文芸同人誌「文芸中部」111号(東海市)
【「青い季節」朝岡明美】
中学生の「ぼく」の視点である。家族の構造を描くといとうほどでもない。戦争の話も出るがのタイトルのとおり「ぼく」感覚の発露を表現している。
【「黒い蛇とワルツを」西澤しのぶ】
夫が浮気をしてるなかでの美幸は、息子の持ち込んできた黒い蛇の命を、結果的に助けたことになる。すると黒い蛇が超常現象を使って、美幸に恩返しをしたいといってくる。その蛇の化身に助けられ、家庭円満になる兆しで終る。超常現象とホームドラマを結びつけた点で、物語化に関する時代の傾向を感じさせる。
【「戯作者あがり」本興寺更】
明治8年に新聞紙条例が出来た頃の新聞記者の話。前号につづく読み切りシリーズである。今回は、北海道の樺太と千島にロシア人が入り込み、狼藉を働いているという事実がある。政府がそのことを国民に知らせていないということがわかる。いわゆる屯田兵を置いた時代のことである。しかし、新聞が政府に都合の悪いことを書くと、処罰される。すでに何人かの新聞記者、編集者が牢獄に入れられている。そんな時じょうほうを勢の時に、小さな新聞社の才助は、北海道の東京出張所の役人から、直接現地の情報を得る。役人は自分の首を覚悟で才助に情報提供したのだ。時代は異なるが、ジャーナリズム課題につては、現代とまったく重なるものを意識していることがわかる。大変読み応えがある。題材が良いので、長編に書くものがあれば、広く世に問うことが可能であろう。
【「『東海文学』のことどもから(4)」三田村博史】
読むほどに興味が尽きないが、ざっと流して書いているようなので、それぞれ深堀りしたものを読みたくなるが、この時代と現代との読者層のズレをどうこなすか、考えさせられる。たとえば、この同人誌紹介でも、作品の良い悪いを自分が評価したとしても、どれだけ一般性があるのか、まったくわからない。批判するにしてもそうである。だから、評価を含んだものが、少なくなる。さらに、自分だけの文学観もあるので、否定的な作風もあるが、それが世間的には良いのかも知れないのだ。
【「影法師、火を焚く(第12回)」佐久間和宏】
本来の大長編小説を同人誌に連載することは、難しいことだが、その意味について考えさせられた。
【「逃げていく」堀井清】
佐田武夫の家族が、軽自動者を使って、義母の見舞いに行った。その帰りに妻のゆき子が運転した。その途中で、妻は運転を誤り、歩行者と接触事故を起こすが、警察に届けずひき逃げをしてしまう。現在、高齢者のドライバーの運転ミス事故が多く、そのあり方が問われている。そうした意味で現代的な素材である。作品では、この事件を通した家族関係が、武夫の視点、息子の満の視点、ゆき子の視点で、現代人の孤独を独自の文章雰囲気を駆使して描く。
【「二兎追い」安田隆吉】
普通の小説として読み始めたが、これは体験記らしいと思い始めた。病気で身体的ハンディを持ちながら生き抜く様子がわかかる。時間的な経過説明に飛躍があるが、話に熱があり、読ませる。この飛躍は、現代詩的な難解さよりも優れている。
発行所=〒477-0032愛知県東海市加木屋町泡池11-318、三田村方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。
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