カルチャーのなかで存在した金子兜太
金子兜太の前衛俳句というものを、私は読んでいなかった。しかし、その存在は知っていた。つまり、メデアのカルチャーとして登場していたからであろう。その彼の基本はトラック島での過酷な現実を体験したことにあるようだ。とにかく、国家というものが、個人を追い込むのである。《参照:詩人・原満三寿氏「俳人・金子兜太の戦争」を語る(3)》
原満三寿氏は、金子光晴の研究家で、賞ももらっている。近年は、金子光晴関連書籍を図書館か記念館だかに寄贈したという。神田の古書店に売れば、何百万かになったのかも…。
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