文芸時評5月(産経新聞4月28日) 早稲田大学教授・石原千秋 「社会貢献」
保坂和志と郡司ペギオ幸夫の対談「芸術を憧れる哲学」(群像)が面白い。郡司ペギオ幸夫は『天然知能』(講談社選書メチエ)で、何事も数値化して世界に働きかけるAIに対して、「徹底した受動性の肯定的転回」を主張しようと考えたと言う。郡司ペギオ幸夫の話はほとんど現代思想の良質の解説を読んでいるような趣があるが、なかに科学の社会貢献の話題が出る。物理学の社会貢献をずっと考えてきたという学生に、こう語ったのだと言う。「物理がいいといっても、カップに水を入れると、水はカップの形になりますね。そうすると、水はカップの形をしたものだと。自分の観測装置だとか認識様式に応じて物事を決めて、あとはできるだけ徹底してそれだけを見るという形にすれば、水はカップの形をしているのが正しいということになりますね。それは極端な言い方に聞こえるけれども、結局、科学の正しさというのはそういうもので、それを全面的に展開しているだけなんです。外部に対する違和感だとかいうものを考えることは全く関係がない話だと、僕は言ったんですね」と。
今月は文学界新人賞発表の月。受賞作は奥野紗世子「逃げ水は街の血潮」と田村広済「レンファント」。どちらも見かけ倒しの尻すぼみで、読んでいて「小説をなめるな!」と腹が立ってきた。
奥野紗世子「逃げ水は町の血潮」は、もう26歳なのにまだゴアゴアガールズというグループで地下アイドルをやっている工藤朝子が、まあそれなりにセックスややんちゃをやって、最後は同じグループの星島ミグと少しだけ遠出をして、2人で朝風呂に入る。染めたばかりの髪を洗うとピンクのお湯が流れて、「視界がピンク一色に染まっていた。結露したガラス越しに星島ミグがこちらを見た。/地団駄(じだんだ)を踏むように大きく『はやく』と言ったのがわかった。」でおしまい。はい、いかにも小説らしく少しおセンチに終われました。セックスややんちゃが既視感バリバリで、「限りなく透明に近いピンク」にはまったくなっていない。参照《文芸時評】5月号 早稲田大学教授・石原千秋 「社会貢献」》
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