同人誌時評11月「図書新聞」(11月2日)評者・志村有弘氏
(一部抜粋)~■小説では、〈老〉を視座とする作品に注目。いずれも老人の〈孤独〉な姿を浮き彫りにする。天野律子の「夢の残り・タコ」(「黄色い潜水艦」第70号)が心に重い影を残す。逸枝は両親を知らず、祖母に育てられ、十九歳の時から一人で生きてきた。夫も子も孫もきょうだいもいない。地域の集会所の老人会には出席するものの、会の光景を眺めているだけ。「その他大勢の居場所」に身を置き、「どうでもいい隅っこがいい」と思っている。夕方まで何の予定もなく、夕食と風呂と就寝をすませば「今日という一日が終わる」。しかし、昔、食堂で働いていたとき、逸枝の口ききで働くことができた母子と自分の部屋でひと月ほど暮らしたことがあった。母子は、子を祖母に預けると言って出たまま戻ってこなかった。逸枝はその母子と共に暮らしてもいいと思っていたのだ。逸枝はタコの遊具を団地の中の広場に呼びたいと思う。人物の描写が細緻。読ませる力を称えたい。
野上志乃の「アリババ」(「りりっく」第34号)が、童話的手法で不思議な感覚の世界に導いてゆく。「私」は古希を迎えた女。目が覚めても一日をどのように過ごしてよいものか戸惑う。冷蔵庫が空っぽなので、買い物に行こうと思い、外へ出ようとしたとき、アリが行列を作っているのに気づく。「私」はアリたちと言葉を交わす。食料を集めるのは老女アリだという。アリは「私」の年齢を聞いて、「七十? そりゃあ化け物だ」と驚く。「アリババ」とは、蟻婆。「私」は「死ぬまでやるべきことがある」と言うアリたちに羨望を覚える。「まだ死にたくない」「自分にもできる役がまだあるように気がした」という文章に救われる。「アリのように子どもをみんなで大事に育てる社会が来るだろうか」という文章も傾聴に価する。
井上淳の「死ぬまでの日数を数えてみた」(「まがね」第61号)に、老いて目前に迫る死をどう迎えるかを考えさせられた。戸田は膵臓に腫瘍がある。余命四か月。七十七歳。定職に就かず、独身。親しい知人はゲーム仲間。以前は死が「気楽」で「待ち遠しい」気さえしていたのに、現実に〈死〉をつきつけられると「腹立たしく、悲しい」と思う。最後は仲間たちに囲まれ、「安らかに」息を引き取って荼毘に付され、骨は市の職員に渡された。「人目をはばからず、好きなように生き」たというから、救いはある。とはいえ、遺骸を引き取る親戚もなく、孤独であったことは事実だ。過疎、少子化……日本の未来は、戸田のような人生を送る人が多くなるだろう。
星野充伸の「同窓会と惚けの効用」(「逍遥」第6号)は、大学の同窓会、友人との交流、そして今に至る自分を綴る。本間久雄や坪内士行の名や谷崎精二の言葉が記されるなど、興味深い話が展開する。同期の卒業生の中から教授は生まれたけれど、作家が現われなかったのは「近現代の優れた小説を読んでも創作方法まで会得しなかったのだろう」という言葉も見える。作者は「自営業方々、こつこつと短編や旅行記を書いて同人雑誌活動を続けてきた」といい、卒業論文のテーマとしたグレアム・グリーンの原書を耽読することで「英文学と繋がっていた」と述べる。これもまた、見事な文学生活。
石毛春人の「詩の恵み」(「新現実」第141号)は、昭和文学走馬灯とでもいうべき作品。林富士馬の『詩人と風景』を再読し、「中勘助の戦争詩をやっつけている伊藤信吉や山室静などを非難」していることを「怒りが沈潜してひとつのエネルギー」となった「いい文章だ」と述べる。そうして「こんどフジマさんに会ったら、それを言おう」とユーモアをたたえた文章も示す。林が兄事した伊東静雄にも触れており、ふと林の詩「伊東静雄詩碑を尋ぬ」に見える芭蕉の「さまざまなこと思ひ出す桜哉」の句を想起した。暗記を否定した「戦後の漢字教育の間違い」と論じる文も見える。一読を勧めたい好作品。星野と石毛の作品は、エッセーとして読むこともできる。
(相模女子大学名誉教授)評者◆志村有弘ーーー《参照:〈老〉と〈死〉を根底・視座とする文学群――〈老〉を根底とする天野律子(「黄色い潜水艦」)・野上志乃の小説(「りりっく」)。親族のいない老人の〈死〉を描く井上淳の小説(「まがね」)。〈死〉を凝視する本多寿の詩(「サラン橋」)》
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