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2019年9月29日 (日)

同人誌「星座盤」第13号(岡山市)(下)

【「祖父の家」丸黄うりほ】
 ワカナは、町の高台にある祖父の家を訪れる。何かが起きたらしく急いで駆け付けた。行くと皆がすでに集まっているという。屋敷の庭には、さまざまな変わった花が咲いている。豪華な料理だが、よく見ると紙でできている。いろいろとおかしなことがある。集まった親戚もボール紙でできている。このふしぎな世界は、ワカナはすでに死んでいて、彼女のためにすでに亡くなっている親戚が迎えにきていたのだった。ワカナがまだ若いのに心臓発作で突然死していた。「もうお前は死んでいる」の文芸版だが、面白く読んだ。藤枝静男という作家が、「空気頭」という変な作品を書いているが、文学味が深い。本作品も世代が異なると、このような表現になるのかな、と思わせる。
【「公民館」金沢美香】
 派遣労働者であった語り手は、5年間連続して契約すると、正社員にしなければならないという法律が出来たので、5年直前に契約解除される。そこで、故郷に近い町にふらりと行く。この程度の動機でなんで? と、思うがよくわからない。父親は、長男の彼が派遣労働者であることに、抵抗感を示していた。現在の制度に、まだなじまない家長父制度の流れ、これは作者の世代的なものを示すのか。自己表現としては読めるが、新しい土地に住んだ語り手もその他の登場人物も、印象的な特徴がない。「死にたくないから、生きている」。それは当然のことで、なにか活き活きとしたものがない。各地の神社では、死者がでることを予想したお祭りがある。実際に死者が出るのに、毎年行っている。それで生活に活気を作り、明日を生きる力を産んでいるのではなかろうか。そういうことを考えさせる作品である。
【「スティグマーター replica dool-side snow」新井伊津】
 美貌の若者のゲイ的生活を中心に、その具体的な行動を描く。教授にサービスをして点数を稼いだり、生活を支えたりして暮らす。生活のなかに浸みこんだ、ゲイ活動で、それが美貌の若者の特権のようになっているらしい。
 とくにストーリーのようなものはないようだが、物語としては、何かの事件か、出来事を軸にしてこうした世界を展開したら、読後感に区切りがつくような気がする。間接的にLGPT意識の高まりの反映として、同時代性があり、面白く読める。
発行所=〒701-1464岡山市北区下足守1899-6、横田方。「星座盤」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2019年9月28日 (土)

文芸同人誌「星座盤」第13号(岡山市)(上)

【「他言無用」清水園】
 勤め人だった「僕」は、小説家になりたくて、仕事を止めて創作に専念している。その時には、反対をしなかったらしい連れ合いは、何時までも鳴かず飛ばずの夫に愛想をつかしたのか、去ってしまった。それ以来、一人で文学賞を狙って、創作生活を続けている。その間に、居酒屋に通うようになる。そこで、アルバイトの女店員と知り合い、文学の話をする。その間に、ある文学賞へ応募もしてるが、かすりもしない。いつものように、居酒屋にいくと、すでに女店員はやめている。話は、その女店員は、その男を材題にして、彼の落ちてしまった文学賞の公募に当選していたことがわかる。いかにもありそうな作家志望者を皮肉った作品。
 テキストとしての基本設計は、できている。しかし、設計の細部が足りない。たとえば、去ってしまった妻の意味が薄い。売れない作家志望になっている間に、何か妻の気に入らない決定的なことがあるとする。「僕」はそれに気付かない。だが、世間話で話を聞いた彼女は、そこを見抜き、小説の題材にする。「僕」そのことで、自分の人間的な欠点を思い知らされるーーというような設定を満たす発想がいる。また、娯楽ものにしては、文章が素直すぎて、ストーリーの運びにアクセントがない。村上春樹が読まれるのは、比喩や暗喩を多用して、退屈なところを通過させているせいでもあろう。
【「りだつダイアリー」三上弥栄】
 うつ病を持ちながら、会社勤めをする人の生活日誌。減薬に苦心する様子が記されている。病をもって、仕事をするのは、大変だと思うと同時に、うつ病の薬が多種類あるのに驚く。自分も、アレルギー症から、自律神経失調から栄養失調になった挙句、うつ病と診断された。体質に合うアレルギー薬をみつけたことで、安定剤に切り替えた。その経験から、書かれている薬の種類を減らす努力を興味深く読んだ。よく、仕事中に眠らないものだと感心する。これは推測だが、医師は患者が薬の副作用を訴えると、それを抑える薬を処方するのではないか。そうなると、どんどん薬は増える。人々は、表面上は元気に見えても、内情は病をかかえて、隠して戦っている人は多いはず。自分もそうだった。多くの人に参考になりそう。
【「息災」織部なな】
 還暦を迎えた古仲葉子は、子供が独立し、夫と二人の生活になっている。社会的な人的交流の機会が減ったと感じる。趣味の仲間の家族が、病気になったり、なくなったりする。そんな時に泉という男と知り合い、古典を読む会などの勉強会に誘われる。そこで、ときめきのようなものを感じる。刺激の多い情報社会のなかで、細やかな感覚の表現がある。小説であるから、それなりに、若年寄りの世間話に読める。人間はどんな目的があって生まれて来たのか答えは見えない。人生の過ごし方に迷いがあるのは、若者でも同じ。還暦で見う失いがちな生きる欲望に、如何にして出会ったか、という発想で書けばもっと普遍性が強まるのでは、ないだろうか。
【「可燃」水無月うらら】
 妻子ある男と若い女性の現代的な恋のはじまりと終わり。女性の孤独な心境と、その立場で生きる決意が描かれる。男性との交流の絡みが淡白に描かれていて、日本食的な風味のある作品。切った髪の毛にこだわるのだが、それも突っ込みが浅いため風俗小説の範囲。どこかで、深くこだわりを作って見せないと純文学にはならないのではないか。なぜか、なんとなく、サガンの若書きの「悲しみよこんにちは」や「ある微笑」を思い浮かべた。
発行所=〒701-1464岡山市北区下足守1899-6、横田方。「星座盤」
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

 

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2019年9月27日 (金)

西日本文学展望「西日本新聞」(9月26日・朝刊)=茶園梨加氏

題「田舎暮らし」
椎窓猛さん「村」(『奥八女山峡物語』書肆侃侃房)
佐々木信子さん「波紋」(第7期九州文学47号、福岡県中間市)、汐見弘子さん「しょっぱい骨」(「筑紫山脈」36号、福岡県久留米市)
水木怜さん「ななかまど」(「照葉樹二期」16号、福岡市)、古岡孝信さん「夏の終わる前までに!」(「二十一せいき」百号特別記念号改訂版、大分市)、江雲征人さん「短歌の好きなロシア文学者」(「第7期九州文学」47号)
《文芸同人誌案内・掲示板ーひわきさんまとめ》

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2019年9月24日 (火)

新潮新人賞の第52回から選者に又吉直樹氏

  第51回新潮新人賞(新潮社主催)に中西智佐乃さんの「尾を喰う蛇」が決まったと発表した。賞金50万円。中西さんは昭和60年、大阪府生まれ。同志社大学文学部卒業。現在は会社員。今回の応募作品は1972篇。選考委員の各選評は、10月7日発売の「新潮」11月号に掲載する。新潮新人賞は、公募による純文学の新人賞として定評がある。昨年受賞した三国美千子さんの「いかれころ」はその後、三島由紀夫賞も受けた。選考委員は5人で、第52回からは芥川賞作家でお笑い芸人の又吉直樹さんが選考にあたるという。

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2019年9月22日 (日)

作家のその他の名称について

  作家の分類は、そのジャンルによって分けらている。作家というのは、どうしたら金が儲かるかのビジネス書や美容を追及するノウハウ書などの作者もそう呼ばれる。文芸では「大衆文学作家」「純文学作家」「ミステリー作家」「エッセイスト」「同人誌作家」などがある。書いた本が売れるためには、名前が知られているか、文学賞受賞などの知名度があると有利である。そのなかで、同人誌で文章修行を積んで本を出す「同人誌作家」というタイプもある。その実際が《隠れ家庭内暴力を「高円寺の家」で描く(上)小野友貴枝 》に記されている。文学というジャンルは、今では書店のメイン売り場ではなくなったように、文芸愛好家のグループだけの関心の分野なので、友人にその趣味がないと、読んでくれないことがある。自分も、絵画のアートのジャンルの同級生に詩集を送ったところ、余計なものは送ってくれるな、というクレームをもらったことがある。文化的な人でもそうであるので、むずかしい。小野友貴枝「高円寺の家」は夫の暴力に悩まされる妻の話で、面白いのだが、発売が安打されてないので、説明はにちにしよう。井上ひさしも、かなり妻に暴力をふるったらしい。

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2019年9月21日 (土)

福島原発刑事裁判の無罪は想定内でもある

 東京新聞の9月21日付朝刊の風刺一コママンガで、佐藤正明氏が「想定外でした」で、塀の外の有罪津波が高い塀によって防御され、その内側で被告の経営陣が喜んでいる作品が掲載されている。エスプリの効いた、意味の深い風刺画である。しかし、実態は訴訟を検察が不起訴としたのを、検察審議会で2度はかって、やっと強制起訴が受理されたほどのもので、それを考量すれば無罪は決められていたのは、想定内であろう。ただ、原発のシステムやその危険性を人々に知らしめる意味で、刑事裁判化は成功しているともいえる。《参照:原発裁判化で隠匿された不都合な事実を明らかにできた。》裁判がなければ、どこまでが危険で、どんな弊害があるのかは、知りえない。

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2019年9月19日 (木)

原発・東電経営責任追及裁判で、無責任無罪判決を傍聴できず

 今日は東電刑事裁判判決の日なので、東京地裁に傍聴しようと行った。500人から600人くらいの人たちが傍聴抽選に並んだが60数人の法廷なので、外れた。裁判所前で、判決の掲示を見ようと待ったが、先にいる大手メディアのカメラに阻まれてて見えず。10年前ならこちょまか動いて、逃さなかったろうに、脚が思うように動かず、写真逃した。鈴なりの報道陣の後ろで、無罪判決を聞く。裁判所前には怒りの声が渦巻いていた。ただ、テレビ報道はすくない。国民はこれだけ知らせておけば良いということだけが、報道される。《参照:双葉病院の大量死(1)東電刑事裁判弁護への反論=海渡弁護士

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2019年9月18日 (水)

みっちり書きとスカスカ書き

 現在では、小説を読むのに、みっちり書いたものは、ノンフクションに多い。ミステリー物は、ストーリーが主のスカスカ書いてスピード感を持たせている。時代背景を客観的にそのままのべることなく、人物個人を描くことで、それを感じさせる書き方もある。最近、徳田秋声について、調べたり読んだりしていたら、こんなエッセイに出会った。《参照:徳田秋声の三作品をアンカルクローナ氏がスウェーデン語に》生活ぶりをみっちり書く、秋声の手法は自分には、妙に現代に通用するような気がする。

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2019年9月16日 (月)

文芸同人誌「群系」第42号(東京)

【「本を出す」小野友貴枝】

 安藤沙也というかつての職業夫人が、高齢になってそれまで趣味としていた文芸作品や、生活日記を書籍化することに力を入れている。保健福祉関係の専門職にあった彼女は、「月刊保険ジャーナル」などの雑誌には寄稿していた。そうした連載記事の書籍化した時に、文章力の不足を感じコンプレックスとなっていた。小説教室などに通い、創作することに力を注ぐ。小説や日記を相次いで自費出版する。その出版過程が詳しく説明される。彼女は、高齢者の知見や能力が徐々に衰えるのを恐れている。読むほどにそれが自分自身を語るエッセイに近いものだと、分かる。まさに、小説の基盤である「描写の奥」に「寝ていられない」そのものである。本を出すことへの強いモチベーションが表現されている。とくに、職業と家庭の両立をさせたなかでの、文芸にかかわる心情になかに、本を出すことに対するこだわりと主張がある。文学的であることを理由に、内容の意味不明さを肯定する傾向に一石を投じるのではないか。

【「お布団」逆井瑞穂】

 これは、機関車関連のマニアが、子供のころの鉄材の解体屋に機関車がおいてあって、それの部品を夜中に盗み出そうした話があり、そこで、音消しのために布団を利用したらしい。こだわりは、機関車と母親のことらしいが、全体像がつかめなかった。

   その他、本誌は近代文学作品と作者への評論が多い。特集は「815の青い空 戦争と文学」で、その時代を生きた作家と作品が評されている。特集のほかに【「村上春樹再読(10)―『スプートニクの恋人」・連作『地震のあとで』」星野光徳】がある。村上作品をすべて、読むことは少ない自分には、ある時期の見解があって、そうなのかと思い、面白かった。【「中野重治『萩のもんかきや』-世間の片隅に生きる戦争未亡人の母」小林弘子】は短いが、根は詩人で、小説家の目のつけどころとか、リズムに関する感覚などが知れてこれも面白い。

 その他、近代文学の作家たちの評論がある。現在、若者の国語教育の方向性が、論裡国語と文学国語に分かれたなか、論理国語の選択が優勢だという。その意味でも、文学をする機会を増やす活動として、今後への役割が期待れるものを感じる。

編集部=〒136-0072東京都江東区大島7-28-1-1336、「群系の会

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年9月12日 (木)

なぜいま同人雑誌かー五十嵐勉氏が東京新聞に寄稿

 第3回全国同人雑誌会議が10月19日に東京で開催される。それに合わせて「文芸思潮」誌の五十嵐編集長が、東京新聞9月12日夕刊に「なぜいま同人雑誌か」-流されず、考える力をーという見出しで寄稿している。《関連情報:第32回中部ペンクラブ文学賞発表=中部ぺん第26号》 同人誌会議では、このほか、同人雑誌の運営について現状報告や提言があり、参加者の交流会や翌日に文学館ツアー(3000円)などが行われるという。

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2019年9月11日 (水)

社会小説では、3・11以降に原発事故物が増えた。

 平成の社会小説の分野では、「となり町戦争」など架空的戦争小説と原発事故物が多かった。岩波新書「日本の同時代小説」(斎藤美奈子)は、よく読んでいて、ピックアップして、一番の現代小説紹介の労作である。原発に関しても、自分の知らない小説がたくさん書かれているのがわかった。そこでわかったのは、原発を使わないために起きた出来事という小説は、ないらしい。みんな、原発による破滅社会のようだ。その意味では、みんなが原発が廃止できないと考えているということで、内心にストレスをかかえているということだ。《参照:地震の長期評価(1)東電刑事裁判弁護への反論=海渡弁護士

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2019年9月 9日 (月)

ニュースの取り上げられかた

 福島原発事故の経営陣の裁判の判決が、9月19日にある。メディアでは、子供を虐待をした母親の裁判での様子は、幾度も報道するが、原発事故の責任を追及する公判は37回もあったが、その様子を報道することはない。津波の予測データーによって、対策をたて堤防の嵩上げをした東海原発は辛うじて、全電源喪失を免れたーー同じ予測データを得ている福島はなにもしないで、放射能を拡散させた。明白な事実に被告がどのように、回答したか、少しも報じない。話題にすると注目されて判決を無罪にしたときに、さわがれるからなのか?勘繰りたくなるが、そうでないことを祈る。事故は自然災害意外でも起きるもの。《参照:9/19東電刑事裁判判決前に、議員呼びかけ映画上映集会

今中哲二・京都大学複合原子力科学研究所研究員のまとめを以下に記す。 
  
 この9月19日に東電刑事裁判の判決が予定されているので、今回は特別にこの裁判について説明しておく。

   〔経緯〕2012年6月、被災住民ら約1300人が、東電や政府の原子力関係者33名を業務上過失致死傷罪などで福島地検に告発(告発者はその後約1万5000人に)。捜査を担当した東京地検は2013年9月、全員不起訴処分を決定。告発人らの申し立てを受けて審議していた東京地裁・第五検察審査会は2014年7月、東電幹部3人を「起訴相当」1人を「不起訴不当」と議決。
    再捜査を行なった東京地検は2015年1月、東電幹部4人に再度不起訴の判断。第五検察審査会も再び審議を始め2015年7月、東電幹部3人を「起訴相当」と議決し、東電元会長・勝俣恒久、元副社長・武黒一郎、元副社長・武藤栄の強制起訴が決まった。
2015年8月、東京地裁は検事役を務める指定弁護士3人を指名(のちに2人追加された)。
2016年2月、指定弁護士が起訴状を提出。2017年6月に初公判が開かれ、以降2019年3月までに37回もの公判が開かれた。被告3名に対しては「禁固5年」が求刑され、この9月19九日に判決が下される。

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2019年9月 7日 (土)

第7回文学フリマ大阪が8日に開催される

 もう7回目になるのか「文学フリマ大阪」。とにかく書店にはない文学書が買える。群衆のなかの孤独も味わえる。夏炉冬扇か。行くことそのもが文学なのか。

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2019年9月 4日 (水)

西日本文学展望「西日本新聞」8月30日(朝刊)茶園梨加氏

題「現実との格闘」
志田昌教さん「からゆき初音」(「長崎文学」91号、長崎市)、宮本誠一さん「慰留地」(「詩と眞實」842号、熊本市)
くまえひでひこさん「赤い夕陽の満州」(「長崎文学」91号)、古庄ゆき子さん「川島つゆと川島ゼミの面々」(「航路」62号、大分市)

《「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ》

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2019年9月 2日 (月)

メディアの商売繁盛至上主義に乗らずに

 他国へのヘイト記事とテレビが横行しているが、それでストレス解消するのは、不幸なことだ。ほかに幸せ感をえられない自分をみつめよう。東京新聞の夕刊に、西村京太郎が「この道」というのを書いている。8月31日の第26回に米軍の東京大空襲のことが書かれている。-最初から日本の焦土化を狙っての被差別爆撃である。だからといって、非難してもはじまらない。戦争はもともと非人道的なものだし、無差別爆撃を最初に行ったのは日本だからであう。日中戦争で中国側が首都を南京から重慶に移した時、長距離の爆撃が必要となった。ーー

 その時に、井上成美が無差別爆撃をしたそうである。それは知らなかった。加害国として、恨まれる原因を知らない人が増える。しかし、被害国はそれを子孫に伝えるのは自然である。それを知ったら、せめてヘイト感情だけは、起こすのはやめたいものだ。

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2019年9月 1日 (日)

同人誌評「図書新聞」8月31日=越田秀男氏

ーー1部抜粋ーー『夜を漕ぐ』(葉山ほずみ「八月の群れ」68号)――双子の姉弟、弟がクローン病を患い、小腸から大腸に及ぶ大手術を受ける。手術後の夜、姉は病院から、母を付き添いに残し帰宅、の途中、焼肉屋に寄りホルモンを注文。腹減った? 切除された弟の腸管と牛の腸を引き比べるため。姉は自分の健康体が反って引け目となり弟の臓器提供者たらんことを切望している。〝夜を漕ぐ〟とは生と死の寄せては返す波に舵を取りながら漆黒の川を渡る姉弟の姿である。
 『絹子の行方』(倉園沙樹子「民主文学」7月号)――なんとか自立に近い日常をおくる独居老人「絹子」は、地域行政の〝自立を促す〟とかいう勝手な都合で、自立的日常を奪われ、息子夫婦の家に引き取られる。そのストレスが認知症スパイラルへ。ーー瞠目すべきは、認知症の進行を外部観察により捉えるのではなく、絹子の内側から意識の崩壊過程を描き切っているところだ。
 『花の影』(大巻裕子「北陸文学」83号)――主人公はトラック野郎から身を立て運送会社を設立運営し四十年。その手足、頭脳として支えた妻が、肺がん末期に。キャンピングカーで妻の故郷、鹿児島・知覧へ。その地で臨終を迎える。以後、妻の思い出をはじめ主人公の人生全ての像が走馬灯のように回転しておさまらない。
 『羊腸の小径』(「伊藤仁美」じゅん文学100号)――〝羊腸の小径〟は箱根の山道! さにあらず、人間の腸管。主人公は近所付き合いのトラブルで、体調を崩した、とは早合点、実は大腸がんだった! 無事生還したが、心と体と頭のこんがらがりの一例。「じゅん文学」は100号の節目。井坂ちからさんは、四半世紀におよぶ戸田鎮子さんの主宰者としての活動を讃えねぎらう中で「書き続けていれば人は老いず、読み続けていれば人は死なない」。
 以下の二作品は村の姿、戦後編と現代編。
 『雉撃ち』(宇江敏勝「VIKING」822)――舞台は和歌山県近野村、戦後四年経過。村唯一の宿屋に婿入りした男が妻を身籠もらせて出征、無事誕生も、婿は知らせを受けた後生死不明に。妻は戦後、別の男と事実婚、そこに婿が生きて帰ってきた。以上は物語の傍流で本流は雉撃ち。臨場感あふれる描写力。物語の核心に〝芝刈場〟。何を変え何を守るか、時代を超えた課題が突きつけられる。
 『ポスティングの朝』(高橋道子「麦笛」17号)――主人公(匡子)の実家は農家。夫は匡子の父が亡くなると脱サラし農家を嗣ぐ。実家暮らしに舞い戻った匡子は自治会長を押しつけられ六〇戸もの集落へのお知らせ配り。ポスティングとはプロ野球の大リーグ移籍ルールのことではなかった。この作業を通じ衰微する村の様子が記述される。なぜ? 天明の大飢饉―東日本大震災の記憶。村の時空を巧みに描いた。
 以下の二作品は原体験とその表現が論じられる。
 林京子と言えば長崎被爆体験を描いた『祭りの場』、そうそう、中上健次に〝原爆ファシスト〟と罵られたこともある――こんな浅薄な知識で分かった風になられては困る、と書かれたのが『上海そんなに遠くない』(松山慎介「異土」17号)――「日中戦争の時代に中国人と先入観なく遊び、生活した」〝ありのまま〟の上海、林京子の原風景――を下敷きに『祭りの場』を読み直せば、新たな発見がある。
 広島の被爆体験を描いた小説には大田洋子『屍の街・半人間』、原民喜『夏の花』。松山さんはこの二作品との対比も的確に論じている。そして原民喜と、アウシュヴィッツ体験を記したプリーモ・レーヴィを重ねて論じたのが『天命と使命について』(青野長幸/ 23号)。原の言葉「コノ有様ヲツタエヨト天ノ命」と、レーヴィの「押しつけられた役目」、両者の〝天命と使命〟が突き合わされる。原体験の風化に抗す! (「風の森」同人)《参照:認知症スパイラルを意識の内側から描く(「民主文学」)――原風景“上海”から林京子を読み直す(「異土」)

 

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