文芸時評8月(東京新聞8月1日)佐々木敦氏
今村夏子の最初の芥川賞候補作「あひる」は、先ごろ終刊となった文学ムック『たべるのがおそい』の掲載作だった。つまり今村は既存の文芸誌=純文学専門誌の掲載作では一度も芥川賞候補に挙げられていないのである。それがどうしたと言われそうだが、私にはこの事実はとても興味深いことに思える。何度か書いていることだが、考えれば考えるほど定義が困難に思えてくる「文学」は、今や実質的に「芥川賞」に紐(ひも)づけられている。『小説トリッパー』のようなマルチな小説誌から遂(つい)に芥川賞が出たということは、そのまま「文学」の地殻変動を示しているとも言えるのだ。
村上春樹はデビュー作『風の歌を聴け』と第二作『1973年のピンボール』が芥川賞候補となったが、受賞はせず、その後は候補に挙げられることはなかった。その村上の最新短編二作が『文学界』8月号に掲載されている。約一年前に同じ雑誌に発表された「三つの短い話」(『文学界』2018年7月号)の続編だが、連作短編「一人称単数」という前にはなかった総題が附(ふ)されている。「ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles」は、もちろんビートルズの想(おも)い出話から始まるのだが、やがて一九六五年、高校二年生だった「僕」と、その夏に初めて出来(でき)たガールフレンド、そして今の言葉で言えば「引きこもり」に近い生活を送っていたと思われる彼女の兄との、俄(にわか)には信じがたい物語に入っていく。もうひとつの「ヤクルト・スワローズ詩集」は、ヤクルト・スワローズ(旧サンケイ・アトムズ)と神宮球場をこよなく愛する作家のエッセイ的な作品だが、題名通り途中に自作の野球詩(?)が何度も挟み込まれるのが面白い。注目すべきは、この小説の語り手が、はっきり「村上春樹」と名乗ってみせるということである。つまり「一人称単数」とは要するに「私小説」ということなのだろうか。更(さら)なる続編があるのかどうかはわからないが、これまでになく作家自身の素が表れているように読めるのは確かである。
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