文芸同人誌「季刊遠近」第70号(横浜市)
【「温泉宿」浅利勝照】
人口減少によって、過疎化した観光地になった故郷に戻った45歳の里子。亡くなった両親の経営していた旅館は、弟があとを継いだはずだが、経営悪化でそこを投げ出し、都会に行ってしまう。里子もそれなりに行きどころがなく、傷心の里帰りである。過疎化する墓地でに戻って、立派な墓をこれみよがしに建てた女性もいる。そのなかで、里子は都会に戻ろうとするが、思い直してここにとどまり生きる決心をする。よくまとまっている。里子の人物像がはっきり描かれているで、その後の里子のサイバル的生活があれば興味がわく。
【「妻の敵と夫の敵」藤田小太郎】
高校教師の定年退職がきまり、その後の勤め先を探している男とスーパーに勤める妻、ゆう子との夫婦の口喧嘩を素材にした物語。現在「妻のトリセツ」(黒川伊保子)が17万部のベストセラーだそうだが、これは別の意味で、妻のゆう子の言行が面白い。夫婦喧嘩を目にみるようで、引き込まれる。また、やり返したいという気を起こさせる妻の言動が具体的なので、純文学的ではないが、この姿を見よという問題提起で、活性化した形の夫婦の本質に触れた感じがする。
【「虹の彼方へ」花島真樹子】
生活日誌的な作風の多い同人誌のなかで、粋と御洒落の装いをもった好短編である。かつての美人女優から、年とって中年、老年とテレビドラマに出ていた女性が高齢者施設で過ごす様子を、外側から施設職員の既婚男性が観察者として描く。どこまでも、世間を観客とみなして生活することで、女優でありつづけようとしてしまう、女性の心理が共感を呼ぶ。その哀惜を生む筆致が、作者の美意識を感じさせる。華のある哀愁を含んだ、創作力に富んだ佳作であろう。
【「背骨を削る」難波田節子】
年をとっての腰痛のうち、脊柱の曲がりで神経が圧迫されるのが、一番危険で、痛みが強いらしい。骨の異常から診断手術にいたるまで、事細かに手順よくすべてをというより、要点をわかりやすく描く手腕はすごい。表現には根気が必要とは心得ていたが、同人誌関係の経緯までを分かりやすく、丸ごと浮き彫りにしている。なぜか、つい引き込まれて読んでしまうのだから、これも才能というものであろう。
【「平成老輩残日録」藤田小太郎】
この記録は、腹違いの弟を義弟として、親の残した屋敷及びその跡地の遺産相続に関する交渉事を記録にしている。弟は腹違いであることを意識しているのか、兄との接触をせずに、相続の権利確保に法的に問題ないよう、きちんと手続きをしている。その様子が兄の立場で、不当なことをするのではないか、と疑惑の視線で記録している。感情的にもめないように、割り切れる手立てをきちんとしている弟の行動は、第三者的に読むと、なかなかしっかりしていて、問題にならないようにしているのはなかなかのやり手である。遺産相続でもめて嫌な思いがしないだけでもよいことであろう。 これは自分の感じでしかないが、このままでは、日本語では文学味が出ないように思えそうだが、もし、村上春樹などが英訳したならば、義弟の心理をを浮き彫りにする良い短編小説になるのかも知れないと思わせるところがある。
発行所=〒225-0005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。「遠近の会」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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