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2019年6月29日 (土)

文芸同人誌「文芸中部」111号(東海市)

【「青い季節」朝岡明美】

 中学生の「ぼく」の視点である。家族の構造を描くといとうほどでもない。戦争の話も出るがのタイトルのとおり「ぼく」感覚の発露を表現している。

【「黒い蛇とワルツを」西澤しのぶ】

 夫が浮気をしてるなかでの美幸は、息子の持ち込んできた黒い蛇の命を、結果的に助けたことになる。すると黒い蛇が超常現象を使って、美幸に恩返しをしたいといってくる。その蛇の化身に助けられ、家庭円満になる兆しで終る。超常現象とホームドラマを結びつけた点で、物語化に関する時代の傾向を感じさせる。

【「戯作者あがり」本興寺更】

 明治8年に新聞紙条例が出来た頃の新聞記者の話。前号につづく読み切りシリーズである。今回は、北海道の樺太と千島にロシア人が入り込み、狼藉を働いているという事実がある。政府がそのことを国民に知らせていないということがわかる。いわゆる屯田兵を置いた時代のことである。しかし、新聞が政府に都合の悪いことを書くと、処罰される。すでに何人かの新聞記者、編集者が牢獄に入れられている。そんな時じょうほうを勢の時に、小さな新聞社の才助は、北海道の東京出張所の役人から、直接現地の情報を得る。役人は自分の首を覚悟で才助に情報提供したのだ。時代は異なるが、ジャーナリズム課題につては、現代とまったく重なるものを意識していることがわかる。大変読み応えがある。題材が良いので、長編に書くものがあれば、広く世に問うことが可能であろう。

【「『東海文学』のことどもから(4)」三田村博史】

 読むほどに興味が尽きないが、ざっと流して書いているようなので、それぞれ深堀りしたものを読みたくなるが、この時代と現代との読者層のズレをどうこなすか、考えさせられる。たとえば、この同人誌紹介でも、作品の良い悪いを自分が評価したとしても、どれだけ一般性があるのか、まったくわからない。批判するにしてもそうである。だから、評価を含んだものが、少なくなる。さらに、自分だけの文学観もあるので、否定的な作風もあるが、それが世間的には良いのかも知れないのだ。

【「影法師、火を焚く(第12回)」佐久間和宏】

 本来の大長編小説を同人誌に連載することは、難しいことだが、その意味について考えさせられた。

【「逃げていく」堀井清】

 佐田武夫の家族が、軽自動者を使って、義母の見舞いに行った。その帰りに妻のゆき子が運転した。その途中で、妻は運転を誤り、歩行者と接触事故を起こすが、警察に届けずひき逃げをしてしまう。現在、高齢者のドライバーの運転ミス事故が多く、そのあり方が問われている。そうした意味で現代的な素材である。作品では、この事件を通した家族関係が、武夫の視点、息子の満の視点、ゆき子の視点で、現代人の孤独を独自の文章雰囲気を駆使して描く。

【「二兎追い」安田隆吉】

 普通の小説として読み始めたが、これは体験記らしいと思い始めた。病気で身体的ハンディを持ちながら生き抜く様子がわかかる。時間的な経過説明に飛躍があるが、話に熱があり、読ませる。この飛躍は、現代詩的な難解さよりも優れている。

発行所=〒4770032愛知県東海市加木屋町泡池11318、三田村方。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

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2019年6月23日 (日)

文芸同人誌「奏」38号2019夏(静岡市)

【「評伝藤枝静男(第五回」勝呂奏】

 作家・藤枝静男の昭和44年からの作品「欣求浄土」「厭離穢土」などのからはじまり、その時期の気分や、新聞・雑誌の批評の内容を順次詳しく追ってゆく。読み始めたら、まるで作家の精神史と作品をめぐる物語を読むように、興味をかきたてられ、考え考え読み通してしまった。おそらく、自分のように自己主張をどのようにしたらよいかわからず、日常生活報告的小説を書くことに少しでも疑問をもった人がいたら、おすすめをしたい。藤枝が、いかに自己の日常を題材に、幾何数学の補助線を想定するように、私小説を拡張していたかを、知ることは有益であろう。自分は藤枝作品を12編しか読んだ記憶しかないが、それよりは多く読んでいるらしいことを知った。それはおそらく彼の作品が、彼の友人でもある埴谷雄高(その親しさの深さはこれで知った)読むことで、それに関連した形で読んでいたようだ。筑摩現代文学全集には、藤枝と埴谷が同時収録されている。ここで分かるのは、文壇という作家ギルド的世界のなかで、さらなる藤枝の作品に注目する作家と文芸評論家の強いつながりである。

 文壇的なつながりが、純文学の年配作家の間にあるにしても、こうした交流関係は珍しいのではないか。読者の批評もあるであろうが、専門家による理解度とその評価は、おそらく藤枝ならではのものだとわかる。またかれが、志賀直哉のわがままにも思える自己確信に対する畏敬と、藤枝の自己嫌悪癖には関連があることがわかる。それにしても、作者の意図、評論、評論掲載紙・誌を有機的に連携させて良く調べたものである。

【「女たちのモダニティ②佐川ちか『死の髯』『言葉』-世界を二重化する言葉」戸塚学】

  詩人・佐川ちかの詩とそのイメージについての評論。自分は良く知らない詩人なので、掲載情報として研究者向けに記録する。

【「小説の中の絵画(第十回)川端康成『美しさと哀しみと』(続)-肖像画の描き方」中村ともえ】

 川端の掲題の作品のなかでの、取りあげられた絵画や彫刻に関する分析である。これも対象の作品を読んでいないのだが、岸田劉生、ロダンなどの作品が登場している。その他【「堀辰雄旧蔵洋書の調査(15)プルースト⑨」戸塚学】がある。

4200881静岡市葵区北安東1912、勝呂方。

紹介者=「詩人回廊」編集者・伊藤昭一。

 

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2019年6月17日 (月)

文芸同人誌「海馬」第42号(西宮市)

【「墓地」阿部トシ子】

 妙子という女性が主人公、独身。母親が離婚しているbなかで育てられたらしい。彼女の兄が墓を建てるので、百万円のお金を出して欲しいと、」母親に言ってくる。そこで、母親がそれに応じる話。昔の家族制度の残っているところもある。

【「夜の扉」山際省】

 彼女という女性のことから話が始まる。茜晴香という名であることは、しばらく読むと分かる。彼女うは水商売をしながら、病気の父親と同居している。そこに水商売の指名の客が付く。病院の院長である。なかで、その病院の院長の身の上話が入る。晴香は、仕事の合間にボクシングを始める。そのなかで父親が亡くなる。その葬式を無事済ます――人は好むと好まざるとに拘わらず、戻らなくてはならない場所があるのだ。――で、終わる。

【「隣人」山下定雄】

 兄から電話がかっかってくるのだが、主人公にはその内容にこだわる気はなく、浮かんでくる想念をそのまま書き連ねて行く。人間は、どのような想念に捉われ、どのような展開を見せるかに挑む作風で、今後に興味が湧かないこともない。

【「森の蔭に」永田祐司】

 森林組合で働く林業作業員の話。その職員のなかに女性がいる。鶏を殺めたり、縞蛇を殺したりするのが好きな変わった趣味がある。生き物に対する意見を述べるが、大雑把で感心できない。語り手の作業員の反論はない。そのほか林業作業員の生活の様子が詳しく描かれているが、どこまでリアルさがあるのかわからないところがある。

発行所=〒6620031満池町617、「海馬文学会(神戸)」

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年6月15日 (土)

文芸同人誌「海」99号(いなべ市)

【「河岸の賭場」宇梶紀夫】】

 江戸時代の鬼怒川最奥に、阿久津河岸という水運物流に賑わう水路河岸があるという。上流の奥鬼怒は、「山根八千国」言われる木材の宝庫であった。それを筏にして下流に運び、江戸に送る。これを背景に阿久津河岸は繁盛したようだ。新太郎は、なにもない貧しい田舎から妹と一緒にこの地に脱出してきた事情がある。ここでは仕事が絶えずある。そこにはやくざの仕切る賭場もある。素人をいかさま賭場に誘い、いっときは大儲けさせて、その後大損をさせて、金を貸した形にし、あとでとことん金を絞り取ろうという仕掛けである。新太郎は、それに引っかかり、妹と共にそこを逃げるまでの話である。ーー作品の実際は、時代考証的に鬼怒川の水運物流の拠点として、商業活動がどのように行われたかを、分かりやすく説明するために物語化したというように見える。東京はでいうと多摩川の下流にも奥多摩から木材を筏流しする筏師いた史実がある。そうした関係で興味深く読んだ。作者は農民文学賞受賞を受賞した時に、ライブドアPJニュースとしてネット報道した記憶がある。編集後記によると、今年は、全国同人雑誌最優秀賞を受賞したとある。

【「曲折水流」紺屋猛】

 主人公は、マンションの管理組合の理事をしていて、書記を務める。築30年以上経つと貯水槽も傷んでくる。そこで補強や改修、給水システムの変更が必要となる。そのためこのマンションでは、貯水槽の補強工事をすることに決めたが、その決め方がおかしいと、組合員から苦情がでて、その対応に苦慮する話である。このマンションは、地上に貯水槽を置いて、いったん水を貯め、それから屋上の給水塔にモーターで揚水し、そこから全戸に給水する古いシステムのままのようだ。このシステムの長所は、道路の水道工事などで、一時的に断水しても、地上と屋上に水が貯めてあれば、しばらくはその水が使えて住民が断水することがないことだ。ーーただし、貯水槽が下にあるとマンションの敷地が狭くなる。また、貯水槽の清掃、補強などに経費がかかる。最近のマンションは、貯水槽をやめ水圧を高くして屋上におくるとかして途中を省略するところもある。そういう案が検討されないとことをみると、だいぶ以前の話かなとも思う。自治体の水回りの設備条件にもよるのであるが…。

【「三枚のスケッチ」国府正昭】

 三篇の掌編小説を並べたもの。「ある勇気」では、横浜に住む、従弟の幸生から久しぶりに電話連絡がある。彼は正義感が強いので、公害の盛んな地域(四日市?)から出て移住することになったが、公害の町を見捨てた行為として、後ろめたい思いをしているらしい。してしまったことに後ろめたさをもっていると、主人公は思う。そのうちに横浜のマンションが、施工不良で傾いた事実が明らかになり、それが内部告発によって分かった事を聞き、それは幸生の義を見てせざるは勇亡きなりの精神によるものと信じる。「百姓持ちたる国」は、織田信長と長島願証寺の一向宗の戦いを描く時代小説。「耳石」は、耳の中にある石だそうで、それが影響を与える不思議物語。掌編三篇があるが、相関関係や意図については不明。ただ、読めばそれなりに、「へえ」と思う。文学の新機軸というのは、どんなことから始まるか、わからないので、試みとして後世につたえるのもいいのかも。

【「花摘む野辺」遠藤昭巳】

 「私」は水槽のメダカの様子眺めるような日々を送っている。そんなところに、両親が始めたアンドウラジオの昭和の28年頃のアンドウラジオの写真をもってテレビ番組制作会社がロケにやってくる。これまでの経歴を番組化したいと言ってくる。アンドウラジオは、現在もエアコンシズーンの工事を主に弟が店を細々と継承している。ーーテレビ番組制作のロケの取材で、過去の写真をもとに昔のアンドウラジオの店があった跡地を訪ねる。電気店のメイン商品からテレビが出来て、店頭の通りがテレビ観客で鈴なりになる光景を思い起こさせる。文学的には、作者の詩人的体質が書かせた叙事詩的な秀作。昔の生活ぶりが幻想的に描かれている。つながり的には、佐藤春夫の「田園の憂鬱」のような詩的雰囲気の流れを汲む精神の健在さ感じさせる貴重な作風に思わせる。

発行所=5110284三重県いなべ市大安町梅戸2321-1、遠藤方。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年6月14日 (金)

マッチポンプか、国民を戦争する気にさせる黒い霧

 報道によると、ーーポンペオ米国務長官は13日の記者会見で、中東ホルムズ海峡近くのオマーン沖で日本のタンカーが襲撃された事件について、「米政府としてイランの仕業だと判断した」と述べた。安倍首相がイランを訪問中に襲撃が起きたことを踏まえ、「イラン政府は日本を侮辱した」と強く非難した。ーー米国の自作自演で明らかになっているのが、イラクのフセイン大統領への大量破壊兵器保有疑惑であったが、これがフェイクでああったことがわかった。9・11もタワービルの崩壊の仕方が、航空機激突によるものでない崩壊の段階になっていることで、原因不明とされている。さらにさかのぼれば、日本と戦争を刷る以前に、平和になれた米国民が戦争をしたがらないで、さまざまな工夫をしていたところに、真珠湾攻撃があって、その気になったという歴史がある。戦争のための黒い霧が広がりだしたのか。ボーイング社の収支も気になるところ。《参照:戦争するとどれだけ儲かるのか(1)イラク戦争で大幅増益ロッキード社

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2019年6月10日 (月)

【文芸時評】6月(産経新聞5月26日)石原千秋氏

   (抜粋)ーそれで、十数年前に作った講義メモがあまり役に立たなくなった。たとえば、村上春樹自身が語っているように、『ノルウェイの森』の大ヒットは予想外の出来事だったのだろう。『ダンス・ダンス・ダンス』は『ノルウェイの森』の呪縛から逃れるために書かれた小説で、単行本の「あとがき」には、主人公の「僕」は初期三部作の「僕」と同一人物だとあるが、文庫にするときにこの「あとがき」を削除した。なぜそれができたのか。それは『国境の南、太陽の西』で、村上文学が決定的に変質したからだろう。こういう講義になっているわけだ。

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2019年6月 9日 (日)

文芸誌「星灯・SEITO」第7号(東京)(2)

文芸誌「星灯」第7号(東京)(2)

【エッセイ「良寛さんの地震見舞い」さくむら聖いち】

 良寛さん(1758~1831)1828年の三条地震の時に。71歳でそれを体験したという。これを読んで、自分が東日本大震災を体験したのが70歳だったのではないか、と思った。このように、身近なことを連想させる書き出しで、優れている。1112日の朝8時にマグニチュード6.9というから、当時の木造家屋では壊れたのもあれば、火事でほとんど焼失したとある。地震で子供を亡くした知人の酒屋、山田杜皐ところに、お見舞いの手紙を書いたという。手紙の写真もある。達筆であるが、昔の人の読み書きの能力はすごい。この点では、世界第一の識字力の民衆であったろう。良寛さんは、山田酒屋の受難心境を熟知しながら手紙のなかに「災難に逢う時節には災難に逢うが良く候、死ぬ時節には死ぬがよし候」と言う言葉の入っていたという。

 これはお互いが、友人としてよく知り合っていたからこそのもの、という。東日本大震災の時に、この語を使った人がいたらしく、突き放した冷たい言葉、という批判が遭ったそうである。それが、時代というものか。本来親しくない人の間でも、どうしようもない状況において、この世の全存在が、宇宙的な活動の中に投げ込まれている、という実感をもつことで、生死の狭間を越えた世界で、悲しむ力の苦しさから脱け出すものを感じさせるのであるが……。

【「『文学=史』の試みー志賀直哉『真鶴』をめぐって」島村輝】

 志賀直哉といえば、自分のなかの人間的な感覚を忠実に文章化することで、小説の神様といわれた時代があった。自分は真鶴や根府川付近一帯が好きで、幾度が文学仲間といっている。釣り宿に泊ったこともある。志賀直哉の『真鶴』は、ここで概要をしっても、読んだ記憶がない。ただ、本評論では、そこから志賀直哉の時代の日本が侵略した「東アジア関係史」へと関連が見事に結び付けられる。あとがきによると、中国での講演されたもの日本語版らしい。一般論と視点の異なる文学論もあるということで、貴重な資料であろう。

【「憲法と戦後改革は町内会をどうデザインしたか」紙屋高雪】

 これは、現代性に富んだ問いかけである。現在、全国的に地域では通常の町内会とマンション自治会、管理組合など、さまざまな形態の共同体が混在して、生活を営んでいる。もともとは地域を統治する自治会は、敗戦後の米軍から太平洋戦争で銃後の兵士としての、洗脳と団結力を維持する組織として、危険視された部分があるらしい。当会員の小野友貴枝氏は「社協を問う」(文芸社)を執筆しているが、この社会福祉協議会というのは、GHQが創設を命じたのだという。マッカーサーは米国の寄付という社会貢献の思想を定着させようと、お上意識の強い自治会の対抗組織を作ろうとしたらしい、というのが、この本を読んだ自分の解釈である。草の根的で、自発的な発想の活動組織を作ろうとしたのであろう。この評論では、お上である自治体と町内会の癒着とお付き合い仲間意識から、自らの発想での町内会運営を主張している。

 現状では、町内会とマンション自治会の連携が課題になり、また「社協」は寄付が主体であるはずが、町内会に会費負担を依存したり、そのなかで町内会費を「社給」の寄付にすることに異論を唱える住民もいて、自治体も企業に寄付を依頼するなど、さまざまな兆候がでているようだ。

【「1968年とマルクス主義―加藤周一論ノート(6)」北村隆志】

 自分は経済学批判としてのマル・エン「資本論」を糸口に、宇野理論やシュンペイターを学んだ。当時の大学入学時には、近代経済学科がなかった。卒業するころに、就職には近代経済学(ケインズ理論)が必要と科目がつくられた。文学とマルクス主義を結び付けたの、バクーニンの無政府主義的理論であった。独裁政治に利用される共産主義理論しか見ていない。そうした意味で、正統的なマルクス主義思想と文学思想の関係を知るのには、この加藤周一論と言うのは、大変ためになる。労作である。ただ、社会の現実と思想でみる文学論とは、距離があるので、多くの支持者を集める理由なども知れたらよかった。《ご参考「地球座サイト;覇権国家は強奪の歴史!?箒川兵庫助

発行所=〒1820035調布市上石原354-3-210、北村方、星灯編集委員会。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一

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2019年6月 8日 (土)

文芸誌「星灯・SEITO」第7号(東京)(1)

【「NO COFFEENO LIFE.」渥美二郎】

 コーヒー好きのそれにまつわる事柄を、喫茶店や人生模様などをからませた話。会社内のコーヒー利用施設の味わいから、田舎の喫茶店の話。身体障害のある兄とコーヒーとの関係。コメダ通いの日々。そして、ある授業での教師がゴルフボールをいくつも口に入れての訓示など、直接は関係ない出来事を語り、やわらかな雰囲気の文体で、大切に日々を生きることを見つめる。筋のない感性による純文学的な表現と、持ち味の良さに感銘を受けた。

【「タダノボル」野川環】】

 独身で独り暮らしの多田ノボルのアパートに、中年男の山田ヒデオが現れ、ひょんなことから住みだす。費用はノブル持ちである。倉庫のバイトをするノボルに、男はおにぎりを作って持たせてくれるが、これがなかなか旨い。男はパチンコで稼ぐといって、ノボルから千円を借りるが、勝負に勝ってはこない。そのうちに、五千円を借してやった後に、家に帰るといつも横になってテレビを観ているはずの彼がいない。その後の音信もない。ノボルは、その後の生活に寂しさを感じている。バイト先の倉庫で仕事をしている時に、小学生が表の通りを通るを、可愛く感じるというフレーズを複数入れている。それが、時代としての平和感を醸し出している。生活感をのみを浮き彫りにする、視点の良さに個性があって、文章力に、上質な才気を感じさせる。

 小特集・シベリア出兵・米騒動100年―というもので、以下の2編がある。

【「『シベリア出兵100年の旅』-ハバロフク・ウラジオストクー」金野文彦】は、作者が幾度目かのシベリアに今年4月に単独行での現地の様子が少しでもわかるのは、有意義であろう。

【「1918年米騒動と戦後小説―堀田善衛『夜の森』と城山三郎『鼠』をめぐって(上)」大和田茂】タイトルを読んでも、どのような関係があるのか分からなかったが、堀田善衛が極限的なリアルズムで、黒島伝治を超える残酷なシベリア兵生活を作品「夜の森」にしていたことも知らなかったので、驚いた。いずれにしても、日本の外交関係とその相手国への見方が、どのメディアも忖度報道ばかりである。余りにも相手国との歴史的な関係を無視し、目先のことだけを簡便に報道する。韓国もロシアも、それなりの自国の立場を主張する根拠があるのに、あまりにも感情的だけに関係を利用している。特に安倍政権は、日本の独立性をないがしろにし、米国従属国への強化の情報操作が目立つ。その意味で、他国の事実を知ることは重要であろう。

【「宮沢賢治の理想郷」本庄豊】

 宮沢賢治の作品よりも、解説本でその中身を知ることの多い自分だが、これもまた有益な紹介である。知り合いに、調理師がいて経営のノウハウのことが書いてあると思い「注文の多い料理店」を読んでしまったという。それも素晴らしいことだ。この作品を読めばそれもないかも。しかし、人生は寿命の長さでなく、その中身だとしみじみ思う。最近の幼児の死の出来事を知るたびに、この宇宙は大いなる悲しみを包含しているのだなと、宮沢賢治の作品を想い起こす。小さな短い命も、その使命を果たしたのだ、と思いたい。

発行所=〒1820035調布市上石原354-3-210、北村方、星灯編集委員会。

紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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2019年6月 7日 (金)

芸能か何かで名が知られてから作家になる

  女優・蒼井優(33)との結婚を電撃発表した「南海キャンディーズ」山里亮太(42)が執筆した短編妄想小説集「あのコの夢を見たんです。」(1500円+税)の重版が決定した。
 本作は月刊テレビ誌「B.L.T.」(東京ニュース通信社)に、2010年10月発売号から連載スタート。山里が旬な女優やアイドルを物語の主人公とし、妄想を膨らませて執筆した。今年で9年目となり、その数は60本を超えている。
 その中から16本を厳選し、加筆・修正をし1冊にまとめたのがこの本。4月12日に発売され、山里ファンはもちろん、幅広い世代から支持を受け話題となっていた。今回の結婚会見直後から人気が伸びて売り上げが加速。重版決定への追い風となった。
 山里は「僕の妄想は世の中の人に受け入れられなかったのではないだろうか…そんな思いを払しょくしてくれた朗報!!!『あのコの夢を見たんです。』重版出来!!!!!ひたすら嬉しいです。どうぞまだの方、手に取って読んでやってくださいませ」と喜びのコメントを出した。

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2019年6月 6日 (木)

西日本文学展望「西日本新聞」5月31日・朝刊=茶園梨加氏

題「女性の裁量」

江藤多佳子さん「ヒルクレストホテル」(「南風」45号、福岡市)、野沢薫子さん「モーニングサービス」(「長崎文学」90号、長崎市)

西田宣子さん「花ぐらし」(「季刊午前57号、福岡市)、角田眞由美さん「螢の村」(「詩と眞實」839号、熊本市)、「宇佐文学」は麻生豊(宇佐市出身)にちなんだ作品を公募。

(「文芸同人誌案内」掲示板・ひわきさんまとめ)投稿日:2019 6 3

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2019年6月 4日 (火)

人は事実を真実に近づける

 事実と真実はどうちがうか。ひとは、自らが納得することを真実とするので、必ずしも事実と一致するとは限らない。従って真実は時代や世相によって変化する。こうしたことを、ある場所でいったら、強く反発されたことがあった。《参照:事件の物語化への欲求と連想慣れに警戒を

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2019年6月 3日 (月)

文芸時評(東京新聞5月29日付夕刊)佐々木敦氏

 第三十二回三島由紀夫賞は、三国美千子『いかれころ』(『新潮』2018年11月号)に決まった。この作品については初出時に取り上げたので詳しくは触れないが、昭和五十八(一九八三)年の大阪、河内を舞台に、長年農業を営む旧家の四歳の娘の視点から、家族や親類の悲喜こもごもの挿話が瑞々(みずみず)しい筆致で語られる。この作品は新潮新人賞受賞作、つまりデビュー作である。

 三島賞を新人賞受賞作が貰(もら)ったのは、第二十四回の今村夏子の太宰治賞『こちらあみ子』以来であり、候補になったことも二〇一〇年代に入ってからだと、小山田浩子『工場』(『新潮』)、上田岳弘『太陽』(『新潮』)、町屋良平『青が破れる』(『文藝』)の三作しかない(三島賞は単行本単位でも候補になるので厳密に言うと新人賞受賞作とイコールではないものもある)。

 芥川賞に目を向けると、二〇一七年に第百五十七回が沼田真佑(しんすけ)『影裏(えいり)』(『文学界』)、第百五十八回が石井遊佳『百年泥』(『新潮』)と若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(『文藝』)の同時受賞と、新人賞受賞作のみで占められたことがある。

 毎回ではないが候補作に新人賞受賞作が含まれていることも三島賞よりずっと多い(芥川賞は「新人に与えられる賞」なので当然とも言えるが)。全ての文芸誌は新人賞を設けているので、芥川賞候補に「新人賞枠」で誰が入るだろうと毎回推測してみるのだが、一本入れるなら『いかれころ』だろうと思っていたら前回は新人賞受賞作はひとつも候補にならなかった。文学賞の予想はむつかしい。

 前にも書いたことがあるが、私は基本的に新人賞受賞作をそのまま芥川賞に選ぶことは好ましくないと思っている。せめて二作目を読んでからでないと、その作家に何が書けるのかを見極められないのではないかと思うし、当の作家自身にもあまり良い結果を生まないような気がするからだ。しばらくするとまた芥川賞の季節がやってくるが、次回は候補に新人賞は含まれているだろうか。

 群像新人文学賞受賞作の石倉真帆「そこどけあほが通るさかい」(『群像』6月号)は、幾つかの点で『いかれころ』と共通する要素を持った作品である。舞台はおそらく関西、三つの名字の家ばかりがある「ムラ」で、おそろしく性格の捻(ねじ)曲がった祖母=「婆」と同居する家族のぎりぎりの姿が、娘=「うち」の視点から描かれる。

 「うち」が十九歳の時に「婆」は亡くなったことが冒頭で語られ、回想へと入っていく。嫁と孫たちを日々口汚く罵(ののし)る「婆」と、一緒になって「うち」の家族を詰(なじ)りながらも「婆」を引き取ろうとはしない親戚の醜さはすさまじく、無口だが優秀な頭脳を持った「お兄」も、勉強が出来ず将来何をしたらいいのかもわからない「うち」も、長きにわたって姑(しゅうとめ)の悪口雑言を耐え忍んできた「お母ちゃん」も、やがて感情を爆発させる。方言で語られる「うち」の一人称は素朴で読みやすく、そのせいで却(かえ)って起きていることの酷(ひど)さが際立つ。描写にしても構成にしても、もう少し工夫があってもいいような気もするが、新人賞らしい熱量を持った作品である。

 古市憲寿(ふるいちのりとし)「百の夜は跳ねて」(『新潮』6月号)は、物議を醸した前作『平成くん、さようなら』とは打って変わって、有名大学を卒業しながら就職活動に失敗し、ひょんなことからビルのガラス清掃の会社で働くようになった「僕」が、高層マンションの広大な部屋に独居する大金持ちの老婆に依頼され、無数の窓の向こう側に広がる他人たちの生活を盗撮する、という物語である。

 仕事に就いてまもなく職場の先輩が事故で命を落とした。「僕」には今も彼の声が耳元で聞こえることがある。老婆のマンションには大小沢山(たくさん)の箱が置かれている。彼女には彼女の物語があるようだ。「僕」は老婆と親しくなっていくとともに、自分自身を新たな視線で見るようになっていく。結末がやや甘い気もするが、この極めて現在形の叙情は魅力的である。力作だと思う。

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2019年6月 2日 (日)

文芸同人誌「季刊遠近」第70号(横浜市)

【「温泉宿」浅利勝照】

 人口減少によって、過疎化した観光地になった故郷に戻った45歳の里子。亡くなった両親の経営していた旅館は、弟があとを継いだはずだが、経営悪化でそこを投げ出し、都会に行ってしまう。里子もそれなりに行きどころがなく、傷心の里帰りである。過疎化する墓地でに戻って、立派な墓をこれみよがしに建てた女性もいる。そのなかで、里子は都会に戻ろうとするが、思い直してここにとどまり生きる決心をする。よくまとまっている。里子の人物像がはっきり描かれているで、その後の里子のサイバル的生活があれば興味がわく。

【「妻の敵と夫の敵」藤田小太郎】

 高校教師の定年退職がきまり、その後の勤め先を探している男とスーパーに勤める妻、ゆう子との夫婦の口喧嘩を素材にした物語。現在「妻のトリセツ」(黒川伊保子)が17万部のベストセラーだそうだが、これは別の意味で、妻のゆう子の言行が面白い。夫婦喧嘩を目にみるようで、引き込まれる。また、やり返したいという気を起こさせる妻の言動が具体的なので、純文学的ではないが、この姿を見よという問題提起で、活性化した形の夫婦の本質に触れた感じがする。

【「虹の彼方へ」花島真樹子】

 生活日誌的な作風の多い同人誌のなかで、粋と御洒落の装いをもった好短編である。かつての美人女優から、年とって中年、老年とテレビドラマに出ていた女性が高齢者施設で過ごす様子を、外側から施設職員の既婚男性が観察者として描く。どこまでも、世間を観客とみなして生活することで、女優でありつづけようとしてしまう、女性の心理が共感を呼ぶ。その哀惜を生む筆致が、作者の美意識を感じさせる。華のある哀愁を含んだ、創作力に富んだ佳作であろう。

【「背骨を削る」難波田節子】

 年をとっての腰痛のうち、脊柱の曲がりで神経が圧迫されるのが、一番危険で、痛みが強いらしい。骨の異常から診断手術にいたるまで、事細かに手順よくすべてをというより、要点をわかりやすく描く手腕はすごい。表現には根気が必要とは心得ていたが、同人誌関係の経緯までを分かりやすく、丸ごと浮き彫りにしている。なぜか、つい引き込まれて読んでしまうのだから、これも才能というものであろう。

【「平成老輩残日録」藤田小太郎】

 この記録は、腹違いの弟を義弟として、親の残した屋敷及びその跡地の遺産相続に関する交渉事を記録にしている。弟は腹違いであることを意識しているのか、兄との接触をせずに、相続の権利確保に法的に問題ないよう、きちんと手続きをしている。その様子が兄の立場で、不当なことをするのではないか、と疑惑の視線で記録している。感情的にもめないように、割り切れる手立てをきちんとしている弟の行動は、第三者的に読むと、なかなかしっかりしていて、問題にならないようにしているのはなかなかのやり手である。遺産相続でもめて嫌な思いがしないだけでもよいことであろう。 これは自分の感じでしかないが、このままでは、日本語では文学味が出ないように思えそうだが、もし、村上春樹などが英訳したならば、義弟の心理をを浮き彫りにする良い短編小説になるのかも知れないと思わせるところがある。

発行所=〒2250005横浜市青葉区荏子田2-34-7、江間方。「遠近の会」。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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2019年6月 1日 (土)

第6回「暮らしの小説大賞」に平沼正樹氏「しねるくすり」

 産業編集センター主催の第6回「暮らしの小説大賞」の受賞作が平沼正樹氏の「しねるくすり」決まった応募総数は714件。

  作者コメント(抜粋)=この作品は私が書いた2作目の小説となります。最初の作品が第5回「暮らしの小説大賞」で一次選考を通過したことが大きな自信となり、本作を書き上げることができました。故に「暮らしの小説大賞」は私の人生において特別な存在となりました。ーー
 しかし一方で、ようやく私にもバトンが回ってきたという一縷の安堵と大きな責任を感じております。それは生命を形成する遺伝子のバトンではなく、私たちの暮らしのすぐそばにある尊い文化を継承するミームのバトンです。作家と呼ばれるようになりたいという夢と希望に満ち溢れた20代、しかし思い通りにならずもがき苦しんだ30代、そして夢は夢と諦めかけていた40代に遂にそれを手にすることができました。この気高きバトンを次の世代に託すその日まで、しっかりと握りしめて走りきる所存です。

ーー受賞作は今秋、単行本化される。平沼氏は1974年生まれ、神奈川県小田原市出身。現在、ウェルツアニメーションスタジオ代表。

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