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2019年4月29日 (月)

文芸同人誌「私人」第98号(東京)

文芸同人誌「私人」第98号(東京)

【「カブール空港」えひらかんじ】

 アフガニスタンは、アルカイダテロの拠点として、2002年に米軍の空爆などがあり、荒廃しているというイメージであった。その後もテロはあるらしいが、本作によると、2008年に日本の無償援助によってカブール空港建設を無償援助し完成したという。工事にかかわった作者は、壁画や装飾品を見て、アフガニスタン人の美意識が優れていて、職人技に優れていることを記す。国民については、個人としては、頑固であるが、人情味豊かだという。しかい、社会的には汚職などがはびこる、因習もあるという。

 現地でのアメリカ人の考えや、現地人の思想をまとめて知るような談話が入れられて、大変参考になる。たまたまこれを書いているときに、スリランカでのテロが報じられている。この事例からしても、日本に無縁のでない中東状況の様相として、関心をもつべきであろう。

【「群眸」根場至】

 定年退職後に人生を振り返る教養小説的要素のある話。全学連からはじまった大学紛争で混乱する時代のキャンパス時代の交流と世相を描く。話の軸に交際が充分でなかった彼女との再会のために出かけるところで終る。読みやすく、事実に創作をからめた自己表現的な文学作品。

【「南町商店街ソフトボール部」成田信織】

 小さな商店街の仲間が集まってソフトボールのチームを作る。その仲間の交流を描き、市井の人々の生きる姿を描く。

【「狂騒的日常の記憶」百目鬼のい】

 2歳から3歳になる頃から20歳になるまでの記憶をピックアップする。短くてあっけないが、手法に野心的な匂いのする作品である。

【「山抜け」根場至】

 富士山の山麓で青木ヶ原の近くある西沢蟹沢分校に赴任した興石という教師の話で、そこでの志津代という既婚女性の交流などを描き、蟹沢という村が山抜けという土砂流の崩壊現象で多数の死者が出た。村は移転し、死者の碑はがあり、そこにそれまでの登場人物の名が刻まれていたという。この世の儚さを感じさせる。だけど足和田以外にもそんなことあったのかな。

【「父と息子の老年―黒井千次の『流砂』」尾高修也】

 黒井千次という作家の、父親はかつて思想検事をしており、報告書「思想犯の保護を巡って」を書いていた。それを題材にしたのが小説「流砂」であるらしい。その父親は20年前に亡くなっているはずだが、小説ではいつまでも死なない存在であるらしい。いわゆる世代交代の世相を描くようだ。世代は交代するとどうなるのかの問題も含めて、純文学の現代的な一面を解説している。

 その他、エッセイとして【「映画に学ぶ」みやがわ芽生】で、「ボヘミアン・ラプソデイ」などの観賞芸術論を展開している。自分は、BSTVでフレディを演じた男というドキュメントを観ただけだが、なんとなく理解できた。また、【「ライブストア」桜庭いくみ】で、高齢者を対象に百円ビジネスを展開する会社を、生きがい発見の立場から賞賛する。たまたま、「詩人回廊」安売りショップの特別販売に通う日々 で外狩雅巳氏が、同じ企業らしいことを文学的な表現で表わしているので、大変興味深かった。

発行所=〒1630204新宿区西新宿261、新宿住友ビル。朝日カルチャーセンター尾高教室。

紹介者=「詩人回廊」北一郎。

 

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2019年4月25日 (木)

西日本文学展望「西日本新聞」4月22日・朝刊=茶園梨加氏

題「老いと死」
木下恵美子さん「山野行の闇」(「詩と眞實」838号、熊本市)、井本元義さん『廃園』(書肆侃侃房)
島夏男さん「白猫伝」(「照葉樹二期」15号、福岡市)、大野光生さん「キジ猫のお話」(「飃」110号、宇部市)、藤山伸子さん「水難は三度来る」(同)「文学界」4月号より九州芸術祭文学賞最優秀作「兎(うさぎ)」平田健太郎さん

《「文芸同人誌案内掲示板」ひわきさんまとめ》

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2019年4月21日 (日)

同人誌評「図書新聞」(2019・4・20)志村有弘氏

(一部抜粋)真弓創の「骨喰と龍王」(「茶話歴談」創刊号)に感動。大友宗麟に取り入るべく、大友家の宝刀骨喰を松永久秀から貰い受けようと苦心する毛利鎮実とその娘。後半登場の大内輝弘も作品に厚み。
 同じく「茶話歴談」掲載の天河発の「愛怨輝炎」は、『本朝法華験記』など諸書に伝わる安珍清姫伝説(道成寺縁起)に取材したもの。清姫の母が白蛇で、亡母が姫に取り憑いているとする着想が面白い。他の戦国期や幕末を舞台とする作品いずれもが秀作・佳作。
 たかやひろの「越前松平転封」(「港の灯」第11号)は、松平直明の明石転封を舞台に二人の武士の姿を描く。三十郎は妹小夜を寅之助に託すことと武士の意地で命を落とし、寅之助は脱藩する。背後にある家老の策謀。江戸の下町に明るく生きる寅之助と小夜の姿が救いだ。文章もうまい。
 難波田節子の「驟雨」(「季刊遠近」第69号)が、高校受験を控えた女子中学生の心裡を描いた力作。中学生の「私」が大人に接する処世術を身につけていることに、とまどいを感じないでもないが、ともあれ、巧みな表現は難波田ならではの名人芸。
 源つぐみの「方位磁石」(「函館文学学校作品2019」)は、加代子の伯父(母の姉の夫)に対する恋情を綴る。伯父は針路を間違えるな、と訓す意味で方位磁石のキーホルダーを残していったわけではあるまいが、優れた構想力を感じさせる作品だ。
 吉永和生の「静かなるの向こう側」(「海峡」第41号)は、家庭小説。吝嗇で奪衣婆と渾名されていた政子婆さんが死んだ。死ぬ頃は誰も寄りつかなかったのに、あとで捨て猫を育てていたなど、意外な一面も。取り壊される予定の婆さんの家は残されることになり、猫は孫が家に連れていった。家族は、「奪衣婆」という呼び名を「政子おばあちゃん」に格上げし、その仏壇を拝んでいる。文学世界では、こうした心温まる作品も大切だ。
 エッセーでは、上野英信特集を組む「脈」(第100号)が、松本輝夫や比嘉加津夫らの上野論を収録していて貴重。私には〈筑豊の上野英信〉という印象が強いのだが、上野朱が優しさ溢れる文章で「父の心とペンは沖縄によって解放された、と思う」・「父よ、喜ぶがよい。あなたの大切な沖縄の友は、今日もあの日のままの姿だ」と綴る言葉に感動を覚える。
 若い力を感じる「翡翠」が創刊された。同人諸氏の健筆・活躍を期待したい。「AMAZON」第493号が中道子、「鬣」第70号が大本義幸の追悼号。ご冥福をお祈りしたい。(相模女子大学名誉教授)

《参照:真弓創の梟雄松永久秀に対する父娘の苦心を描く歴史時代小説(「茶話歴談」)――難波田節子の女子中学生の心の陰影を綴る作品(「季刊遠近」)

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2019年4月19日 (金)

文芸同人誌「澪」第13号(横浜市)

【「夜闘」衛藤潤】

  酒が好きな職場の同僚の飲み友達と、酒場の近くの公園で相撲をとろうといわれる。それ以後、相撲に夢中になる。相手が配置転換なって、やがて相手が居なくなるのだが、勝負への意欲は衰えない。人間は遊ぶ動物とされていて、この部分にスポット当てている。面白く読めるが、主人公と飲み仲間の人間像が、筆致の重厚さに対して、影が薄いのはホモサピエンス的視点によるものなのか、こんな書き方もあるのだな、と思わせる。

【映画評論「クラシック日本映画選8『怪談』」石渡均】

 今回は1966年の小林正樹監督「怪談」(原作・小泉八雲)のアナログ的リアリズム手法撮影の詳細を述べており、CG時代の現代とは異なる撮影法技術であり、それを演じる役者との精神的な緊張感がよくわかる。超常現象を表現するからこそ、リアルさが求められた時代の雰囲気がよくわかる。写真もあって感慨深い。

【「YOKOHAMA発(5)大池こども自然公園生態系レポートー4―」鈴木清美】

 残された自然の大池に関する環境観察及び評論で、「酸性雨」編とし、現代の都会自然環境レポートとして、興味深く読める。TV番組でも池のカイボリが人気なようだ。問題提起として、野鳥を撮るカメラマンが餌をまいて撮るとか、カワセミの会も注意しているが、三脚を立てるので足元が荒れるという。また、外来種の台湾リスが、在来種生物を食べたりして生態系を乱しているという。具体的で興味深い。都会に、野生の動物が適応して住みつく例が多いという。本来キツツキは東京にはいなかったが、それは枯れた大木が少ないためであったが、明治神宮の森には住みつくようになり、そこを足場に他の森にもいるようになったという。本連載は、地元にとって貴重な記録になるであろう。

【「晩夏のプール」片瀬平太】

 大人の童話とあるが、亡くなった叔父との失われた時を復刻するというスタイルの、想念に満ちたスタイルの叙事が、想像力を刺激する。外国のホテルでの生活とその気配が、男性的な雰囲気小説として味わえる。

【随筆「ハイデガーを想う(Ⅱ)下(その2)―『技術への問い』を機縁にー」柏山隆基】

 エッセイとはいえ、難しい。存在論の側から科学の発達を論じているらしい。なかに、生活の利便性のためにコンクリートの物質に囲まれて生活することと。自然に触れ合うことの好いとこ取りをする人間性について触れているところがある。そこからデカルトやニュートンの神のもとでの人間論理を振り返る。後は、読んでも難しくてわからない。

 文学芸術としては、この世の現象を表現するのであるから、ここで少ししか触れていないフッサールの現象学につながる話も欲しいように思った。

発行所=〒241-0831横浜市旭区左近山157-30、左近山団地318301、文芸同人誌「澪の会

紹介者=「詩人回廊」北一郎

 

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2019年4月18日 (木)

同人雑誌季評「季刊文科」第77号(3月31日発行)谷村順一氏

自分というキャラクター

≪対象作品≫

望月なな「おしなべてまりか」(「mon」vol.13・大阪府)/和泉真矢子「まねき食堂」(「メタセコイヤ」第15号・大阪市)/岩崎和美「主婦Kの日記」(「浮橋」第2号・兵庫県)/伊藤宏「波が教えてくれた」(「樹林」vol.646・大阪府)/猿渡由美子「うらからやから、そしてウチムラ」(「じゅん文学」第98号・愛知県)=本誌転載作品/曹達「炎」(「浮橋」第2号・兵庫県)/おのえ朔「ミフユさん」(「せる」第109号・大阪府)/猿川西瓜「五百万円」(「イングルヌック」第4号・大阪府)/小石珠「白い花」(「P.BeNO.5・愛知県)/山岸とみこ「ナベを買う」(「こみゅにてぃ」第103号・埼玉県)。

 

 

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2019年4月15日 (月)

同人誌「日曜作家」についてのご質問について

 本ブログはシステムを改善したとかで、使いにくくなりました。コメントに「日曜作家」さんへの動向の質問がありましたが、公開するをしても出ません。とりあえず、最近の「日曜作家」については、当方はわかりません。文気交流会の外狩氏が知っているかもしれません。《外狩雅巳のひろば

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2019年4月11日 (木)

同人誌季評(小説・1~3月)「毎日新聞」(3月24日・朝刊)古閑章氏

題=再生/一期一会の大事」
鷲津智賀子さん「今年の秋」(「火の鳥」第28号)上村小百合さん「潮風の便り」(「火の鳥」第28号)小河原範夫さん「ガンバッテ、生徒会」(「ガランス」第26号)武村淳さん「天井の花びら」(「詩と真実」第835号)右田洋一郎さん「ブロンド」(「詩と真実」第836号)くまえひでひこさん「雅羅馬」(「長崎文学」第89号)箱嶌八郎「ほくろ」(「九州文学」第44号)佐々木信子さん「ヤマガラの里」(「九州文学」第44号」)今給黎靖子さん「華は東方で咲きたい」(「九州文学」第44号)木澤千さん「本望」(「九州文学」第44号)
 このほか、属識身さん「インパン」(「文芸山口」第343号)立石富生さん「てんぷら、つくる?」(「火山地帯」第195号)有村信二さん「白い秋」(「海」第21号)中野薫さん「巡査の恋」(「海」第21号)山田キノさん「美しき景色」(「海峡派」第144号)西村宣敏さん「雪の記憶」(「海峡派」第144号)

《参照:文芸同人誌案内掲示板ONさんまとめ》

 

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2019年4月 8日 (月)

文芸同人誌「婦人文芸」第99号(東京都)

【「水神の森」都築洋子】

 出だしは日和(ひより)という中学女子学生が、が河川敷の草中に畑を作って暮らすホームレスの老人との出会いからはじまる。であるが、話の主体は、子供たちが育つ環境に事情があって、両親から離れて暮らす公的な児童養護施設での生活である。とくに、そこで育って、社会に出るため、就職や高校進学の問題を抱える人々の生活ぶりが描かれている。自分は、かつて「居場所なき若者たち」というテーマで、「もやい」というNPO団体を通して、彼等の生活ぶりを追った経験がある。また、多摩川河川敷のホームレスの取材もしたことがあるので、畑を作って作物を栽培しているところは多い(管理は国土交通省の国有地的場所であるが)。彼等の厳しい環境について作者が、かなりの知識があることがわかる。このような事柄は、小説化することでしか詳しく語れない面がある。また、日和がホームレスに関心を持つのも、いずれは施設を出て生活しなければならない自身の身の上と重なるのか、と思わせた。

 それが、ここでは、ホームレスの語る水神の化身である蛇の登場と結び付けられ、小説の全体の形式に幻想味を付加している。現実は、恵まれない境遇の人々の知れば涙の出るような辛い世界をまろやかに表現することに成功している。

【「義母と暮らす」粕谷幸子】

 語り手の義母は、区会議員をしている。その嫁として、議員のどのような生活になるかが、具体的に描かれている。なかで、作家・佐藤愛子氏のことが出ているので、実話に近いということがわかる。佐藤愛子氏の全盛期を考えると、おそらく昭和時代のように感じる。いずれにしても、嫁が義母の選挙活動に巻き込まれるという興味深く面白い話である。

【「ピエロの涙」斉藤よし子】

 平凡な家庭の主婦生活を送ったと思っているオリエが、思い出のテープを再生して昔を懐かしむ。それは、アレンという若者に英会話教師との交流のひとつが録音されている。それはオリエの30代の主婦の時のことで、アレンに恋心を抱いた忘れられない思い出である。そのなかで、結婚相手に抱く愛情と恋愛との異なる部分を、過去の思い出の中に、浮き彫りにしている。よくある出来事もそれぞれかけがえのない色合いをもつ。純粋の愛を求める女性の適わぬ想いの悲しみをひそかに抱く情念を描く。

 このほか、本誌には充実した多くのエッセイがある。

【「老い」駒井朝】における、人は必ず死ぬということの「必死」のおだやかさ生活。【「ロダン美術館にて人形について考える」森美可】は、ロダンの肉食男子的な体質と自分の母親の日本人形作家の比較から民族の感性を比較する、文化論になっている。【「いくつになっても姉と妹(7)」秋本喜久子】などは、長編小説的描写力がある。日本文学は、こうした文学批評味わいを持った、新しい文学スタイルの誕生を予感させる。

発行所=〒東京都品川区小山7-15-6、菅原方。「婦人文芸の会」

紹介者=「詩人回廊」編集者・伊藤昭一。

 

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2019年4月 7日 (日)

気分と論理の事例

  小説の面白さは、登場人物の考え方の面白さでずいぶん異なる。そこから気分と論理のズレを生じさせるのもひとつの手法だ。--

 政党規範批判の文章の中に、次のような例がある。

ーー賛成できないことも『実行する』ことが求められ、『党の決定に反する意見を、勝手に発表』できない、というのが民主主義とかけはなれた決まりなのは明らかでしょう」ーーこれはどの党を批判したものであろうか。現在の自民党? いやいや共産党への批判です。

《参照:記事まとめ(デイリー新潮4月7日)

日本共産党の志位和夫氏は「日本国憲法の国民主権の原則になじまない」と見解を発表/冷や水をぶっかけるような談話だが、共産党はそもそも天皇制について、批判的という/「令和」に早速冷や水! 日本共産党の見解とは

  もともと、日本の戦後の天皇には、象徴という具体性のない地位にあって、基本的人権がない。共産党はその点を指摘しないのはおかしい。本来、天皇が退位の意志を示すことも、政治的に影響するならばできない筈である。国会で特例としたのも、その事情があったはずだ。

 亀井静香氏は、天皇の自主的な退位には「お気の毒だが、天皇陛下には基本的人権はいのはやむを得ないのです」として、反対している発言をしている。参照=亀井静香氏、日本国民が独立国家ではない状況を良しとしている

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2019年4月 6日 (土)

穂高健一氏の歴史小説を契機にアニメフェスタに展開

   穂高健一著「広島藩の志士」(倒幕の主役は広島藩だった)を契機としたアニメフェスタが開催された。穂高氏は、直木賞作家で詩人の伊藤桂一(故人)の門下生仲間であるが、なかなかの活躍ぶりである。《参照:幕末彼氏伝 = 広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会 》歴史観というものが、案外と短い期間の間に恣意的に作られるということは、現在のメディア報道の変更に気づいていないようだ。この点は、現在の日本人は自覚が必要であろう。最近の例では、もっぱら朝鮮半島や中国の話題について、偏向していると思わせる。朝鮮半島の人々の問題意識の根底は、いかに統一国家にするかということで、日本との関係もそこを梃子に発想されているし、(その自覚がない人もいるであろうが、基本的には分断にある現状が正常でないことは確か)そこを解説した上で日韓、日朝問題を客観的に理解すべきではないか。とくに、拉致問題などは、当時の公安は何をしていたのかなど、(朝鮮戦争は休戦状態のなかで、戦時中ある)問題提起がない。

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2019年4月 3日 (水)

文芸時評3月(東京新聞3月28日・夕刊)町屋良平、今村夏子作品=佐々木敦氏

 『新潮』4月号に早くも町屋良平の芥川賞受賞第一作「ショパンゾンビ・コンテスタント」が掲載されている。とはいえ長さとタイミングからしておそらく受賞以前に書き進められていたものだろう。ピアニストとしての自分の才能に見切りをつけ、音楽大学を中退して今は小説家を目指している「ぼく」、その親友で気まぐれな性格ながらピアノの天賦のセンスを持つ源元、源元の恋人で「ぼく」が片想いしている潮里、「ぼく」と潮里とはファミレスのバイトが一緒の、何かと頼りになる寺田くんの四人の物語である。

 自分たちをモデルにした「ぼく」の小説の書き出しが何度も挿入されるのが面白い。そういえば町屋と一緒に芥川賞を受賞した上田岳弘の「ニムロッド」にも同様の設定があった。小説の中で小説が書かれる、という趣向が、かつてのような前衛的な文学実験としてではなく、もっとナチュラルに行われていることが興味深い。

 小説が読まれなくなったと言われて久しいが、その一方で各種新人賞への応募は増加しており、インターネットの小説投稿サイトも大流行している。「小説を書くこと」の意味が変質してきているのかもしれない。町屋と上田の最新作に「小説家志望者」が出てきたことは、このことと関係があるような気もする。

 今村夏子が、以前の極端な寡作が嘘(うそ)のように次々と新作を書いている。作品集『父と私の桜尾通り商店街』が出たと思ったら新作中編「むらさきのスカートの女」(『小説トリッパー』春号)が発表された。

 この作品も同じだが、隙だらけのようで油断のならない筆捌(さば)きはもはや名人芸の域に達している。物語は後半、思いも寄らぬ展開となる。読む側の心持ちによって、ユーモア小説にも、不気味な話にも、痛ましい物語にも姿を変える、今村にしか書けない作品である。

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2019年4月 2日 (火)

【文芸時評】4月号(3月31日)産経新聞 石原千秋 早稲田大学教授

    いや僕が問いたいのは、なぜ人類はそんなに変化を加速させたがっているのかだった。もちろん欲望がそうさせるのである。それは誰の欲望で、その欲望に宛先(あてさき)はあるのだろうか。

 川上未映子「夏物語」(文学界)千枚が、先月と今月で完結した。精子提供で生まれた人が連鎖する人工授精をめぐる物語。作家になった夏目夏子は若い頃からセックスに拒絶反応があり、未婚のままAID(配偶者の関係にない者同士の人工授精)を選ぶ。相手は、AIDの会合で運命のように出会ったフリーの医師・逢沢潤。彼もAIDで生まれた人である。

  こうしたストーリーを踏まえると、終わり近くのこの文章をどう読めばいいのか途方に暮れる。「逢沢さんと子どもを作ることを決めたのは二〇一七年の暮れで、わたしたちはいくつかの約束をした。」。問題は「と」だ。「逢沢さんと」「作る」のか、「逢沢さんと」「決めた」のか。「逢沢さんと」「決めた」ことはまちがいない。しかし、これを「逢沢さんと」「作る」と言えるのだろうか。だとすると、「と」だろうか。それに、二人は互いに好意を持っている。だとすれば、このAIDは夏目夏子のセックスへの拒絶だけが理由になる。そういう恋愛小説なのか。かつては「借り腹」という残酷な言葉があった。それなら、夏目夏子が逢沢潤に精子を提供されて子どもを生むのではなく、逢沢潤が夏目夏子の腹を借りるのではないのか。「精子提供で生まれた人が連鎖する人工授精をめぐる物語」と読むなら、主人公は夏目夏子ではなく逢沢潤であって、その方が筋が通っている。

【文芸時評】4月号 早稲田大学教授・石原千秋 宛先のな い欲望

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