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2019年1月12日 (土)

アナーキズム詩としての金子兜太の俳句

 秋山清というアナキースト詩人がいて、「コスモス」という詩誌でかつどうしていたようだ。その「コスモス」誌の関係者が、秋山清の死後、「コスモス忌」という集いを例年実施さしている。アナーキーとはなんだ、ということになるが、権力ー国家であることが多いーに強制されずに自由に生活をしたいという人間のもつひとつの欲望をめざす思想であろう。人間、日常生活の衣食住のなかで、国家(役人の出す命令)の意向を気にしながら買い物をすることはないであろう。でるあるから、普通の人はアナーキーな生活者なのである。
 アナーキスト詩人としては、小野十三郎の「現実を描いて、語らせる」という詩の表現法を語ったことがあるようだ。その点では、前衛俳句の金子兜太も、原満三寿氏もアナーキーであるようだ。《参照:詩人・原満三寿氏「俳人・金子兜太の戦争」を語る》
 もっとも有名な「アベ政治を許さない」は、ただのプロパガンダで、政治活動のツルーでしかない。安倍政権でなくても、労働者は抑圧され、強制されていくであろう。

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