文芸同人誌「海」99号(いなべ市)
【「河岸の賭場」宇梶紀夫】】
江戸時代の鬼怒川最奥に、阿久津河岸という水運物流に賑わう水路河岸があるという。上流の奥鬼怒は、「山根八千国」言われる木材の宝庫であった。それを筏にして下流に運び、江戸に送る。これを背景に阿久津河岸は繁盛したようだ。新太郎は、なにもない貧しい田舎から妹と一緒にこの地に脱出してきた事情がある。ここでは仕事が絶えずある。そこにはやくざの仕切る賭場もある。素人をいかさま賭場に誘い、いっときは大儲けさせて、その後大損をさせて、金を貸した形にし、あとでとことん金を絞り取ろうという仕掛けである。新太郎は、それに引っかかり、妹と共にそこを逃げるまでの話である。ーー作品の実際は、時代考証的に鬼怒川の水運物流の拠点として、商業活動がどのように行われたかを、分かりやすく説明するために物語化したというように見える。東京はでいうと多摩川の下流にも奥多摩から木材を筏流しする筏師いた史実がある。そうした関係で興味深く読んだ。作者は農民文学賞受賞を受賞した時に、ライブドアPJニュースとしてネット報道した記憶がある。編集後記によると、今年は、全国同人雑誌最優秀賞を受賞したとある。
【「曲折水流」紺屋猛】
主人公は、マンションの管理組合の理事をしていて、書記を務める。築30年以上経つと貯水槽も傷んでくる。そこで補強や改修、給水システムの変更が必要となる。そのためこのマンションでは、貯水槽の補強工事をすることに決めたが、その決め方がおかしいと、組合員から苦情がでて、その対応に苦慮する話である。このマンションは、地上に貯水槽を置いて、いったん水を貯め、それから屋上の給水塔にモーターで揚水し、そこから全戸に給水する古いシステムのままのようだ。このシステムの長所は、道路の水道工事などで、一時的に断水しても、地上と屋上に水が貯めてあれば、しばらくはその水が使えて住民が断水することがないことだ。ーーただし、貯水槽が下にあるとマンションの敷地が狭くなる。また、貯水槽の清掃、補強などに経費がかかる。最近のマンションは、貯水槽をやめ水圧を高くして屋上におくるとかして途中を省略するところもある。そういう案が検討されないとことをみると、だいぶ以前の話かなとも思う。自治体の水回りの設備条件にもよるのであるが…。
【「三枚のスケッチ」国府正昭】
三篇の掌編小説を並べたもの。「ある勇気」では、横浜に住む、従弟の幸生から久しぶりに電話連絡がある。彼は正義感が強いので、公害の盛んな地域(四日市?)から出て移住することになったが、公害の町を見捨てた行為として、後ろめたい思いをしているらしい。してしまったことに後ろめたさをもっていると、主人公は思う。そのうちに横浜のマンションが、施工不良で傾いた事実が明らかになり、それが内部告発によって分かった事を聞き、それは幸生の義を見てせざるは勇亡きなりの精神によるものと信じる。「百姓持ちたる国」は、織田信長と長島願証寺の一向宗の戦いを描く時代小説。「耳石」は、耳の中にある石だそうで、それが影響を与える不思議物語。掌編三篇があるが、相関関係や意図については不明。ただ、読めばそれなりに、「へえ」と思う。文学の新機軸というのは、どんなことから始まるか、わからないので、試みとして後世につたえるのもいいのかも。
【「花摘む野辺」遠藤昭巳】
「私」は水槽のメダカの様子眺めるような日々を送っている。そんなところに、両親が始めたアンドウラジオの昭和の28年頃のアンドウラジオの写真をもってテレビ番組制作会社がロケにやってくる。これまでの経歴を番組化したいと言ってくる。アンドウラジオは、現在もエアコンシズーンの工事を主に弟が店を細々と継承している。ーーテレビ番組制作のロケの取材で、過去の写真をもとに昔のアンドウラジオの店があった跡地を訪ねる。電気店のメイン商品からテレビが出来て、店頭の通りがテレビ観客で鈴なりになる光景を思い起こさせる。文学的には、作者の詩人的体質が書かせた叙事詩的な秀作。昔の生活ぶりが幻想的に描かれている。つながり的には、佐藤春夫の「田園の憂鬱」のような詩的雰囲気の流れを汲む精神の健在さ感じさせる貴重な作風に思わせる。
発行所=〒511-0284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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