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2019年7月28日 (日)

文芸同人誌「R&W」第26号(名古屋市)

【「あの日」霧関忍】

 太平洋戦争で、お国のために命を捨てた兵士たちの中で、生き残った兵士の血なまぐさい過去の語り。その兵士の友人で亡くなった兵士の子供が、父親が誰のために何のために死んだのかを考える。語り手が交互に語ることで、問題提起が明確になっている。構成も筋の運びもよく、次世代に伝える論理としても有効な作品に思える。

【「向日葵はエレジーを歌わない」前田三紀】

 同居の姑を98才でみとった真希子は、その歳まで人生を過ごすことはどういうことなのか。姑のなくなったその日までの日にちをカウントダウンをしながら毎日を過ごす。その過ごし方を丁寧に描くが、ある意味で、めぐまれたゆとりのある生活の作文で、書くことで、自己の存在意識の定着をはかったものに読めた。

【「都合」小路望海】

 平成33年という、今では存在しない年号の近未来小説である。現代を反映した人の生活ぶりを描き、特に女性の子育てにまつわる話。混乱した生活ぶりが描かれ、なるほどそうなるのかという生活感覚を表現する。令和時代の人々のさまざまな解釈ができそう。こういうのが時代の傾向というのであろうか。

【「還る」渡辺勝彦】

 天空の神の使いでもある鷲の目で、人間世界を見下ろす。チベットの鳥葬をヒントにしたのか。人間は死して、肉体を鷲に提供して功徳とする。ツェドゥンと母親、家族を通して生けるもの輪廻を語る。チベット仏教の経文は、金剛般若経に共通点があって、自分はその経典で座禅を修業をしたことがある。存在は本質的に無であるがゆえにその姿、現象を変化させ得るーという「無我相」がその根底にあるが、その感覚が身につこととなく、距離が出来てしまうことがある。

【「菜の花畠に火影が落ちる」松本順子】

 佐和というフリーライターで図書館司書をしている女性の生活物語。冒頭に事件のメディア報道のことが書いてあるので、どんな関係かと思えば、ただ観ただけ。えっと驚かせる効果はある。独り暮らしの不安を描いたのかも。生きることへの実感がないことを示したのか、ただふわふわとした気分で生活する女性の実地を描いたのか、知り合いの人的交流による悲話も緊張感が欠けるような気がする。これが現代的風潮なのか、どう受け止めたらいいか、自分にはわからなかった。

【「僕と流れの深い仲」久田ヒロ子】

 ペットブームを反映したのか、物書きに買われた猫の独白である。現代版の「吾輩は猫である」には程遠いもので、希薄な社会意識なのか、動物の世界に身を置くことで、ストレス解消になるという、世相の反映をしたものであろう。

【「帰り花」寺田ゆうこ】

 寺にいる京都弁の女性による語りで、雰囲気小説の体裁。昔、南先生という女性が、弟と妹を連れて東京の空襲を逃れて、この寺にいた縁を語る。戦後、若い男と駆け落ちしたが、その男には婚約者がいたそうである。その経緯を聴いている人がいて、それが南先生の子供らしいという因縁話。

発行所=名古屋市中区上前津1-4-7、松本方。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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