文芸時評・9月(産経新聞)石原千秋教授
千葉雅也「デッドライン」(新潮)は、ゲイとして生きる「僕」が現代思想(ジル・ドゥルーズ)を学ぶまでを書いた一種の青春グラフィティーである。終わり近くの「僕は線になる。/自分自身が、自分のデッドラインになるのだ。」を読んだとき、ごく自然に次の一節が頭に浮かんだ。「血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。/限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。」(村上龍『限りなく透明に近いブルー』)である。何かになりたいと思うこと、それが青春の終わりだと教えてくれる。しかし、「デッドライン」に『限りなく透明に近いブルー』の衝撃はない。
| 固定リンク
コメント