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2019年2月 1日 (金)

文芸同人誌「私人」第97号(東京)

【「サミュエルと仲間たち」えひらかんじ】
 ちょっと愉快になるというか、心が軽くなる話である。1963年のアメリカに暮らした作者のロスからメキシコに向かう旅路の記録である。映画ではヒチコック監督、ジェームス・スチュアート、キム・ノバックの「めまい」、M・モンローの「お熱いのがお好き」が流行った時代である。日本でも、団塊の世代若者の消費が経済を成長させ、「平凡パンチ」「プレイボーイ」が読まれた。「ルート66」やケアラックの「オン・ザ・ロード」などの米国文化も入ってきた時代である。違和感がなく、ガールハントの様子も面白い。人種差別問題にふれるところがあるが、これは今もなくなっていない。アメリカには車検がないので、どんなオンボロ車でも、高級車でも、同じ高速道路を走っている面白さ。当時の仲間の一人は亡くなったが、他の友は元気だという。これを読むと、現在の日米の世相の暗い雰囲気を嘆きたくなる。
【「たむしば」根場至】
 朝子夫婦は、日野市に居を構えて、良枝と直樹の二人の子供を育てた。今は、良枝もな樹も家を出て家庭を持っている。朝子の夫は、11年目に病没し、現在は一人暮らしである。
 娘夫婦は、朝子の病気を機に、家を売って自分たちと同居することの話を進める。しかし、朝子は夫の植えたニオイコブシの樹を「たむしば」といって興味を示す男が現れたりして、夫との家を去る気持ちを失くす。朝子の立場をよく説明して納得させる。ただ、文学的な感興を生み出すには、理屈に合った合理性だけでは充分でない感じがした。
【「ばらの名前」みず黎子】
 仁美の夫の姉の洵子は70歳。仁美の家の隣に住む。親の資産があって生活費には困らないが、それなりに社会参加をしてきた。愛する人が存在したのかどうか、生涯独身で過ごす。晩年になって、引きこもりがちであったが、仁美夫妻に我儘をいいながら、結局亡くなる。一人の女性の人生を描いて、生きることの意義を考えさせる。
【「村井さんの食彩日誌」伊吹萌】
 料理の得意な家政婦が、豊かかで温厚な家族の村井家にその腕を見込まれる。思いのままに手腕を発揮する様子をユーモラスに語る。TVドラマ「家政婦は見た」のより甘く、ほっこり版のようで、才気のある語り口が楽しめる。
【「僕の愛妻日記~スケオタ編~」成田信織】
 40歳近くになって、5歳下の女性と結婚した。子供に恵まれず、間が持てない関係があったのか、妻がフィギュアスケートの観戦に凝り、羽生結弦に夢中になる。いかにもありそうな日常生活のなかの面白い出来事を語る。アットホームで、予定調和の範囲で安心して楽しく読める。
【「また逢う日まで」笹崎美音】
 百合子が長年親しくしていた純子が介護施設に入所したことを知る。それも精神科であることがわかる。純子の夫は社会的な地位があるので、そのことを外部に秘密にして、百合子の口の堅さを信頼して教えてくれたのだ。そこで、桃子の入院先を訪ねると、百合子を見分けることが出来、正常性を回復させる。結局、彼女は亡くなる。その経験を通して、精神病とされる病の認識を改めるヒントになっている。
【「女性しかいない社会―村田沙耶香『消滅社会』」尾高修也】
 掲題の村田SF小説の未来社会の女性中心のユートピア社会の構造を紹介し、その意味するところを解説している。人間も生物としての繁殖のための性行為をする。しかし、現代ではセックスが繁殖行為と快楽交流が分離してきている。
 いずれにしても、人間が必要とする欲望の道具になっている。しかし、この小説では、その欲望を抑圧するか、無化する社会の方向性をもつようだ。たしかに現代社会は、性欲を軸とした欲望生産が、ほかのカルチャーに奪われている傾向があるので、その辺を意識した作品らしいということがわかる。
発行所=朝日カルチャーセンター。発行人=〒364-0035埼玉県北本市西高尾4-133、森方。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。

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