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2019年7月31日 (水)

同人誌時評「図書新聞」(8月3日)=評者・志村有弘氏

 (一部抜粋)桜井克明の「一日百円駐輪場」(「残党」第48号)が、異質のふたりの人間像を描き分け、人生とは何かを考えさせられる、小学校と大学を共にした浦山と落合。落合が「くされ縁」と称したように、ふたりは相性が悪かった。浦山はかつて学問の世界に専念したことがあったけれど、今はK市で駐輪場を営む。三年前に母が死に、遺産相続で妹たちと争うことになり、借金ができた。一方、名古屋の会社で出世した落合は、三年前に妻を亡くし、K市に戻って息子や孫と住む家を新築した。前半では不遜とも見える浦山の姿が描かれ、落合の吝嗇で小人物的人間像も記される。後半では落合の視点で学生時代の浦山の「唯我独尊」ぶりが示され、「自分は俗人とは違うというプライド」を持った、「文学馬鹿の典型かも」とこきおろす。裁判の不合理や大学紛争ではじき出された不運も示される。しかし、背後に作者の醒めた眼。力作である。
 花島真樹子の「虹のかなたへ」(「遠近」第70号)は、女優の死を描く。老人ホームの住居人石堂ゆりえ(舞台女優・七十六歳)が交通事故死した。ゆりえは舞台女優よりテレビの出演で知られていた。死ぬ二日前、施設の職員戸田に不倫が原因で過去二度の自殺未遂をしたことを語った。戸田が、脇役で不満はなかったのかと訊くと、「仕方ないじゃない、だって私は女優ですもの」と応えたゆりえの悟りきった姿。「五十年遅く生まれていて戸田さんに会えていたら」と告げるゆりえの心情が哀れ。ゆりえは金も尽きていた。しかし、女優として精一杯生きて自殺したのだ。読後の寂寥感とは別に、爽やかな抒情を感じさせるのは、作者の伎倆。筋の展開も文章も達者だ。
 粕谷幸子の「あいまいなわかれ道」(「全作家」第113号)は、「彼」(異名遠山総代君)の風変わりで、どこか寂しい言動が印象的だ。彼は「わたし」の夫と同じく旧制五中(小石川高校)の出身で、入学式では宣誓文を読んだほどの人物。いつも酒を飲み、就職もせず、小石川高校にふらりと現われ、一時間ほど座り込んだりし、月に一、二度、酒気を漂わせながら「わたし」の家にくる。彼の妻アキコが、彼が再婚するので別れることにしたと告げにきた。その彼が脳梗塞で他界した。葬儀のときに見た遠山の新しい妻は、アキコが言うような醜女ではなく、礼儀作法もわきまえていた。アキコの言葉の謎。佳作の短篇小説。
 臼田紘の「クラスメート」(「飛火」第56号)は、大学時代のマドンナ・中村彩子の学生時代とその後が、旧友の話から示されてゆく。作品の語り手である貞夫も彩子への思いを抱き続けていた。貞夫は彩子への思いから、彩子のそばにいた土屋郁代と儚い関係を持ったこともあった。その郁代は癌で他界していた。彩子に対する山崎彬の男らしい真摯な行動。そうしたことが静かな、丁寧な文章で展開する。人生の甘酸っぱさも漂う、良質の作品。
 森下征二の「泰衡の母」(「文芸復興」第38号)藤原泰衡の首級に残る傷痕の謎解きが興味深く、泰衡の母(成子)の気丈な姿も印象的だ。成子を〈国衡の妻〉というだけではなく、〈泰衡の母〉である点を注視しているのが見所。また、秀衡が国衡の許婚であった成子を「奪い取った可能性」という指摘も面白い。
 エッセーでは、「月光」第58号が反骨の歌人・坪野哲久特集を組む、福島泰樹の哲久の生涯を綴るエッセーをはじめ、作品論、坪野を詠んだ歌などが掲載されていて貴重。「脈」第101号が詩人勝連敏男の特集。兄の勝連繁雄や川満信一らが勝連のありし日を伝えている。比嘉加津夫の「詩だけが人生であった」という言葉が、勝連の全てを象徴しているように思われる。(相模女子大学名誉教授)

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2019年7月29日 (月)

ドストエフスキーとトランプの関係

  ドストエフスキーの「未成年」には、冒頭からロスチャイルド家にあこがれるの話が出てくる。この時代から大資本家として存在していた。日露戦争で、資金のなかった日本の国債を買ったのもロスチャイルドだったようだ。当時のロシア皇帝がユダヤ人を迫害していたこともあるらしい。日本は8年かけて、それを返済したという。挑戦戦争の時には、ロシアと米国の両方に戦費を貸して設けたたという噂もある。現代ではプーチンがアメリカ系資本の石油会社の社長を英国に追放した事件があった。ロシアからは国際資本はなくなったとされている。最近のトランプ大統領はこうした国際資本の動向と関連しているのではないか? とネット情報を集めてみたのが、《参照:大統領に執着するトランプ氏を包み込む妖霧(3)》である。

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2019年7月28日 (日)

文芸同人誌「R&W」第26号(名古屋市)

【「あの日」霧関忍】

 太平洋戦争で、お国のために命を捨てた兵士たちの中で、生き残った兵士の血なまぐさい過去の語り。その兵士の友人で亡くなった兵士の子供が、父親が誰のために何のために死んだのかを考える。語り手が交互に語ることで、問題提起が明確になっている。構成も筋の運びもよく、次世代に伝える論理としても有効な作品に思える。

【「向日葵はエレジーを歌わない」前田三紀】

 同居の姑を98才でみとった真希子は、その歳まで人生を過ごすことはどういうことなのか。姑のなくなったその日までの日にちをカウントダウンをしながら毎日を過ごす。その過ごし方を丁寧に描くが、ある意味で、めぐまれたゆとりのある生活の作文で、書くことで、自己の存在意識の定着をはかったものに読めた。

【「都合」小路望海】

 平成33年という、今では存在しない年号の近未来小説である。現代を反映した人の生活ぶりを描き、特に女性の子育てにまつわる話。混乱した生活ぶりが描かれ、なるほどそうなるのかという生活感覚を表現する。令和時代の人々のさまざまな解釈ができそう。こういうのが時代の傾向というのであろうか。

【「還る」渡辺勝彦】

 天空の神の使いでもある鷲の目で、人間世界を見下ろす。チベットの鳥葬をヒントにしたのか。人間は死して、肉体を鷲に提供して功徳とする。ツェドゥンと母親、家族を通して生けるもの輪廻を語る。チベット仏教の経文は、金剛般若経に共通点があって、自分はその経典で座禅を修業をしたことがある。存在は本質的に無であるがゆえにその姿、現象を変化させ得るーという「無我相」がその根底にあるが、その感覚が身につこととなく、距離が出来てしまうことがある。

【「菜の花畠に火影が落ちる」松本順子】

 佐和というフリーライターで図書館司書をしている女性の生活物語。冒頭に事件のメディア報道のことが書いてあるので、どんな関係かと思えば、ただ観ただけ。えっと驚かせる効果はある。独り暮らしの不安を描いたのかも。生きることへの実感がないことを示したのか、ただふわふわとした気分で生活する女性の実地を描いたのか、知り合いの人的交流による悲話も緊張感が欠けるような気がする。これが現代的風潮なのか、どう受け止めたらいいか、自分にはわからなかった。

【「僕と流れの深い仲」久田ヒロ子】

 ペットブームを反映したのか、物書きに買われた猫の独白である。現代版の「吾輩は猫である」には程遠いもので、希薄な社会意識なのか、動物の世界に身を置くことで、ストレス解消になるという、世相の反映をしたものであろう。

【「帰り花」寺田ゆうこ】

 寺にいる京都弁の女性による語りで、雰囲気小説の体裁。昔、南先生という女性が、弟と妹を連れて東京の空襲を逃れて、この寺にいた縁を語る。戦後、若い男と駆け落ちしたが、その男には婚約者がいたそうである。その経緯を聴いている人がいて、それが南先生の子供らしいという因縁話。

発行所=名古屋市中区上前津1-4-7、松本方。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2019年7月24日 (水)

事実と小説の間に取り組む

 このところ同人誌を読んでいると、10数年前とは様変わりしている。かつては純文学派作家が多かったが、最近はただの作文のようなものが増えてきた。おそらく同人誌の結社の存続のために、芸術志向のない、作文を小説として扱って同人を増やしているのではないか。こちらは、作文でも現代らしい出来事が書かれていれば、世相の把握ができるので大いに結構である。先日、警察の捜査のための情報提供者(s)の話を聴いてきた。《参照:元捜査協力者が冤罪で有罪(1)国賠訴訟した盛一克雄氏》。このような事実を小説に生かしたものがあっても良いのではないか。

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2019年7月19日 (金)

文芸同人誌「石榴」第20号(広島市)

【「消せない」木戸博子】

 女性の性意識とその体験を、良かれ悪しかれ体験として、心に刻まれた記憶を語る。女性の性に関する感覚と意識の独自性については、千人千様の様相がある。なにがあってもおかしくない世界である。そのなかで、主人公の私は、自意識があって文学的センスのある男性との接触望んでいたが、感覚の違いでが、関係のすれ違いを産む事例を語る。終章の一行「観念的で潔癖な男友達ともあれきりになった」とある。おそらく心の奥では、語り手は、現在も当時の感覚をもっていると、推察できる。

 清楚な筆致で女性の心理が描かれていて、大変面白く読んだ。しかし、良く考えると、同人誌作品には、段取りが悪い下手な文章で、語るべきことが何であるか不明な作品が多く、推理を交えて読まないと、意味がとれないことが多い。それに、慣れた感覚で本作を読んだことで、大変にすっきりとした佳作に思えた可能性もある。ここでは精神のみに絞ることで、芸術性の維持がなされている。現代では、小説芸術についてアンドレ・ブルトンのように、「劣等なジャンル」とされるほどの俗悪な部分を持つことを考えると、肉欲的な部分の扱いも重要なのかも知れない。が、それは文章芸術とし大変に難関であることは否定できない。

【「時軸あるいはルースキー・イズィーク」篠田賢治】

 作者は、ロシア語が堪能で、ドストエフスキーのロシア語版を収集していることが記されている。図書館の運営の民営化による通俗性の傾向は、東京24区でも影響があって、似ているところが興味深い。伝統的な名作や全集を片端から排除して、新本に切り替えている。ここでも図書館は大衆性のある本を揃えているが、少数者の読者しかいない本は、購入整備しない傾向についての事例を述べる。その他、自からの読書趣味や、ロシアの出版事情、合田君と話の通じる男との交流など、小説的にも大変面白い。ある意味で、このような知見を活かした作品は、文学愛好者の支持するところだと思う。

 その他、【「星置き」杉山久子ー石榴俳句館】、【「リフレインする泉」吉村鞠子】、【「映画に誘われて」オガワナオミ】などがある。

発行所=〒7891742広島市安佐北区亀崎2167、木戸方。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2019年7月17日 (水)

第161回「芥川賞」に今村夏子氏 「直木賞」は大島真寿美氏

 第161回芥川龍之介賞・直木三十五賞を17日、日本文学振興会が発表。「芥川賞」は今村夏子氏(39)『むらさきのスカートの女』、直木賞は大島真寿美氏(56)『渦 妹背山婦女庭訓(いもせ やまおんなていきん) 魂結(たまむす)び』が受賞した。今村氏は3度目、大島氏は2度目の候補入りでの受賞。今村氏は1980年広島県広島市生まれ。2010年『あたらしい娘』(のちに『こちらあみ子』に改題)で第26回太宰治賞を受賞。11年『こちらあみ子』でデビュー。
 主な作品に『こちらあみ子』2011年筑摩書房刊=第24回三島由紀夫賞受賞。「あひる」16年たべるのがおそいvol.1=第155回芥川賞候補、単行本は16年書肆侃侃房刊=第5回河合隼雄物語賞受賞。『星の子』17年小説トリッパー春号=第157回芥川賞候補、単行本は17年朝日新聞出版刊=第39回野間文芸新人賞受賞。『木になった亜沙』文學界17年10月号。『ある夜の思い出』18年たべるのがおそいvol.5。『父と私の桜尾通り商店街』19年KADOKAWA刊。
 受賞の『むらさきのスカートの女』は、近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉が、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導する話。
 大島氏は1962年生まれ、愛知県名古屋市出身。92年『春の手品師』で第74回文學界新人賞を受賞しデビュー。主な作品は、『チョコリエッタ』2003年角川書店刊。『虹色天気雨』06年小学館刊。『ふじこさん』07年講談社刊(『春の手品師』併録)。『戦友の恋』09年角川書店刊。『ビターシュガー』10年小学館刊。『ピエタ』11年ポプラ社刊=第9回本屋大賞第3位。『あなたの本当の人生は』14年文藝春秋刊=第152回直木賞候補。『空に牡丹』15年小学館刊。『ツタよ、ツタ』16年実業之日本社刊。『モモコとうさぎ』18年KADOKAWA刊、他。
 受賞作は浄瑠璃作者・近松半二の生涯を描いており、著者の長年のテーマ「物語はどこから生まれてくるのか」が、義太夫の如き「語り」による長編小説。

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2019年7月16日 (火)

文芸同人誌「私人」第99号(東京・朝日カルチャー)

【「八月の残照(後篇)」杉崇志】

 太平洋戦争で、兵士になっていた父親の人生を追うなかで、子供が自分の父親親探しをする話がメインなのか。

【「叔父の手記」えひらかんじ】

 叔父・河野数之の「生き残るの記」の手記を派遣する。1946年から結核にかかり清瀬の療養所に入所。当時は死に至る病であったが、ストレプトマイシンの製品化に間に合い一命をとりとめる。そこからの人生が語られる。いわゆる額縁方式の作品であるが、おそらく実話であろう。記録的な意味を感じた。

【「ウエールズの父(一九三九年)」根場至】

 山登りが好きな叔父の話。

【「曖昧な記憶」みやがわ芽生え】

 既婚女性の家庭と離婚と、その元夫が交通事故にあって、いろろなことが起こる。しかし、記憶が曖昧であるという、そのままの話。

【「五十年後の復刊ー三木卓の『ミッドワイフの家」尾高修也】

 三木卓の掲題にの小説が復刊されており、その作品への作者のこだわり方が指摘されている。よくその意味を考えてみたいものだ。文章をかけば小説になるというのは、天才のやることで、娯楽作品なら読者に時を忘れる面白さを、純文学なら、こだわることへの強さを求めたい。どちらでもなければ、ただの作文としか読めない。文章をくふうしてこそ小説になるのだがなあーー。ただ、最近の文芸というもの対する考え方の表れを知ることができる。

  その他【「和解」笹崎美音】、【「トサカ」百目鬼のい】、【「マイ・ウェイ/和子の選択」根場至】、【「セロニアス・モンク」杉崇志】などがある。

発行所=朝日カルチャーセンター

紹介者=「詩人回廊」北一郎

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2019年7月15日 (月)

恩田陸氏ーー日本ファンタジーノベル大賞に応募してから就職活動

恩田さんは1991年に第3回日本ファンタジーノベル大賞に応募した『六番目の小夜子』で小説家としてデビューなさいました。その前後の思い出を伺えますか。

 恩田:子どもの頃から「いつか作家になりたいな」とは思っていました。でも、いまとちがって当時は、若い人が作家としてデビューできる機会は新人賞に応募することしかなかった。なぜか作家はみな年寄りだという固定観念があり、もし自分が作家になるとしてもずっと年を取ってからの話で、若いうちからなれるものだとは思っていませんでした。

 ところが第1回日本ファンタジーノベル大賞で私より1歳年上なだけの酒見賢一さんが、『後宮小説』という傑作でデビューした。そのことにものすごい衝撃を受けたんです。そうか、別に若いうちから書いてもいいのか!と思って応募したのが『六番目の小夜子』という作品でした。

 恩田:はい。就職していちばん嬉しかったのはハードカバーの本が買えるようになったことで、就職後の1、2年はその年に出たミステリー小説はほとんど買って読んでいたんです。でもそのうちに第一次OA化の時代がやってきて、職場の仕組みがアナログからデジタルへの移行ですさまじく忙しくなった。そのせいで本を読む暇もなくなってしまい、身体まで壊してしまったんです。

 そのときに、この小説を書き始めました。最初はどこに発表するつもりもなくノートに書いていたのですが、第2回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を読んで、「私の考えるファンタジーはこれじゃないな」と思ったんです。「読者」としての自分は、よくある異世界もののような正統派のファンタジーではないものが読みたかったんです。じゃあ自分だったらどういうものにするだろう、と思って書き始めたのが『六番目の小夜子』でした。

 身体を壊したので勤めていた会社を辞めることになり、時間ができたのでひと月ぐらいで一気に書いて応募しました。締切が迫っていたせいか、かなり追い詰められていて、寝ると夢に「小夜子」が出てくるんですよ。「すいません。早く続き書きます」と登場人物に謝りながら書いていました(笑)。
 作品が出来上がったあとも、ノートに書いたものを原稿用紙に清書するため2晩くらい徹夜しました。それでも間に合わず、締切に間に合うよう先に半分だけ送り、残りは締切を過ぎてから送りました。失格にしないでくれたことに感謝しています。

 応募後、すぐに就職活動を始めました。まさかこの作品でデビューできるとは思っていなかったんです。いわゆる「記念受験」みたいなもので、作品を書き上げて応募しただけで気持ちがスッキリし、満足していたんです。

──応募作が本になることが決まったときはどんな気持ちでしたか。

 恩田:ファンタジーノベル大賞の最終候補になったという連絡がきたときは、もう再就職して人材派遣会社で働き始めていたので、賞に応募したことさえ忘れていて、とてもびっくりしました。

 連絡をくれた編集者の話によると、下読みをしてくれたのが私と同世代の人たちで、その評判がとてもよかったらしい。それで、たとえ大賞が受賞できなくても本にはします、と言ってくれたんです。自分の同世代に「こういうものが読みたい」と思ってくれる人がいたのは、やはり嬉しかったです。NHKでやっていた少年ドラマシリーズみたいな「ホラーっぽい学園もの」がみんな好きだったはずなのに、当時はそういう小説がそんなになかった。「こういうものが読みたい」という、「読者としての自分」の感覚は間違ってなかったな、と思ったことを覚えています。誰かの言葉で「作者は読者の成れの果て」というのがありますが、まさにそんな感じでしたね(笑)。

 恩田陸というペンネームは応募時につけたのですが、本が出ることが決まったときに「ペンネームを変えませんか」と言われたんです。他の名前を考えておいてくださいと言われ、いろいろ考えて別のペンネーム案を伝えたのですが、編集者の方に「なんだか恩田陸でもよいような気がしてきました」と言われて、結局そのままになりました。受賞に至らなかった作品が本になったわけですが、日本ファンタジーノベル大賞で候補まで残った作品で、私の他にもいろんな方がデビューしています。

出所=Presented by 幻冬舎ルネッサンス新社

 

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2019年7月13日 (土)

文芸同人誌「相模文芸」第38号(相模原市)

【「ジュリアン」竹内魚乱】

 ベトナム戦争時代の青春物語。「ジュリアン」というスタンダールの「赤と黒」の主人公ジュリアン・ソレルにちなんだ名の喫茶店でアルバイトをした時の経験談。自分もその時代に就職したばかりで、毎日、北爆のニュースを見て、過ごしていた。主人公はノンポリ学生のようで、こんな生活もあったのだ、と理解できる。

【「漢詩ことはじめ…薔薇夫人に捧ぐ」雲鳥】

 漢詩の専門家である庄三の近所に、薔薇園とも言えるほどの花壇をもつ屋敷がある。唐木家である。そこには40代の唐木とその妻、車いすの娘がいる。庄三は、妻のことを薔薇夫人と称して語る。車いすの娘は眼は薔薇の話すのが聞こえるという特技をもつ。舞台装置と、人物配置が文学的で良いが、話の運びが漢詩人のせいか、全体の流れは、小説技術の巧さに欠ける。ただ、現在の文学には、詩編や文芸批評を入れたりする試みもあり、実験的な意義は感じられる。

【「泡沫」えびな銀子】

 結羽という幻の女性への想いと、現代化による昔ながらの町の佇まいの変わりゆく風景を嘆く掌編。

【「露しぐれ(二)-殺生石異聞捨遺」原當眞】

 連載だが、野ざらしを供養したことから、霊との交流が始まる。日本の伝統的な話を活用している。文章も文句なし。こういう書き手が市中に存在するところが、日本文学の層の厚みを感じさせる。

【「私説『実感的人生論』」登芳久】

 本号では、菊池寛から松本清張、久保田万太郎、細井広沢、死に化粧の話まで多岐にわたる。前号では、「全体小説を読む」として、野間広「青年の環」、大西巨人の「神聖喜劇」などの読破に触れていた。自分も、野間宏の全体小説論には傾倒し「真空地帯」や「青年の環」は読んでいたのでディレッタンチズムとしても興味深かった。

【「続・高齢者が日常で出あう危険」外狩雅巳】

 前号で、作者がなりすまし詐欺と知りつつ、その対応を積極的に行うという体験談の続編である。自分が詐欺師にどう対応したかを、意識的に記録したものだが、誰でも話に乗れるデータ―ベース的な豊富さで、文芸交流会でも議論が盛んだった。≪参照:「されど老春の日々」(外狩雅巳)を交流会で議論 》。自分が考えるに、かつてアナーキズム詩人の小野十三郎が、現実を示して、問題的とするという発想があった。その意味で、自分は、こうした詐欺師たちは、高齢者の欲望を作りだしたことの証明の事例としてみる。物を買うためなどの欲望に金を使わないのであるが、もっている金を増やすためや、孫や親族のためには、お金を使いたいという欲望をかきたてることに成功している事実を知った。また、事実としては、電話を取り外してしまえば、問題は起きない。しかし、それをしないということは、電話をかけてくる人を待っているということ。詐欺師にすれば、それは騙される機会を待っていることにもなるのだ。

発行事務局=相模原市中央区富士見3-13-3。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年7月12日 (金)

フリーランスの身分の保障も

    フリーライターで、外部の団体から機関誌編集を請け負っていた時代には、健康保険が国民健保である。ところが、会社の社員であると、企業の健保に入れる。保険料が安い。そこで、友人は実際は請負であるが、雑誌社の社員として、仕事をしたら歩合給として受け取るようなことをしているようだった。今はそんことが許されるどうか知らないが…。労働政策研究・研修機構が4月にまとめた試算では、個人で仕事を請け負う人の数は170万人に上ったという。特定の企業に仕事を依存して実質的に被雇用者に近い立場に置かれた人は多く課題もある。
 同機構の17年の調査では、1年間の仕事の取引先が1社しかない人が4割を占めた。契約内容を「取引先と協議して決定した」は5割弱にとどまった。本来は取引先と対等だが、契約書がなく、報酬の減額を強要された例がある。神戸大の大内伸哉教授(労働法)は「経済的に取引先に従属するフリーランスもいる。一定の保護をし、法的な懸念を取り除くべきだ」と指摘する。
 厚生労働省はこうした働き方を「雇用類似」と位置付け、労働法制による一定の保護を導入する方向だ。早ければ年度内にも有識者検討会で対策をまとめる。契約内容を書面化し、報酬の支払い遅延や減額を禁止するルールなどを検討しているという。《参照:フリーランスの働き方(2)自由度では満足も収入は不満 》

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2019年7月10日 (水)

書店「フルハウス」の店主で作家の柳美里氏が講演

 2018年4月、福島・南相馬市小高区でブックカフェ「フルハウス」を開業した作家・柳美里氏が74日、東北ブロック大会で講演。「南相馬にて」と題し、福島民報社・地域交流局長の佐久間順氏が聞き手を務めた。

 10坪の売場にはベストセラーや新刊はない。柳氏が図書館や書店で選んだ本はジャンル分けせず、「連想ゲームのように関連づけて陳列している」。両親が不仲で、小学生時代には酷いいじめに遭った柳氏。「私の居場所は本屋しかなかった」と話す。現実から別世界に逃げ込んだのは有隣堂(神奈川)だった。

 書店開業については、多くの人から「やめた方がいい」とアドバイスされたが、「いくつもの扉がある本屋は、世界一美しい場所」という思いからフルハウスを開店した。(新文化)

《参照:柳美里オフィシャルサイト

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2019年7月 9日 (火)

文芸時評6月(東京新聞6月27日)「如何様」、「ラップ 最後の旅」、「花束と水葬」=佐々木敦氏

 物語の舞台は先の戦争が終わって間もない頃、記者をしながら探偵のようなこともやっている女性の「私」は、知り合いの榎田から奇妙な仕事を依頼される。

 榎田がよく仕事を頼んでいた画家の平泉貫一が、大戦末期に兵隊に取られ、終戦を迎えてからもしばらく捕虜として収容されたのち、復員した。貫一の両親と、手違いで貫一とは一度も顔を合わせることなく嫁入りした妻のタエはよろこんで息子であり夫である男を迎えたが、やがて貫一は行方知れずになってしまった。しかも貫一の人相は、戦争に行く前と帰ってきてからでは、似ても似つかないほどに違っていた。

 榎田は別人が貫一に成り済ましているのではないかと疑い、事の真偽を調査するよう「私」を雇ったのだった。「私」はタエや貫一とかかわりのあった人たちを訪ね、失踪した男の正体を探っていく。

 高山の小説はいつも、明らかに故意に選び取られている読者に対する説明の抑制が、ただでさえ謎めいた物語を、より不可解に、それゆえ魅惑的にしていくのだが、この作品も途中から迷宮に入り込んでゆく。

 戦前と戦後の貫一の二枚の写真は、どう見ても別の男なのだが、証言者たちの話を総合すると、それでもやはり同じ人物であるかのように思えてくる。そして「私」は、貫一が極めて腕の良い贋作(がんさく)画家であり、自分自身も変装の名手であったということを知る…。

 題名の「如何様」には「イカサマ」とルビが振られているが、「いかよう」とも読める。まさにこれはいかようにも読める小説である。超常的な描写は一度も出てこないが、これは一種の幻想譚(たん)でもある。本物と瓜(うり)二つの贋(にせ)物、本物の代わりを完璧に務めている贋物は、もはや贋ではないのではないか。そもそも「本物」とは何か? 「本物」であることにどれほどの意味があるというのか? 作者はこんな問いを発しているように思われる。

 仏文学者で文芸評論家の芳川泰久による小説「ラップ 最後の旅」(『文学界』7月号)は、私小説のような体裁を取っているが、かなり野心的な作品である。

 五十五歳を迎えた大学教授の「おれ」は、自分は五十五歳で死ぬと予言して実際その通りになった母親のことを思い出す。母が亡くなってまもなく生まれた娘も今は二十三歳で、クマのような男と結婚すると言っている。「おれ」は母親が死ぬ前に口にした「また生まれてきたら、おまえを生みたい」という言葉がひどく気になり始める。

 それからもう一つ、なんと母方の一族が松尾芭蕉の血筋を引いているという妄想めいた話も。母親の遺(のこ)したノートには俳句が記されていた。「おれ」も俳句を始めようと思うが、実は娘も小学校の時に俳句を詠んでいたことが発覚する。その娘が妊娠した。ということは娘は母親の生まれ変わりで、生まれてくる子は「おれ」の生まれ変わりになるのか?

 テーマは「輪廻(りんね)」である。亡き母親の過剰な愛情の記憶に衝(つ)き動かされるように右往左往する「おれ」の姿は笑いを誘うが、更(さら)には題名通り、俳句だったはずが、なぜか後半今風のラップ調になってしまうのが面白い。本気なのか巫山戯(ふざけ)ているのかわからない、妙な味のある小説である。ラストも綺麗(きれい)に決まっている。

 高橋弘希「花束と水葬」(『すばる』7月号)は、学生時代にインドに短期留学をした「私」がその後に体験した、衝撃的といっていい出来事を、しごく淡々とした筆致で綴(つづ)った短編である。偶然だが、この作品でも「輪廻」という考え方(をどう捉えるか)が重要な意味を持っている。書き込めばもっと長くなる内容を、敢(あ)えてこの分量に留(とど)めることによって、却(かえ)って小説としての密度が増している。芥川賞受賞後、高橋は少しずつ作風を変えつつあるようだ。この路線は支持したい。(ささき・あつし=批評家)

 

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2019年7月 7日 (日)

文芸同人誌「海」(第二期)第22号

文芸同人誌「海」(第二期)第22

【「レンゲと『市だご』」上水敬由】

 「市だご」というのは、昔からある団子のようだ。それを買いもとめる話と、映画の俳優のセリフ字幕文字が、英語のオリジナルのセリフそのまま訳すと、差別用語になるので、それに抵触しないものに変換されている事実を指摘する。正確であるべき表現としては、適切なのに「差別用語」と批判されることを恐れ、当たり障りのない言葉や、物語にして自己規制することに対する警戒心が出ている。ライターが機関誌などを編集したり、原稿を書く場合は、この差別用語がないかチェックすることから仕事がはじまるのが、実情である。

【「流れ雲」牧草泉】

 いつの時代は、かなり昔のことらしい。彼と称する若者の生い立ちから思春期までの物語。父親は病死したとあり、兄がいる。イニシャルの人物などが存在するところからすると、自分史の一部なのかとも思えるが、その辺はわからない。いわゆる 教養小説 (ビルドウンクス・ ロマン)の部類であろうか。

【「FAIR&UNPREJUDICE」川村道行】

 フェアトレードの講義を受けている語り手が、就職、転職のいきさつを述べる。作文の範囲であるが、なぜ、この話なのかは不明。

【「鼻の記憶」】

 慧という少年の炭鉱の町の住民としての生活ぶりを描く。当時の炭鉱労働者の生活を描いたものだが、部分的には生きているところがあり、厳しい環境のなかで生きた2度とない過去を偲ぶ雰囲気小説的な作品に読めた。

【「一番鶏と青い空」有森信二】

 釘山触という田舎町の町役場に勤める職員の視点で、地域共同体の出来事を語る。問題となっているのは、町のゴミ焼却施設設立の是非である。各章のはじまりを、鶏のコケコッコーの鳴き声を出す、知的障害の女性のことから始めることで、なんとなく風刺的な軽さもった洒脱な雰囲気をだしている。昭和の戦後生まれの世代は、村社会的なで軍国的雰囲気から、共同体の保持のための村八分もあったりしていた。それを打ち破ろうと、当時の若者たちは、地縁、血縁、親戚縁に反抗していた。しかし、この作品では、共同体を維持する結束力について、排除のない暖かい雰囲気に描いている。核家族化した孤立した人々になった現代社会を皮肉るような筆致で、作者の表現感覚の独自性が出ている。

【「大杉栄と友人林倭衛」井本元義】

 新宿にあった文壇バー「風紋」のマダム林聖子氏は、画家・林倭衛の娘さんで、昨年に店じまいした。林倭衛の妻で、母親の富子が太宰治と親しくなって、当時10代の頃の出会い作品「メリイクリスマス」のモデルになっている。本作の井本氏も「風紋」に通ったらしい。画家の林は、大杉栄や辻潤と親しく、本作にもあるが大杉栄の肖像画も描いている。辻潤の妻であった伊藤野枝は、大杉栄のもとに奔り、最終的に甘粕大尉に大杉と共に惨殺される。そうした経緯を林の視点で想像力を発揮して物語にしている。甘粕大尉のその後の運命を描くなど、良く調べてあって興味は尽きない物語である。自分は、作家の森まゆみ氏の調べた林倭衛の生涯の年表を、詩人・秋山清を偲ぶコスモス忌でレジュメにしていたので、それを「暮らしのノートITO」で公開したところ、坂井てい氏から連絡があり、なんでも雑誌「東京人」に発表する素材なので、未発表なものなので削除してほしいという要請が森氏からあったそうで、その部分だけは削除したことがあった。

発行所=〒太宰府観世音寺11533、松本方。《「海」第二期

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年7月 6日 (土)

文芸時評・7月号・文学するのをやめる勇気 早稲田大学教授・石原千秋

 文学がこうだ。本が売れなくなったと言うが、人文書の売れ行きの落ち方より文芸書の売れ行きの落ち方の方がはるかに大きい。人文書はむしろしっかりした本が増えたようにさえ感じる。客層に合わせて書き方を変えている感じもする。文学はそうなっていない。もちろんファッションとはちがって、文学はパッと見て変わったことがわかるわけではないから、10年間も迷走しながら実験するわけにもいかない。それができるのはコムデギャルソンのような強いブランド力がある作家だけだ。もちろん村上春樹。村上春樹は『1Q84』から確実に作風を変えててきたセカイ系」という人もいるが、それは村上春樹が客層の変化に合わせて作風を変えた証拠でもある。村上春樹が村上春樹するのをやめてもやはり村上春樹なのは、初期からほとんど変わらない文体の一貫性にある。つまりこうだ。文学が生き残るためには文学するのをやめる勇気がいるということだ。

 【文芸時評・7月号】文学するのをやめる勇気 早稲田大学教授・石原千秋(産経2019・6・30)

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2019年7月 5日 (金)

まほろば賞の推薦作品選考会について=外狩雅巳

 関東交流会を前に全国同人誌雑誌優秀賞の「まほろば賞」の候補作品選びが進んでいる。721日に関東からの推薦作品選考会を行うことになったという。

 候補作品の絞り込み会議の出席依頼が関係者に送付された。72日付で外狩雅巳にも案内書がきた。

 721日に東京・大田区民プラザで行うとの出席依頼である。そこには「相模文芸」34号の二作品が候補作に挙げられていた。

 発送元は交流会事務局の五十嵐氏の「文芸思潮」のアジア文化社である。この出席依頼に戸惑っている。二年前の「相模文芸」誌に掲載された作品は五十嵐氏が推挙したのだろうか。その選考会への出席招待である。

 幾人もの選考委員の出席で決定される関東地区からの推薦作品を私が投票するわけにはいかない。「相模文芸」とは無関係の人に選考してもらった方が良いのではないだろうか。「相模文芸クラブ」に確認したところ、通知は来ていない。私はクラブの一般同人と思われているようだが、創設者でもあるのだ。

 おそらく、町田文芸交流会の事務局長としての立場を勘案して招待だと思う。しかし、私が公平に選考を行い、先入観をもたずに候補作を推薦しても、周囲の眼にはどう映るであろうか。私は、そこで迷っているところだ。

《参照:外狩雅巳のひろば

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2019年7月 2日 (火)

西日本文学展望「西日本新聞」(6月28日)朝刊・茶園梨加氏

 題「オリンピック」

波佐間義之さん「跪(ひざまず)いて輩の転生を叫ぶ」(「第七期九州文学」46号、福岡県中間市)、あびる諒さん「異和人狩り」(「詩と眞實」840号、熊本市)、田ノ上淑子さん「夏の咲顔」(「原色派」73号、鹿児島市)、近藤義昭さん「偕老(かいろう)同穴」(「ら・めえる」78号、長崎市)、仁志幸さん「夜明けの子守歌(一)」(「龍舌蘭」198号、宮崎市)

(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)投稿日:6月30日

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2019年7月 1日 (月)

全国同人誌雑誌会議の第3回を10月19日東京で開催へ

 第3回全国同人雑誌会議が10月19日、「文芸思潮」と「中部ペンクラブ」の主催で開催されることがわかった。会場は「池坊東京会館」。同人雑誌の新しい繋がりと方向を目指して講演・シンポジウム・会議・講演会を行うという。基調講演は作家の三田誠弘氏、発言は中山紀氏。同時開催に全国同人雑誌展示会がある。参加費は1万円(パーティ券含む)。後援・「中日新聞」「東京新聞」「三田文学」「季刊文科」という。

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