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2019年5月11日 (土)

文芸同人誌「弦」第105号(名古屋市)

【「ヨウシュヤマゴボウ」木戸順子】

 ――魔が差したとかいいようがないーーこれが書き出しである。48歳の木綿子は、離婚し娘が手元を離れている時期に、妻子のある男と情事をしているさなかに、母親が亡くなっていた。これがこの小説の問題提起であろうと思ってしまうのだが、それは話のなかのひとつの出来事で、そのほか、それから彼女が60歳を過ぎた時の話まで、いろいろなエピソードが語られる。少ないページ数で生活感覚に満ちた話を詰め込むことを実現する文章力に感心する。非日常性を含んだ物語性の面白さを求める読者には、薄味に感じるかもしれない。その意味で、同人誌ならではの作風であろう。

【「地下茎を切る」山田實】

 主人公の桑原は、妻子と離婚して一人暮らしをしている。それは母親がなくなる以前のこととあるので、高齢になってからのことらしい。そこに、三年前に会社を65歳で辞めた会社の上司であった大塚から、会いたいという電話をもらう。そこから、大塚の裏山の筍をとり、同時に竹林の管理のための地下茎を切ることを手伝う。その作業の様子が、小説的描写の読みどころとなっている。高齢者にかかわる小説には、老けた雰囲気のものが多いが、ここではそれを感じさせない力作業の場面が活きている。

【「岸辺に立つ」小森由美】

 長年連れ添った夫を亡くした妻の喪失感が、丁寧に描かれ、共感を得て読む。文学的表現としてもきちんとして、優れている。私小説作品としては、あれこれ書かずにテーマに沿って喪失の情念を表現した点で、優れている。

【「俳人 河東碧梧桐への誤解」有馬妙】

 自分は余り俳句のことを知らないので、いちど俳句結社に入って、実作勉強をしたことがある。たした虚子の門下生による写生俳句であった。とにかく、簡潔な風景描写や情景表現が主であった。自分はだらだらと書くことで、言葉の揺れを活用したいと考えていたので、簡潔であることの効用を学んだが、表現の幅の狭さは散文家にはまったく別の世界と知った。本作では、虚子と碧梧桐のちがいが明確であると同時に、それぞれの主張があることを学べた。

【「彼方へ」高見直弘】

 カラスの俺が空腹をかかえて、生きる糧をえようする状況を描く。

【「池の畔で」森部英生】

 大学の元教授が、散歩道で知った元大学教授との交流を軸に、知られざる大学教師世界の内部構造について描いたもの。

【「夏樹とケイ」市川しのぶ】

 遠い親戚の息子のケイの両親が交通事故で亡くなってしまった。ケイの引き取り手として、近くにいる夏樹だと病院に言われ、一時的に預かることになる。ケイは、事故の結果を知らない。難しい立場の夏樹の心境を描く。

【「叫び」空田広志】

 同人誌作家の男と同じく同人誌作家の中で優秀とされる女性作家の話。ムンクの作品などをからませて、なかなかロマンテックに書かれ、生活的でない非日常性をもたせて文学的雰囲気を楽しめる。

【「紀泉高原」長沼宏之】

 高齢になって、見知らぬ女性から手紙をもらう。そこには、過去に親しかったが、結婚にまでいかなかった女性との交際にかかわるものであった。その女性の娘から当時の母親の出さないで、密に仕舞ってあった手紙を見せられる。そこにちょっとしたトリックがある話。

【「同人雑誌の周辺」中村賢三】

 同人誌の作品の概要と感想が記録されている。当サイトのような紹介文を超えて、深く食い込んだ読み方で、交流活動が多彩であることがわかる。労作であろう。

発行所=〒4630013名古屋市守山区小幡中3丁目427.中村方「弦の会

紹介者「詩人回廊」編集人・伊藤昭一。

 

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