« 作品紹介のあり方を検討 | トップページ | 小学館が黒字決算に »

2019年5月24日 (金)

文芸同人誌「あるかいど」第66号(大阪市)(上)

文芸同人誌「あるかいど」第66号(大阪市)

【「何もないところ」木村誠子

 28歳の「ぼく」がナミビアに行く。そうする事情は、ぶんちゃんと呼ぶ父親か祖父筋とかの親族の意志によるのらしい。これは、作者が物語づくりに必要される設定上の仕組みであろうか。このなかでの読み物はナミビ砂漠とその周辺に関する描写である。湿潤な日本とはかけ離れた風景の雰囲気が心を明るくする。これは、実際がどうかというより、作者の想像力の表現によるものであろう。その表現のために、細く薄い物語の糸を埋め込んでいる。その小説の理屈に沿った仕掛けと、砂漠の組み合わせが巧いと感じ、良質の詩精神をみる。自分の考えでは、まとまりを重視しないで純文学に向かう方法もあるのではないか。砂漠を体験している「ぼく」精神をもっと深めた方がそれらしいような形になるような気がする。

【「そこからの眺め」高原あうち】

 「ぼく」の小学生時代の時、クラスに両手の小さい身体障害をもつ女性生徒ヒロコがいた。彼女がクラスでイジメを受けて、それを撃退する様子をみている。その彼女と30代にになって再開する。「ぼく」が副業的な落語家をしている時に、彼女が現れファンを増やしてくれる。彼女はバツイチで子持ちの立場に負けずに意欲的に生活している。その彼女が「私」に求婚してくるが、それを断る。そのことで、彼女に対するコンプレックスを意識する。話の運びと現代的な風俗を組み合わせて、気をそらさない話の運びである。話の構造もしっかりしている。はっきりした性格のヒロコと曖昧な「ぼく」その二人の人生態度が、会社の貸借対照表のようにピタリと気持ち良く合って、きちんと納まっている。面白いからいいか、と思う一方でドストエフスキーの「2+2が4であることが、人間的には納得できない」という発想が頭をよぎる。

【「蘇鉄の日」久里しえ】

 近年、女性の性的な被害が、表ざたになってきている。しかし、社会はその味方をするような動きは鈍い。抵抗運動の活発化の範囲を出ていない実情がある。しかし、ここでは佳子という少女が、変質者による性的な被害を受ける。誰にも話せず、祖母に打ち明けるが、誰にもいわずにいろと言われる。その隠されたトラウマの深さを表現する。おそらく、多く女性が何らかの形で経験してるが、語らずにいる一例なのであろう。書くモチベーションの強い作品である。家族の設定とその様子の表現力も優れている。仮に、この佳子が成人して社会でどれほど成功者としてスポットライトを浴びたとしても、その心の奥にこの事件は、トラウマの影を刻んでいるのであろう。おそらく多くの女性の琴線に触れるものがあるのではなかろうか。

【「死にたい病」住田真理子】

 裕福な家の一人娘の絵里の母親が、夫を亡くして病もちになり、79歳になって、夫と暮らしたマンションを売って、豊橋の高層マンションに住む。彼女の夫は義母と性格が合わず、絵里だけが母親の相手をする。母親には、娘だけが頼りなのであるが、絵里にすれば悪い物に取りつかれたような、気分になる。そうなった事情も語られる。なかで、母親の面倒を絵里が見るところの、典型的な状況の説明は、具体的で女性ならではの、きめ細かい描写で圧巻である。母親の死にたい、死にたいという口癖があっても、精神病ではないと診断されるというのも、皮肉な話である。

 発行所=〒545-0042大阪市阿倍野区丸山通2-4-10-203、高畠方。
紹介者=「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

|

« 作品紹介のあり方を検討 | トップページ | 小学館が黒字決算に »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 作品紹介のあり方を検討 | トップページ | 小学館が黒字決算に »