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2019年8月13日 (火)

日本国の小規模化と生活感覚

  10年以上前に、今は亡き 鳴門道夫氏は、国家生命力の盛衰サイクルからして、当時の日本の現状を「政策の喪失による人口減」、「軍事・外交・経済、学力などの低迷」、「格差社会の到来ではなく中流階級の下流転落」、「心理的萎縮と魔女探し」、「財政破綻と次世代への付け回し現象」など、国力は歴史の峠を越えたという見解を示した。そして今後、大企業の事業部崩壊で、研究所の受託先がなくなり、さまざまな企業内の人材が社会に出ていくことを予測している。そして、同時に経団連による新事業推進への企業内意識調査報告書(2004年)の概要を説明しながら、安定志向から、退路を断った新事業開拓精神の重要性を説いた。
 いまだに、同じことを言い、大した国だといいう雰囲気に満ちている。安倍政権が「日本をとりもどす」というキャッチコピーは、かつての日本国のようでない方向に向かっていることを、示している。しかし、生活感覚ではクールジャパンとかスポーツの国際的進出などで、現実に即した感覚を失っている。隣国韓国などの話も、朝鮮半島全体が瀬戸際外交をしはじめただけのことで、そのことは大した問題ではない。問題なのは日米安保をどうするのか、が問題なのである。トランプは、北のミサイルは米国に届かなければ良い、という本来の核兵器拡大路線になっている。安保条約は、役に立たない。こうしたことになることを想定、見越してして、60年~70年の安保反対運動があったのだが、その本質を知らないひとばかりになってしまった。世界を支配する資本家の姿も変化している。ものごと、どれが正しいなどということはないのが、事実である。それを自分たちは正しいと思い込むと、異常に残酷なことを平気でするようになる。はやりのアニメカルチャーのなかに、それがあるような感じがしている。世界文学というヨーロッパ文学中心の概念も失われた。世界の潮目が変わったことを意識しないでいる生活感覚に、違和感を覚えながら、世間を眺める日々となった。《参照:文芸の世代的断絶の部分(1)伊藤昭一

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