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2019年10月23日 (水)

文芸同人誌「渤海」(富山・石川)が終刊

サイト投稿台頭 衰退危ぐ
 富山・石川を拠点に45年にわたって誌齢を重ねてきた文芸同人誌「渤海」が、半世紀の歴史に幕を下ろした。編集を一手に担ってきた杉田欣次さん(72)=富山市向新庄町=の健康上の問題が理由で、78号をもって終刊した。インターネットの普及で、小説投稿サイトを発表の場とする書き手が全国的に増える中、日本文学の原点とも言える同人誌は岐路を迎えている。(文化部・中田真紀)
 「誠に残念だが、『富山に渤海あり』と存在はある程度認められたと自負している」。「渤海」編集委員の杉田さんはこう話す。
 渤海は1974年に創刊した。誌名は7世紀末に中国東北部に建国された「渤海国」に由来する。使節が能登半島から入り、北陸の文化を日本に広めたことにちなみ、全国に発信できる雑誌にしようと名付けられた。富山と石川の同人各15人で発足し、志を同じくする仲間が発表してきた。
 当初は金沢市の石川近代文学館気付で刊行していたが、石川の会員が減ったため、94年以降は杉田さん宅に事務局を移した。富山に移ってからは不定期だった刊行を年2回に固定し、文章力を高め合ってきた。
日本文学の原点 岐路に 文芸同人誌「渤海」が終刊
県内で発行されている同人誌
 同誌の評価は高く、文芸誌「文學界」の同人雑誌評にもたびたび同人の小説が取り上げられた。杉田さんは「質の良いものを書けば注目してもらえると、書き手の励みになった」と振り返る。
■病床で校正作業
 終刊を考えたのは今年に入ってから。健康に問題が生じ、3月に刊行した77号の詰めの段階で入院し、病床で校正作業を進めた。「今後万一のことがあれば責任を果たせない」と、今月刊行の78号を終刊号とすることを決めた。
 発足時に30人いた会員は50~90代の8人に減った。若手の入会はほぼなく高齢化が進む。高齢化は各誌共通の課題で、終刊を検討している県内の同人誌もある。「今回で最後」と連絡してくる他県の同人誌もあった。杉田さんは「高齢化で先細りしているのはどこも同じ。みんな毎回『今回が最後になるかもしれない』という思いで活動しているのではないか」と推し量る。
■役割が変化
 近代文学の名作を発表し、日本の文学史に大きな役割を果たした文芸同人誌は、変わりゆく時代とともに役割を変えつつある。

 「かつては文芸創作をしようと思ったら、仲間を作って冊子にして回覧するやり方しかなかった」。上市町出身の文芸評論家、田中和生法政大教授はこう説明する。それが戦後、書き手の発表の場が文芸誌の新人賞に移り始め、70年代終わり頃から、同人誌より新人賞の方が優勢になったとみる。

 さらなる変化をもたらしたのがインターネットの普及だ。近年、書き手が投稿するスタイルが台頭。日本最大級の小説投稿サイト「小説家になろう」には160万人が登録し、作品数は68万点に上る。田中教授は「若い人は文学観の違う人と同人誌を作るより、ネット上で直接、読者と出会う方を選びつつある」と分析。そうした環境がある以上、衰退の方向性が加速するのではないかと危ぐする。

 ネット上に気軽に作品を発表できる時代にあって、同人誌を刊行する意義は何か。田中教授は「文学作品は文学観の違う人にも伝わることで力を発揮する。便利な世の中になったからこそ、さまざまな価値観を持つ人と一緒につくることに新しい意味が生まれるのではないか」と問い掛けている。《北日本新聞:日本文学の原点 岐路に 文芸同人誌「渤海」が終刊

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