同人誌評「図書新聞」8月31日=越田秀男氏
ーー1部抜粋ーー『夜を漕ぐ』(葉山ほずみ「八月の群れ」68号)――双子の姉弟、弟がクローン病を患い、小腸から大腸に及ぶ大手術を受ける。手術後の夜、姉は病院から、母を付き添いに残し帰宅、の途中、焼肉屋に寄りホルモンを注文。腹減った? 切除された弟の腸管と牛の腸を引き比べるため。姉は自分の健康体が反って引け目となり弟の臓器提供者たらんことを切望している。〝夜を漕ぐ〟とは生と死の寄せては返す波に舵を取りながら漆黒の川を渡る姉弟の姿である。
『絹子の行方』(倉園沙樹子「民主文学」7月号)――なんとか自立に近い日常をおくる独居老人「絹子」は、地域行政の〝自立を促す〟とかいう勝手な都合で、自立的日常を奪われ、息子夫婦の家に引き取られる。そのストレスが認知症スパイラルへ。ーー瞠目すべきは、認知症の進行を外部観察により捉えるのではなく、絹子の内側から意識の崩壊過程を描き切っているところだ。
『花の影』(大巻裕子「北陸文学」83号)――主人公はトラック野郎から身を立て運送会社を設立運営し四十年。その手足、頭脳として支えた妻が、肺がん末期に。キャンピングカーで妻の故郷、鹿児島・知覧へ。その地で臨終を迎える。以後、妻の思い出をはじめ主人公の人生全ての像が走馬灯のように回転しておさまらない。
『羊腸の小径』(「伊藤仁美」じゅん文学100号)――〝羊腸の小径〟は箱根の山道! さにあらず、人間の腸管。主人公は近所付き合いのトラブルで、体調を崩した、とは早合点、実は大腸がんだった! 無事生還したが、心と体と頭のこんがらがりの一例。「じゅん文学」は100号の節目。井坂ちからさんは、四半世紀におよぶ戸田鎮子さんの主宰者としての活動を讃えねぎらう中で「書き続けていれば人は老いず、読み続けていれば人は死なない」。
以下の二作品は村の姿、戦後編と現代編。
『雉撃ち』(宇江敏勝「VIKING」822)――舞台は和歌山県近野村、戦後四年経過。村唯一の宿屋に婿入りした男が妻を身籠もらせて出征、無事誕生も、婿は知らせを受けた後生死不明に。妻は戦後、別の男と事実婚、そこに婿が生きて帰ってきた。以上は物語の傍流で本流は雉撃ち。臨場感あふれる描写力。物語の核心に〝芝刈場〟。何を変え何を守るか、時代を超えた課題が突きつけられる。
『ポスティングの朝』(高橋道子「麦笛」17号)――主人公(匡子)の実家は農家。夫は匡子の父が亡くなると脱サラし農家を嗣ぐ。実家暮らしに舞い戻った匡子は自治会長を押しつけられ六〇戸もの集落へのお知らせ配り。ポスティングとはプロ野球の大リーグ移籍ルールのことではなかった。この作業を通じ衰微する村の様子が記述される。なぜ? 天明の大飢饉―東日本大震災の記憶。村の時空を巧みに描いた。
以下の二作品は原体験とその表現が論じられる。
林京子と言えば長崎被爆体験を描いた『祭りの場』、そうそう、中上健次に〝原爆ファシスト〟と罵られたこともある――こんな浅薄な知識で分かった風になられては困る、と書かれたのが『上海そんなに遠くない』(松山慎介「異土」17号)――「日中戦争の時代に中国人と先入観なく遊び、生活した」〝ありのまま〟の上海、林京子の原風景――を下敷きに『祭りの場』を読み直せば、新たな発見がある。
広島の被爆体験を描いた小説には大田洋子『屍の街・半人間』、原民喜『夏の花』。松山さんはこの二作品との対比も的確に論じている。そして原民喜と、アウシュヴィッツ体験を記したプリーモ・レーヴィを重ねて論じたのが『天命と使命について』(青野長幸/ 23号)。原の言葉「コノ有様ヲツタエヨト天ノ命」と、レーヴィの「押しつけられた役目」、両者の〝天命と使命〟が突き合わされる。原体験の風化に抗す! (「風の森」同人)《参照:認知症スパイラルを意識の内側から描く(「民主文学」)――原風景“上海”から林京子を読み直す(「異土」)》
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