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2019年8月17日 (土)

小説のリアリズム的表現の遊離性

 小説のリアリズム表現の原則として、「ものの特徴をとらえるのに、そのものを取り囲んでる他のものとの関係の中でとらえなければならないわけだから、文章によって、モノの内容を表し、つきとめようとすれば、そのものを取り囲んで他のものに、ただちに目がとどくということがなければ、そのものの内容もまた正しくとらえることができない」と、全体小説志向の作家・野間宏は説いていたのだが、昭和前半の時代に生まれた人間には、ものの特徴のどれが特徴なのかがわからない。だから、かれらのわかり範囲のものをわかり人達向けて書く。世界は世代によって分断され、価値観も異なっている。そうなると、自分などは書くことへのモチベ―ショウンが失われてくる。書く必要がないように思える。《参照:文芸の世代的断絶の部分(5)伊藤昭一

 卑近な例でいうと、日韓関係について、識者があれこれ語るが、そこに物の本質が語られることがない。その問題のもっとも特徴的なな関係性は日米安保の日本の従属的立場にある。日韓条約の時点で、反対があって、朝鮮半島がひとつにまとまってから条約を結ばないと、条約にならないとしていた。それを米国と米国に食わしてもらっている連中が、無視黙殺して米国のご褒美をもらっているのだ。昔のことのように思うかもしれないが、歴史的にみれば昨日のことなのだ。この関係性を表現しても理解する人がどれだけいるか。リアリズム表現の理解範囲の限定性が、そこにある。

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