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2019年8月12日 (月)

文芸誌「北方文学」第79号(柏崎市)

文芸誌【「北方文学」第79号については、「玄文社主人の書斎」に詳しくある。
【「ヘンリー・ジェームスの知ったこと(二)」柴野毅実】
 H・ジェームスの作品は、映画化された「ねじの回転」しか思い出せない。S・モームの書いたもので、触れていたような気がする。それで、他にも読んだものがあるかもしれないが、気の長い書き方にあきれて、遠ざけていた。しかし、驚いたことに、心理小説がサディズム精神に満ちたものだという指摘には、まさに、「眼からうろこ」である。イジメの原理もまさに心理的な苦痛への働きかけであろう。人間は、快感と苦痛の強いものを記憶にとどめる。評者はH・ジェームスの心理の論理的展開を解説している。そういわれれば、作品の始まりの長々しいという印象も、心理の論理的展開の前提条件であったのか、という思いもある。随所に有意義な指摘があり、思わず引き込まれてしまった評論であった。
【「泉鏡花、『水の女』の万華鏡(二)『沼夫人』における旧さと新しさ」徳間佳信】
 泉鏡花の作品が、西洋の名作から影響された様子を解説する。言葉の芸術の面でみると、かつて前衛的表現とされたものが、時間と繰り返しのなかで、成熟と進化によって、前衛性を失い、通俗化することを考えさせられる。
【「新潟県戦後五十年詩史―隣人としての詩人たち<13>」鈴木良一】
 労作であるが、今回は「北方文学」の同時代性における、詩誌の複数参加かかわる部分興味深かった。中にある詩誌「岩礁」の大井康暢( 2012年没)とは面識があった。三島での活動とも縁があったらしい。

【「和歌をめぐるふたつの言語観について(三)」石黒志保】
 仏教の基本かどうか分からないが、自分は空の概念といた金剛経の道場に通ったことがある。論旨と異なるかもしれないが「沙石集」と無住という著者の関係を知り、和歌のリズムが経文のそれと類似することへの関係について納得するものがあった。金剛経に「応無所住而生其心」とという有名な文言がある。
【「緑の妖怪」魚家明子】
 少女の語りで、植物的存在となった兄や両親の家族のなかで、妖怪の存在を信じる少女が緑の妖怪をみる。そして、成人してからも兄の秘密への想いがつきまとう。それからというところで終る。秘密性と軽やかな語りが面白く読ませる。
【「かわのほとり」柳沢そうび】
 見寿という女性は、父親が誰かもわからない子供を産んで育てている。病弱な赤ん坊の診察をしてくれるのが、カワセドウジという、何かの化身のような医師である。子供が成長すると男は姿を消す。超常的で限定的な心情を表現する。
その他、小説に【「賜物」新村苑子】がある。息せき切った当事者的迫力があるが、息子が不審死する家庭とその親族の話。事件としたものではありがちなこと。冷静に物語の、冷ややかな感覚で語る手順もあるのではないか。【「北越雪譜と苦海浄土」榎本宗俊】厳しい現実のなかに、雪に埋もれ、公害に埋もれていく多くの民衆の存在を想起させるものーーなどもある。
発行所=〒945-0076新潟県柏崎市小倉町13-14、玄文社内、「北方文学会」
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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