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2019年8月 9日 (金)

文芸時評8月(産経新聞7月28日)石原千秋教授・村上春樹と文学の老い

 半期15回の村上春樹の授業を終えた。読み直すたびに僕の作品の評価が上がっていくのがわかる。『騎士団長殺し』(新潮社)ならば、第1部が「イデア」であり、第2部が「メタファー」。イデアはある概念であり、その具体的な姿が騎士団長である。メタファーというレトリックはあるものと別のあるものが似ていることで成り立つ。これはラングとパロールとの関係で説明できそうだ。 ラングとはたとえば日本語のような概念であって姿はないから、イデアに相当する。パロールは現実に話し、書かれる日本語だから具体的でそれぞれがちがう姿をしている。では、あの人の話す言葉とこの人が話す言葉がなぜどちらも日本語だと「わかる」のかといえば、それはその2つの言葉が似ているからだ。つまりメタファー。騎士団長が1つのパロールならば、この世界にはそれに似たパロールがたくさんあるはずだ。この世界は騎士団長に似たものであふれているにちがいない。

《参照:【文芸時評】8月号 早稲田大学教授・石原千秋 村上春樹と文学の老い

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