ペンクラブ」会長の同人誌を終結させる手腕には、敬服している。要するに文芸同人誌の集合体は、あくまで書いて表現力ある人の集まりであって、読む人たちの集団とは異なる。書く人が、読む人でもある。そのの指摘をする情報発信がない。私が文学フリーマーケットの「文学フリマ」にこだわり、出店をするのは、書き手の人も、読むだけの人もいて、時代の流れを知るため読むためにやってくる。しかも、東京会場だけで、5千人を超える人たちがやってくる。絵本作家の店があるから、子供連れの家族もやってくる。そういう時代の肌感覚のなかにいる。だから、店番をしていると、受ける質問も素人的である。文学入門的な世界が存在する。また山川会員が、文学的長編マンガの解説を書いた冊子を出したら、出すたびに売り切れる。そして買う人たちがいうのだ。「マンガの評論が少ないですよね。こういうの探していたんです」という。たしかに、長編マンガを全部読み通すことは、大変なので多くは書けない。それに対し、伝統的な同人誌の結社の集まりである全国大会のなかで、書く人の専門の立場からの、創作の方向性や、手法についての思想の議論が聞こえてこない。これは、作者たちの向かうべき道筋がずれているのではないか。そんなことを思った。

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2019年11月 4日 (月)

第3回全国同人雑誌会議が東京新聞記事に

 第3回全国同人雑誌会議が10月19日に東京で開催され、東京新聞10月30日(夕刊)に記事が掲載された。「同人誌の未来を激論 全国の主宰者ら集結」のタイトルでーー「第三回全国同人雑誌会議」(東京新聞社後援)が十九日、東京都千代田区の池坊東京会館で開かれ、北海道から九州までの同人誌主宰者ら約百二十人が参加した。会議は九年ぶりの開催で、担い手の高齢化が進む同人誌や活字文化への危機感、将来のあり方などについて、激論が交わされた。第一部では、作家の三田誠広さんは基調講演、「文学の理念と文芸ジャーナリム」、中上紀さんが、作家である両親が、「文芸首都」という同人誌を通じて出会ったので、その縁を語ったという。第二部では、同人誌会議となり、連帯の意見が出たという。参加者のひとり、一九六五年創刊の同人誌「弦」(名古屋市)代表の中村賢三さん(79)は、「同人誌にはそれぞれの意見があり今回もそれが聞けて有意義でした」と語るーーとなっている。

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2019年11月 3日 (日)

文芸時評10月(東京新聞10月31日)=佐々木敦氏

◆難問どうなる?に関心

 今年も新人賞の季節がやってきた。すばる文学賞は高瀬隼子(じゅんこ)「犬のかたちをしているもの」(『すばる』11月号)。三十路(みそじ)を迎える女性の「わたし」には郁也という恋人がいる。もう三年付き合っているが、セックスレスになって久しい。「わたし」は男性と恋愛関係になって数カ月すると決まって性交が疎ましくなるのだ。過去の恋人たちはそれで去っていったが、郁也はそうではなかった。だが突然、ミナシロという女性が現れ、郁也の子を妊娠していると告げる。体だけの関係だった筈(はず)が誤って妊娠してしまったのだという。

 ミナシロは出産はするつもりだが子供を育てる気はないので「わたし」と郁也に育てて欲しいと言い出す。あまりに理不尽な申し出に当惑と憤慨を隠せない「わたし」だが、郁也もそれを望んでいるようだ。「わたし」は子宮に病気を抱えている。それが性交への嫌悪と関係があるのかどうかはともかく、降って湧いたような難問に「わたし」がどんな答えを出すのか、そして結局どうなるのか、という関心を維持しながら読み終えることが出来(でき)た。とはいえ、人物設定も物語の展開もかなり通俗的で予想の範囲を逸脱することがないまま進んでしまう。もっとも良いのは題名だが、犬という隠喩も内容的にはあまり効いていないような気がしてしまった。

◆中西智佐乃「尾を喰う蛇」 介護の切実さが伝わる

 新潮新人賞は中西智佐乃「尾を喰う蛇」(『新潮』11月号)。大阪の病院で介護福祉士として働く三十五歳の「興毅」の視点から、老人介護の実態がつぶさに描かれてゆく。興毅は家族との軋轢(あつれき)や将来への不安もあり、行き場のない焦燥を抱えている。綺麗(きれい)ごとでは済まない介護の現場のディテールは非常にリアルで、雰囲気に逃げない確実さを感じた。

 入院患者のひとり、年齢から採られた「89」というあだ名で呼ばれている老人は認知症が進んでおり、やたらと癇癪(かんしゃく)を起こしたり若い女性介護士の体に触れたり、時には暴力をふるったりする。興毅は「89」が時々口走る戦時の行為への謝罪とも取れる謎めいた言葉に興味を惹(ひ)かれるとともに、彼を力で屈服させることに密(ひそ)かなよろこびを感じるようになってゆく。主人公の鬱屈(うっくつ)が次第に歪(ゆが)みを帯びてゆくさまはよく書けているが、結末が物足りない。題名もありきたりである。ただし選考会で論議になったという「89がしたことは何だったのか」が最後まで明らかにされない点は私はむしろよいと思った。自分の意志ではなかった、仕方がなかったのだ、という自責と裏腹になった自己正当化が興毅に伝染してゆくのがこの小説の肝であるからだ。《参照:高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」 ほか新人賞受賞作 佐々木敦

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