文芸誌「駱駝の瘤 通信」16号2018秋(福島)
本誌は、福島県民の現地からの情報発信と、文芸評論の中野重治の「むらぎも」論で構成されている。
【「扉の言葉」澤正宏】
ここでは、米国における放射線被ばく人体実験の事実が示されている。ーー1945年から47年にかけて、マンハッタンに集まった科学者たちは、国の機関としてプルトニウムを使い、4歳から69歳までの18人(男性13人、女性5人)に人体実験を行った。
被ばくによる死亡年は1945年から91年まで(死亡年齢は5歳から85歳まで)とまちまちだったが、彼らは人間が一生に浴びる平均的な線量の6倍から844倍までを注射によって身体内に注入された。人間であることを放棄した米国科学者たちのおぞましい事実は衝撃であり、放射能被ばくによる18人の死は残酷極まりない。(1993年以来、米国のTHE ALBUQUERQUETRIBUNE(アルバカーキー・トリビユーン)』紙が伝えた報道記事による)。
福島での核災事故から7年半が過ぎ、放射能被ばくはもうないかのように、政府は次々に福島への政策を打ち出して来ている。例えば、高線量のため立入り制限されている帰還困難区域に再び人を住ませるために、国が整備する「特定復興再生拠点区域」計画がその一つだ。各地元の行政区長の人割が、放射能への不安などを理由に「実現不可能」と回答している(毎日新聞アンケー)(中略)
米国でも放射能被ばくの非人道性を訴える運動が出ている。米国立歴史公園(マンハッタン計画関連地)は、広島、長崎両市の要望を踏まえて原爆投下の人的被害を展示する方針を固めた。1951年以降、米国がネバダで行った核実験で被ばくした地元の住民(4500人が発がん、約45%死亡)は、今年、オペラ「風下の人」(ニューメキシコ州で上演)で死の灰の酷さを訴えている。
あらためて放射能被ばくが語っている恐ろしさを考えたい。(澤正宏)ーーというものである。
日本では、原爆による日本の原子力否定感情を変更させるため、米国CIAに媚びて、原発を導入に力を入れた
正力松太郎は、「プルトニウムを「プルトンくん」と呼んで、食べても大丈夫だというパンフを作って、配った」という話をジャーナリストの上杉隆氏から聞いた。そうしたバカげた論理もこうした事実を根底にしていたのかと、思う。
結局は、正力は米国に利用されただけに終わった。《参照: 「原発の父」と呼ばれる正力松太郎は、総理になりたかった》
通信についても、携帯電話の電波人体害が、やっとすこしずつ研究が進んできた。メディアでは、ほんとど報じられないが、携帯電話は身につけて持たず、カバンなど身体から距離を置いて持った方が良い。自分は、過去に左胸のポケットに入れていたところ、胸の疼痛を感じ、それをある人にはなしたところ、それをやめるようにアドバイスされ、電波害という存在を知ったのだ。資本主義は、知る権利を阻害することは確かだ。
その他、【評論「農をつづけながら2018秋」五十嵐進】、【評論「ジェノサイドかチェルノブイリ法か」澤正宏】、【
記録と批評「福島の核災以後を追う(一)」秋沢陽吉】、【記録「まぼろしの子ども避難」鈴木二郎.】、【短歌「カタバシスもできずにー1」澤正宏】、【研究「服部躬治関係書簡-3」磐瀬清雄】、【評論「『むらぎも』論(四)」 石井雄二】
ほかにも、触れたいことが多いが、長くなるので……。秋沢要吉氏は本誌のほか雑誌「労働者文学」にも、「フクシマの虚偽に抗す」を発表している。
福島及び関東は、すでに被ばくしており、健康への影響も明らかにされている。最近でも、11歳の少女が100ミリシーベルトを被ばくしていたことがわかっている。20年30年後に、何らかの影響があるのではないか、と憂慮する。じつは自分の妹は、12歳の時に、道路横断中にひどい交通事故に遭い、1キロ引きずられて、頭蓋骨骨折、手足骨折で3日間意識不明だった。長期入院で一応、怪我はなおったが、とにかく幾度もレントゲン写真を撮らなければならなかった。医師に思春期の娘なので、レントゲン照射をそんなにしても大丈夫かと訊いた。医師は、治療のためだから仕方がない。許されるのですよ、といった。そして妹は子供を産み育てたが、53歳の時に、突然卵巣がんを宣告され、間もなく亡くなった。兄弟姉妹のなかで、一番下の者がまず亡くなった。自分は、あの小学生の時のレントゲン検査が原因であると今も信じている。思春期の一番生殖細胞の増える時に、DNA切断があったのであろう。
発行所=須賀川市東町116、「駱駝社」。
紹介者=「詩人回廊」北一郎。
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