【文芸時評】東京新聞(2018・12・27)佐々木敦
今月はまず『新潮』1月号が「読むことは、想像力」と題した「創作大特集」を組んでいる。ヤマザキマリ+とり・みきの人気マンガ『プリニウス』の連載が『新潮45』の休刊に伴い移ってきたことも話題だが、他にも瀬戸内寂聴、町田康、松浦寿輝の新連載が開始され、華やかな新年号と言っていい内容となっている。特集には総勢二十六人が参加しており、「創作大特集」と言いつつ「特別原稿」としてエッセイや対談、写真作品(杉本博司)なども混じっている。
自らが率いる劇団の名前を題名に冠した山下澄人の「FICTION 01」は、左半身不随の実在の劇団員オギタをモデルにした自由奔放な書きっぷりに引き込まれるが、あらゆる者に容赦なく訪れる「死」に対する透徹した視線は悲劇性を増している。円城塔の「歌束」はごく短い作品だが、『文字渦』の「文字」に続いて「和歌」をめぐる連作が始まるのかもしれないと期待させられる。宮内悠介「ローパス・フィルター」は芥川賞候補になった『ディレイ・エフェクト』と同じく、SF的発想を用いて倫理的な問題に迫る好作。朝吹真理子「mameのブルゾンください」は『TIMELESS』の番外編的な掌編だが、言葉の凝縮度と突然に時空を超える跳躍の力はこちらの方が上かもしれない。「特別原稿」も含め、特集名にある「想像力」が緩やかな全体のテーマになっているようだ。
『すばる』の特集は「本を読む」。インタビュー、ルポ、論考、アンケートなど、創作以外のヴァラエティに富んだ記事が並んでいる。アンケートの問いは「どうやって本を読んでいますか」で、諸分野で活躍する三十人の回答が寄せられているのだが、文芸雑誌でわざわざ「本を読む」ことが特集のテーマにされるというのはいささかアイロニカルではある。
『群像』は特集「文学にできることを」。「I<短篇創作>」とあるので次号に続くようだ(「II」では何をするのだろう)。瀬戸内寂聴、笙野頼子、日和聡子、高橋弘希、小山田浩子の短編が掲載されている。その他、新年号らしいのは多和田葉子の『地球にちりばめられて』に続く新連載「星に仄(ほの)めかされて」が始まっていることだろうか。ちなみに今月、四誌全てに多和田は登場している。『すばる』はリービ英雄との対談、『新潮』は「特別原稿」の「沈黙のほころびる時」(このエッセイは『新潮45』問題へのレスポンスにもなっており、重要な内容である)、『文学界』は温又柔(おんゆうじゅう)との対談。今年は満谷マーガレットによって英訳された『献灯使』での全米図書賞翻訳文学部門受賞もあり、ベルリン在住の二言語作家である多和田の存在感はいや増している。そして近年、手を替え品を替え、さまざまな(時には文芸雑誌らしからぬ)特集を組んでいる『文学界』が、今月に限って特集をやっていないのがなかなか興味深い。これは明らかに他誌との差異化を狙ってのことだろう。
その『文学界』では、磯崎憲一郎の新連載「日本蒙昧(もうまい)前史」が始まっている。他は多和田×温の対談と、メディアアーティストの落合陽一と『平成くん、さようなら』で芥川賞候補になっている社会学者の古市憲寿の対談。しかしここでは古川真人の中編「ラッコの家」に触れておこう。芥川、三島両賞の候補に挙げられた『四時過ぎの船』にも現実を不分明にさせる老境の印象的な描写があったが、この小説は視力の弱った八十近い叔母と二人の姪(めい)の話から始まる。古川のこれまでの作品と似通った世界ではあるが、うねるような語りがほとんど改行なしに延々と連ねられてゆく魅力的な文体は新たな局面に入ったようであり、結末も大変に鮮やかである。力作だと思う。
《参照: 古川真人「ラッコの家」 小山田浩子「小島」「夜神楽の子供」 佐々木敦》
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