小野友貴枝著「高円寺の家」(文芸社)の特徴
小野友貴枝氏の新刊「高円寺の家」(文芸社)が発売された。著者は本が、知人の間で評価が低いことを嘆いている。《参照:「高円寺の家」周辺の感想から、癒す想い=小野友貴枝 》。自費出版の世界では珍しいことではないが、狭い知人の範囲では、興味のない人がほとんどであろう。仕方がないことだ。作品は「高円寺の家」という中編と、それより少し長い「小田急沿線」という小説の2編からなっている。話の内容はべつに不動産の話ではなく、物語は、嫁ぎ先での夫の知られざる家庭内暴力癖に耐えてきた主婦の話という点で、共通している。そして、このような境遇におかれたうえで、共稼ぎする妻の立場が描かれてる。自分は、これを読んで大変に興味深く思った。ことの背景には、現在の核家族社会以前の、家長制度における夫の大家族のなかに、田舎の大家族の娘が、嫁入りした女性の立場から描かれている。つまり、家長制度のなかで風習の異なるの家風のなかに、嫁といういう立場で、その風習のちがいにカルチャーショックを受けたことから話が話が始まっているのだ。「高円寺の家」では、」つぎのような一節がある。--まだ、増築する前の古い家で、家族が一人一部屋持つだけの空間がなかった。--電話は居間にあって、家具のようであっとたとある。そこに、親代わりになってくれた荻窪の裕子からの電話で、何気なく義妹の縁談が決まった話をした。そしてーー「相手は四つ年下なの」と無意識にしゃべった。--すると、背中に物が飛んできた。夫が姫鏡台を投げつけてきたのだ。「身内のことを軽々と、他人に話すな」ということなのであろう。こうしたところから夫が家庭内暴力癖があるとわかるのだ、夫は母親にも暴力を振るってきたのだった。この時代の風習を乗り越えて、きた主婦の話なのである。
| 固定リンク
コメント